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現代の労働で問題になっていることの一つが「家事」です。共働きやリモートワークなど働き方が多様化し、専業主婦も減っているなか、悩みの種だという人も多いのではないでしょうか。
「労働」についてさまざまな議論を交わしてきた哲学者たちも、20世紀には家事労働の存在を問題視して取り上げています。たとえば、オーストリア出身の哲学者は、生活や社会の基盤を支えるために不可欠でありながらも無報酬の労働を、「シャドウ・ワーク(shadow work=影の仕事)」と定義しました。
長い間“無視”されてきた労働への評価は、社会状況にあわせて少しずつ変化しています。「労働」についての認識がどのように変わってきたのか――歴代の哲学者たちの考えをテーマ別にまとめた『哲学で考える10の言葉』(岡本裕一朗・著)より紹介します。
※本稿は『哲学で考える10の言葉』を抜粋・再編集しています
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■「労働」は今日どう考えられているか?
古代ギリシアにおいて「労働」は奴隷がするもので、一般市民の視野の外に置かれていましたが、近代になると『ドイツ・イデオロギー』のように、歴史の「第一前提」とまでいわれるようになります。そのため、マルクスは「労働者階級」に立脚して、未来社会を構想したのです。
しかし、マルクスの「労働」に関する考えも、今日ではさまざまな方面から批判されるようになりました。そのなかで、興味深い論点を確認しておくことにします。
■賃労働を支える「シャドウ・ワーク」
まずは、オーストリア出身の哲学者イヴァン・イリイチ(1926~2022)の「シャドウ・ワーク」論を取り上げることにしましょう。
イリイチといえば、近代産業社会に対する批判という基本的な立場から、「脱学校化社会論」や「脱病院化社会論」などを展開していますが、1981年に発表された「シャドウ・ワーク論」もその一環として理解できます。
「シャドウ・ワーク(shadow work)」というのは、貨幣で活動が評価される賃労働に対して、表立って出てこない「影の労働」を示しています。これをイリイチは、「名前もなく、検証もされないまま、あらゆる産業社会で多数者を差別する主要な領域」と呼んでいます。その代表的なものが、女性の「家事労働」といえば、話が早いかもしれません。
「〈シャドウ・ワーク〉と賃労働との違いを強調したい。私は、〈シャドウ・ワーク〉を、懲役はもとより奴隷や賃労働とも異なる束縛の形として検証しようと思う。」(『シャドウ・ワーク』)
マルクスは、人間が歴史を創るためには、労働者が生産する必要があると語りました。ところが、イリイチは、その労働者が生きていき、労働できるためには、家のなかで女性が働くこと(シャドウ・ワーク)――具体的には、食事の準備をしたり、夫の世話をしたり、子どもを産んだり、養育したりすることなど――がさらに前提となる、というのです。
マルクスは、この「シャドウ・ワーク」の部分を忘れ(無視し)て、あたかも労働者だけが社会を支えるように語った、というのです。イリイチによると、「賃労働」は中世では「惨めさ」の代名詞であり、低い位置に置かれていました。
ところが、18世紀以降になると、「労働の価値、労働の尊厳、労働の歓び」などが語られ、マルクスのように労働に高い評価が与えられるようになった、というわけです。
■1「賃労働」を支える「シャドウ・ワーク」
それに対して、貨幣で評価されない家事労働のような「シャドウ・ワーク」は、「最も憂鬱な差別形式」となっているのです。イリイチは、次のように表現しています。
「男性が自分たちの新たな職業に夢中になって労働者階級へと仕立て上げられていった一方で、女性は社会の、歩きまわるフルタイムの子宮として内密に再定義された。」(『シャドウ・ワーク』)
今日から見ると、当たり前のような指摘に感じるかもしれませんが、それはむしろイリイチの功績といえます。イリイチ以前には、女性の家事労働などは視野の外に置かれていたのですが、「シャドウ・ワーク」という命名によって一躍注目されるようになったからです。
イリイチ以前と以後では、「労働」をめぐって、社会に大きな視点の転換が生じたのです。
■労働は「遊び」になる?
今日の労働観に関して、他の側面から見ておきましょう。
労働といえば、「額に汗して働く」という言葉に示されるように、「労苦」というイメージがつきまとっていました。それに対して、「遊び」はまったく異なるもので、仕事の埒外にあると見なされていたのです。まさに「仕事は遊びではないぞ!」というわけです。
労働と遊びを対立させるという考えは、「労働」を重視するマルクスにも残っています。
マルクスの基本的な主張は、労働時間をできるだけ短縮することにありますから、労働そのものは「労苦」と見なされているのです。「労働は必要だが、できるだけ短いほうがいい。なぜなら、労働は苦しみだから」――こんな風に表現できるでしょうか。
■2「労働」と「遊び」は異なるもの?
