人付き合いが苦手…「もう一人の南方熊楠」と称される本草学者・畔田翠山の若き日を描いた木内昇の長編小説 『奇のくに風土記』試し読み

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『かたばみ』『惣十郎浮世始末』『雪夢往来』――時代・歴史小説の枠を軽やかに越え、幅広い読者の心をつかむ直木賞作家・木内昇さん。

 その木内さんが「もう一人の南方熊楠」と称される本草学者・畔田翠山(くろだ・すいざん)をモデルに描いた『奇のくに風土記』。江戸後期の紀伊国を舞台に、人付き合いは苦手でも草花とは言葉を交わせる少年が、不思議な体験を重ねながら、家族や恩師の温かな支えのもと成長する時代幻想譚です。瑞々しい自然描写に加え、人生の本質を突く言葉が幾度も心を揺さぶります。

 その中から、巻頭の一編「天狗 てんぎゃん」の一部を公開します。

天狗 てんぎゃん

 鶏の鳴かぬうちに、十兵衛は忍び足で母屋を出た。
 薄藍色の空にはまだ星がまたたいており、紀ノ川の流れる音が清かに伝わってくる。西からの風は、常と変わらぬ潮の香りを運んできていた。
 慣れ親しんだ音やにおいに安堵して、草鞋で固めた足を東へ向ける。
 ――岩橋のお山には行ったらあかんのやして。あっこたしおとろしいさけ。
 十兵衛が物心つくかつかぬかのうちから、事あるごとに母にはそう言い聞かされてきた。けれどこの繰り言が皮肉にも、十兵衛の内に巣くう好奇の虫を騒がせることになったらしい。年が明ければ元服というこの秋、ついに辛抱たまらず、ひとり山を目指すことにしたのだった。
 紀伊国には、見渡す限りどこもかしこも美しい。
 十兵衛の住まう南中間町は、虎伏山に悠然とそびえる天守閣を間近に望むことのできる城下町だ。西には雄大な紀ノ川が流れ、煌めきを放ちながら海へと注いでいる。景色のいずれもが穏やかな温みに覆われている。
 十兵衛が目指している岩橋のお山は、この城下町から東へ三里ほどいった地にある。山と言い条、峻厳とは程遠い、里山のごときなだらかさなのだ。その姿は遠目に見る限り、母が言うような「おとろしい」ものではなく、雨上がりなどは神々しさを覚えるほどに澄んでいるのだった。
 ――怖いことなんかないやろ。母様はわいを目の届かぬとこに行かしとうのうて、嘘ついとるんや。
 母に脅かされるたび、十兵衛は胸の内で密かにそう唱えてきた。
 己の思いがうまく言葉にできぬせいで、身内にさえも本音を語ることが難しい。他人であればなおのこと、まともに意思を伝えられたためしはなく、これまで遊び相手を探すにも苦労してきた。人を前にすると、どういうものか喉が詰まったようになり、挨拶ひとつするにも声はかすれて、途中で消え入ってしまう。こんな調子ゆえ、長じるにつれ口を開くことすら億劫になり、今やほとんどの刻を、野や川辺を歩いては草木を愛でるなどして、たったひとりで過ごしている。
 屋敷を出て四半刻ほど歩いたところで、十兵衛は道端に馬酔木が茂っているのを見付け、伸び上がって葉を五枚もいだ。これを腰の両脇、両の脚絆に差し込み、残りの一枚を右耳に挟む。馬酔木のにおいを獣は嫌う。ために森や山に分け入るときは身につけて獣除けとする。十兵衛が師と慕う、小原桃洞の教えだ。
 桃洞は、紀州の藩医であり、藩の本草局に籍を置いている。数年前から自邸の離れで塾も開き、弟子を取って本草学を教えていた。十兵衛もまた、その塾生のひとりである。
 江戸の本草学者・小野蘭山のもとで学問を積んだという桃洞の教えは時に難解だったが、不思議な明るさを孕んでおり、師の言葉は最上の養分として十兵衛の身にぐいぐいと染み込むのだった。本草への興味は尽きることがなかったし、草花の生育を見守るだに総身が沸き立つような感銘を覚えてきた。野山を歩き回って草木の様子を眺め、語らう刻は、十兵衛の孤独を和やかに救った。いずれは桃洞のように草木に親しみながら一生を送りたいと、長ずるにつれ、強く願うようになった。この日、お山を目指したのも、町では見られぬ本草を持ち帰って師とじっくり語らいたいという望みを叶えるためなのだ。
 ――岩橋のお山には、城下にはない草木が茂っとるはずや。それを持って帰って、桃洞先生に御覧いただくんや。
 岩橋までは城下町を抜けて、早足でも一刻ほどかかる。山際が群青から青へと変じ、空がわずかに白んできた。馬酔木をあちこちに貼り付けた珍妙な出で立ちを人に見られぬよう、十兵衛はさらに足を速める。
 お山の入り口に辿り着いたときには、背後に広がる沃野を朝日がまんべんなく照らしていた。
 ――ありがたいことや。
 十兵衛はいつもの癖で、お天道様に手を合わせる。そうしてから改めて、お山を仰ぎ見た。夏が終わって間もないからか、木々の緑はまだ濃く、今にも十兵衛を抱き込みそうな力強さで枝葉を無尽に伸ばしている。
