
映像プロデューサーの吉川圭三さん
著作を持つお笑い芸人は多い。デビュー間もない若手からベテランまで、ちょっとでも名が売れた芸人は大抵、「著者」となっている。
そんな中で、明石家さんまは特異な存在かもしれない。いちおう「著書」とされている本も存在しないわけではないのだが、昭和の時代のいわゆる「タレント本」のみ。さんまは著書のみならず、自身に関する本の出版にも積極的ではないというのが定説だ。
なぜ明石家さんまは本を出したがらないのか。
元日本テレビプロデューサーで映像プロデューサーの吉川圭三氏は、長年、公私にわたり明石家さんまと親交を深めてきた。「踊る!さんま御殿!!」「恋のから騒ぎ」など、36年余り、仕事を共にしてきただけではなく、毎年恒例のオーストラリア旅行にも同行するという仲だ。収録中はもちろん、楽屋やプライベートの素顔もずっと見つめ続けてきた。
その吉川氏の新著『人間・明石家さんま』には、同書を刊行するに至るまでのさんまとのやり取りが描かれている。そこには「なぜさんまは本を書かないのか」と「なぜ今回は執筆を許したのか」の答えが示されていた――。
(以下、『人間・明石家さんま』より抜粋・再構成しました・文中敬称略)
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- 人間・明石家さんま
- 価格:946円(税込)
「タイトルに俺の名前が出てこん本なら」
2014年のことである。
私はある初冬の日の夕方、世田谷区の祖師ヶ谷大蔵駅近くにあるTMC(東京メディアシティ)の収録スタジオに出かけた。もちろんさんまに会うために、である。
マネージャーに導かれてノックをして控え室に入ると、さんまはいつものようにたばこの煙をくゆらせながら、座っていた。こちらを見ると、ニカッと白い歯を見せ、人を蕩(とろ)けさせるようなあの笑顔で迎えてくれた。
「おお、珍しいな~、吉川くん。わざわざここまで。今回は何? 何の用事?」
これならイケる。機嫌の良さそうな姿を見て、私はそう思った。とはいえ、いつものようにテレビマンとして番組企画を提案するのとさんまについての本を執筆するのとはまるで勝手が違う。雑談をしながらも徐々に緊張感がこみ上げてきた。
そして私は生唾をゴクリと飲み込んで明石家さんまにこう切り出した。
「あの、実はさんまさんに関する本を書かせていただきたいと思いまして」
緊張の一瞬。しかし、私にとってとても意外な返事が即座に戻ってきた。
「あ、タイトルに俺の名前が出てこん本やったら書いてもええわ」
その言葉はまるで百戦錬磨のベテラン投手から投げられたスローカーブのように柔らかなニュアンスだったが、瞬時にみぞおち辺りが痛くなる強烈なインパクトがあった。
それは静かな一言であったが「明らかな拒絶」であった。さんまとのこれまでの長い付き合いの中で、「緊張感を伴う痺れる体験」は数々あったが、この時ほどではなかった。さんまはその日の気分で言葉を二転三転させるような人物ではない。即決即断のその結論が覆ることは無く、これ以上押しても確実に駄目だとわかっていた。
「私とさんまとの公私に渡る長年の付き合いなら、きっとOKしてくれるだろう」──そう楽観的に考えていた自分を恥じた。
「本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」
明石家さんまは、自分のことを活字で残されるのが好きではない──それは芸能界において、もはや定説であり常識となっていた。
雑誌のインタビューに応じることは極端に少ないし、若い頃のわずかな例外を除いて、自らのことを語る著作などもほとんどない。さんまはこんな発言までしている。
「言っときましょう。私は、しゃべる商売なんですよ。本を売る商売じゃないんですよ。しゃべって伝えられる間は、できる限りしゃべりたい。本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」(1996年3月23日「MBSヤングタウン」)
これは、同じく「お笑いBIG3」のビートたけしが、『浅草キッド』をはじめとする自伝的小説を書き、時事評論的エッセイを定期的に発表するなど旺盛な執筆活動を続けているのと全く対照的である。
なぜさんま自身による書籍をつくることは困難なのか。芸能・出版関係者の中では見解は大きく2つに分かれる。
ひとつは「週刊誌に面白おかしく書かれてきたから出版物や活字媒体にアレルギーがある」という見方。
これは、彼の器の大きさを目撃してきた私からすれば、あまりに短絡的な見立てに思える。さんまは些細な噂話などの取材も見事に処理してしまうし、スキャンダル絡みで週刊誌の記者などが自宅付近に待機していても、ガレージに車を入れる前にパワーウインドウを開けて、記者に「ご苦労さ~ん。待ったやろ」と言って、記事にできるレベルのキャッチーな発言を返して、逆に記者を味方にしてしまうほどの人物である。
私が支持するのは、もうひとつの見方だ。
自分が発する言葉のニュアンスをとても大事にするがゆえ、活字媒体でそれを加工されるのを嫌うのではないか──。さんまほど「言葉を発する意味と瞬発力の重要さ」を知っている芸人は他にいない。生放送でのキレのある発言とその面白さは、誰もが知るところだ。
にもかかわらず、それが自分の与かり知らないところで曲解されたり、あるいは拡大解釈され、意図しない形で活字になり世に出たりすることを好まないのではないか、というものである。
話をさんまの楽屋に戻そう。
「自分の名前をタイトルに出さなければ書いてもいい」
ここまで強く拒絶されるとも思っていなかった私は冷や汗をかきながら、
「さんまさん。すみません。絶対に書きませんので、ご安心ください」
とどうにか伝え、そそくさと逃げるように楽屋を後にした。
その後、もはや暗くなりかけた冬の夜道、TMCから祖師ヶ谷大蔵駅までどうやって歩いたかも覚えていない。
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