こうした見方に対して、アメリカの哲学者ヘルベルト・マルクーゼ(1898~1979)は、『ユートピアの終焉』(1967)において次のように書いています。これは世界中で学生反乱が起こっていたとき、マルクーゼがそこへ向けて語った言葉です。
「マルクス、エンゲルス自身が認めているように、自由な社会と不自由な社会との間の質的差異を最初に明確ならしめた第一人者はフーリエであったし、労働が遊びになることの可能であるような社会、つまり社会的に必要な労働が人間の本能的要求と傾向性とに調和されて組織されうるような社会について語ることを、まだマルクスでさえある程度遠慮がちであったのであるが、そんなことにいささかもたじろぐことのなかったのもフーリエであった。」(『ユートピアの終焉』)
フランスの哲学者であるシャルル・フーリエ(1772~1837)は、マルクスやエンゲルスから「空想的社会主義者」と厳しく批判されたのですが、今日的に見るとむしろ先駆的な意義がある、とマルクーゼは言うわけです。
フーリエは、理想の共同体(アソシアシオン)を建設して、それを「ファランジュ」と呼んだのですが、その構築プランを描き出した著書のなかで、労働と遊びの融合を次のように語っています。
「ただ朝から夕まで楽しんでやりさえすればいいのだ。なぜなら、楽しみによって労働に誘い入れられるのであり、その労働は、今日の見世物や舞踏会以上に魅力的なものになるからである。」(『産業の新世界』)
こうしたフーリエの構想に基づいて、マルクーゼは「労働が遊びになる」あるいは「遊びが仕事になる」と主張したわけです。これは、19世紀にはまだ「ユートピア」であったかもしれませんが、20世紀の今日では、現実化しつつあるのではないでしょうか。
■AIやロボットで、人間の労働は不要になる?
21世紀を迎えた今日、労働に関しては、もっと別の観点も可能になるように思えます。それは、人間の労働が不要になる、という未来です。もともと、労働のプロセスに機械が導入されると、労働者が駆逐されていくことは、マルクスも予測していました。『資本論』のなかで、次のように語られていたのです。
「労働手段は機械になったとたんに、労働者自身の競争相手になる。機械による資本の自己増殖は、機械によって生存条件を破壊される労働者数と正比例する。……道具の操作が機械に奪われると、……労働者は、通用しなくなった紙幣と同様、売れなくなる。」(『資本論』)
これは、機械によって労働者が失業に追い込まれるという話ですが、問題は機械の導入が悲惨な未来になるのかどうか、という点です。
21世紀になって、「加速主義」(accelerationism)を標榜する若手の哲学者たちによって、まったく違う未来が描かれています。カナダ出身の哲学者ニック・スルニチェク(1982~)はアレックス・ウィリアムズ(1981~)と発表した「加速主義派政治宣言」(2013)においてこう述べています。
「ネオ・リベラリズムの形態をとった資本主義が自認するイデオロギーとは、創造的破壊の諸力を解き放つことを通じて、技術的・社会的革新を絶えず自由に加速させていくことなのである。……左翼は資本主義社会によって可能になったあらゆるテクノロジー的、科学的な成果を利用しなければならない。」(「加速主義派政治宣言」)
この思想を具体化するため、2人は2015年に『未来を発明する(Inventing the Future)』(未邦訳)を出版しています。この書の副題は、「ポスト資本主義と労働なき世界」となっています。しかし、そもそも、彼らはどんな労働の未来を考えているのでしょうか。
彼らがとりわけ注目しているのは、AIやロボットを含めた機械の進化によって人間が労働から解放されることです。人間の代わりに、機械(AIやロボット)が作動し、いままで以上の生産力をつくり出すのであれば、人間はもはや働かなくてもよくなります。人間の代わりに機械が働いてくれるからです。
「(機械の導入による)自動化とともに、機械がすべての財やサービスをますます生み出すようになり、そうしたものをつくり出す労苦から人類を解放するのである。」(Inventing the Future)
もちろん、こうした未来が可能になるためには、単に機械の問題だけでなく、社会制度のあり方も変えなくてはなりません。ですが、機械の導入が労働者の失業になるという見方ではなく、むしろ人間の労働からの解放であるという視点は重要でしょう。
古代ギリシアでは、労働は奴隷がするもので、それから解放された自由市民は政治や学問、芸術などに勤(いそ)しむことができました。21世紀の今日、テクノロジーの進化によって、労働は奴隷ではなく、機械が行なうようになりつつあるのです。したがって、人間はもはや働かなくてもよくなり、人間全員が自由市民のようになるわけです。
とすれば、労働から解放された後、人間は何をして暮らしていくのか、時間の使い方が問題になるのではないでしょうか。
■3 AIやロボットは人を「労働」から解放する?
岡本 裕一朗(おかもと ゆういちろう)
哲学者、玉川大学名誉教授。1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門としつつ、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究も行う。
著書に『本当にわかる現代思想』(日本実業出版社)、『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社、〈文庫版〉朝日新聞出版)、『哲学100の基本』(東洋経済新報社)、『哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる』(KADOKAWA)など多数。
岡本 裕一朗(哲学者/玉川大学名誉教授)
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