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- 小泉八雲集
- 価格:935円(税込)
日常の生活、風俗習慣から、民話、伝説にいたるまで、近代国家への途上にある日本の忘れられた側面を掘り起して、古い、美しい、霊的なものを求めつづけた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
イギリス人である彼が数々の名作を残すことができたのは、妻の小泉セツの存在があったからです。彼女は、怪談が好きな彼のため、古くから受け継がれてきた物語を語り、作品づくりに貢献しました。そんなセツをモデルにした、朝ドラ「ばけばけ」が2025年秋から放送されます。
この試し読みでは、『小泉八雲集』(新潮文庫)に収録されている「守られた約束」と「破られた約束」を公開いたします。この機会にぜひ、2人が愛した怪談を読んでみてください。
「守られた約束」
「この秋のはじめには必ず戻ってまいる」と、いまより数百年前、赤穴宗右衛門(あかあなそうえもん)は、義兄弟の、若い丈部(はせべ)左門に別れを告げながらいった。時は春。場所は播磨(はりま)の国加古(かこ)の村。赤穴は出雲(いずも)の武士であった。彼は、生れ故郷をたずねようと思ったのである。
丈部はいった──
「あなたの出雲──八雲(やくも)立つ国──は非常な遠国です。だから、たぶん、いつお帰りかお約束くださることは、困難でありましょう。しかし、その日をはっきりうかがえれば、まことにもって幸せに存じます。されば、迎えの宴を用意し、また、門口にてお帰りをお待ち申すことができますから」
「さて、そのことならば」と、赤穴はこたえた、「わたしは旅にはよく慣れておるゆえ、ある場所へ着くのにどのくらいかかるものか、まず前もって言うことができる。だから、ここへ帰るのはいつか、約束してさしつかえない。重陽(ちょうよう)の節句の日にしてはいかがなものであろう」
「九月九日でございますな」と、丈部はいった、「その頃(ころ)は、菊の花も咲きましょうから、ごいっしょに菊見にもまいれます。それは楽しい! ……では、お帰りは九月九日とお約束いただけますな」
「九月九日に」と赤穴は繰りかえし、にっこり笑って別れを告げた。それから彼は、播磨の国加古の村をあとに旅立った──そして丈部左門と丈部の母は、目に涙をうかべてそのあとを見送った。
「月日に関守(せきもり)なし」と古い日本のことわざにいう。すみやかに月日は去った。やがて秋──菊花の季節──がきた。そして、九月九日の早朝から、丈部は義兄を迎える用意をした。いろいろさかなをととのえ、酒を買い、座敷をかざり、床の間の花瓶(かびん)には二色の菊の花を挿(さ)した。すると、それを見ていた彼の母はいった、「お前、出雲の国は、ここから百里以上もあります。それに、そこからいくつも山を越えてくる旅は、難儀で疲れましょう。ですから、赤穴が今日はたして来られるか、あてにはなりません。いま、そんな手間をかけずに、来るのを待ってからにしてはどうかね」「いえ、母上!」丈部はこたえた──「赤穴は今日、ここへ来ると約束されました。約束を破るような方ではありません! 着かれてから、用意をはじめるのをごらんになれば、あの方の言葉を、疑っていたと思われるでしょう。われわれは面目を失います」
小泉八雲集(こいずみ・やくも)
(1850-1904)本名ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)。ギリシア生れ。父親はアイルランド出身のイギリス陸軍軍医。イギリスとフランスで教育を受け、1869年に渡米し、各地で新聞記者を務めた。1890年「ハーパー」誌特派員として来日。松江中学教師に転じ、小泉セツと結婚。熊本の五高に転任後、神戸に移り執筆に専心する。1895年日本に帰化し、小泉八雲と改名する。その後、東京帝国大学、早稲田大学の講師として英文学を教え、精力的に日本紹介の筆をとった。
上田和夫(うえだ・かずお)
1928年金沢生れ。東大英文科卒業。元研究社出版編集担当、元明星大学教授。訳書に『小泉八雲集』『シェリー詩集』『D.H.ロレンス詩集』A.L.モートン『イギリス・ユートピア思想』など多数。編著に『イギリス文学辞典』『20世紀英語文学辞典(共編)』がある。
株式会社新潮社のご案内
1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。
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