
(c)野坂昭如/新潮社,1988
スタジオジブリが手掛け1988年に公開された映画「火垂るの墓」(監督/高畑勲)の原作は、1967年に発表された同名小説だ。原作者は、小説家・野坂昭如(1930-2015)。
野坂は小説家だけではなく、放送作家、歌手、作詞家、タレント、さらに政治家として参議院議員まで務めるなど、多彩な顔をもっていた。85歳で亡くなるまで精力的に活動を続け、各界の人々と幅広く交流した。
そんな野坂が、生前、数ある賛辞の中でもひときわ大切にしていた“言葉”がある。
旧制新潟高校の先輩であり野坂夫妻の仲人も務めた、作家の丸谷才一(1925-2012)が書いた400字に満たない「火垂るの墓」への論評だ。
野坂はこの丸谷の原稿をわざわざ額装し、自宅の応接間に飾るほど大切にしており、故人となった今もなお、その場所に掲げられている。
直木賞を受賞し、高く評価された「火垂るの墓」が多くの称賛を集める中で、野坂が最も深く心に留めた一文とは?
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- アメリカひじき・火垂るの墓
- 価格:693円(税込)
国民的説話 丸谷才一
二十年たつた。
日本人はみな野坂昭如氏の名篇『火垂るの墓』を何とかして忘れようと努め、しかしつひに忘れることができなかつた。もちろんわたしもまた。
燒跡に生きる可憐な兄妹の物語は、版を重ね、絵本になり、アニメイションになる。忘れたいといふみんなの欲求にもかかはらず、それは国民的説話となつた。
忘れたいと願つたのは、幼女と少年の運命があまりにも哀れだからである。飢ゑて死ぬいとけない二人が心にちらつくのでは、安んじて飽食することがむづかしかつた。
しかしこの短篇小説は生き残つた。人間と歴史の関係の大筋のところを、この上なく鮮明に、むごたらしく示してゐるからだらう。
いや、生き残つただけではなく、いはゆる文学史の枠組からはづれた巨大な存在にならうとしてゐる。やがては、作者が誰だつたのか、民族の記憶が薄れ、ただ説話だけが残るにちがひない。ちようど安寿と厨子王の話のやうに。
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この文章は、「火垂るの墓」が書かれた二十数年後、「鳩よ!」1992年3月号(特集「ぼくは飢え死したい 最後の無頼派 野坂昭如」)のために執筆され、直筆原稿の写真版が掲載された。この原稿は額装されて、いまも野坂家の応接間に飾られている。「波」編集部
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