 近くに佇ずんでもやはり、お山は微塵も怖くなかった。風に揺れる木々は、おいでおいで、と十兵衛を誘っているようにさえ見える。
「わいが、入ってもええんか」
 小声で訊くと、ざわざわといっそう大きく木々が騒いだ。
「そうかいのう。そいやったら、ちょうお邪魔さしていただかして」
 十兵衛は一礼し、山の小径に分け入る。
 傾斜は緩やかで、これなら誰しも容易く登ることができようと判じられた。きっと近くに住む者はなにを恐れることもなく、お山に登って木の実を採ったり、高所から町を眺めたりしているのではなかろうか。山径が奥まで続いているのも、その証のように思われた。
 ――珍しい草を見付けて、桃洞先生を驚かすんや。
 胸躍らせて木々を仰ぎ、時折しゃがんで下草を眺めながら、径を辿っていく。香ばしさに満ちた小楢の林を抜け、天を突くようにそびえる杉の森へと分け入る。水気を含んだひんやりした風が、体をなでていく。見上げると、高くに広がる葉の隙間からこぼれてきた日の光が、ギヤマンの玉となっていくつも葉の上で跳ねていた。物珍しさに十兵衛は、夢中になって光の玉を追う。ちょうどそばの小枝でぽんと跳ねた玉を、着物の前を開いて首尾よく懐に落とし込んだ。玉はしばらくほわほわと弾んでいたが、やがて胸の内に静かに染み込んでいった。
 おのずと笑みがのぼった拍子に、己がいつしか径を逸れて林の中に佇んでいることに気が付いた。
 ――あかん。
 慌ててあたりを見渡し、辿ってきた径を探すも、藪に覆われているのか、いっかな見当たらぬ。惑ううちに霧が立ち込めてきて、どちらから来たのか、その方角すらも定かではなくなってしまった。
 ――山で径を見失うたら、二度と戻ってはこられんぞ。
 父が常々つぶやいていることが思い出され、背筋が冷える。焦ってはいかん。焦ればさらに迷いに陥る。自らを懸命に落ち着かせ、まずは隈笹を分けて低い方へと進んだ。下っていけば、どこかしら麓には辿り着くはずだ。
 そのときだ。背後に物音を聞いたのだ。
 十兵衛は立ちすくみ、耳を澄ます。
 隈笹を揺らして、なにかが近づいてくる。ただ奇妙なのは、下草や小枝を踏む音が微塵も立たぬことであった。あたかも隈笹の海を泳いでくるような気配なのである。
 十兵衛は息を詰め、耳にさした馬酔木を手に持ちかえる。急ぎ、においを振りまくために宙を扇いだ。こうすれば獣は一も二もなく逃げていくはずだった。
 それであるのに、何者かはなおも近づいてくる。
 熊かもしれぬと思えば恐ろしく、どこへ逃げればよかろうと、十兵衛は目だけを動かし、あたりを探る。片手で袂をまさぐる。本草採取用の小刀はあるが、獣を打ち負かせるほどの武器ではない。意を決して、そっと振り返った。霧に覆われた杉林が広がるばかりで、獣の姿は見えない。十兵衛が振り向いたからだろう、相手も動きを止めたらしく、一所の隈笹がなにかを匿うように揺れている。
 隈笹の葉の隙間から小さな緑の目が覗いているのに気付く。これまでに接したどの生き物とも異なる形をしている。十兵衛は一歩後退さった。
 ――ほんま、獣やろか。
 恐ろしさより興味が勝って目を凝らした刹那、藪を突くようにして、ぬっと大きな赤い鼻が現れたから、
「やっ」
 うっかり大きな声をあげてしまった。
「やっ」
 と、相手も同じく声をあげる。童のような、甲高い声だった。やがて隈笹を分けて、のっそりとそれは姿を現した。
 十兵衛は声を呑む。
 天狗だ。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

木内昇
小説家。1967年生まれ。東京都出身。出版社勤務を経て、2004年、『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。2009年、早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。2011年、『漂砂のうたう』で直木賞を受賞。2014年、『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。『茗荷谷の猫』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』『光炎の人(上・下)』『球道恋々』『化物蝋燭』『万波を翔る』『火影に咲く』『占』『剛心』『かたばみ』『惣十郎浮世始末』『雪夢往来』など著書多数。

実業之日本社
2025年6月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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