「なんで? そんな馬鹿な……」90歳になった作家・阿刀田高さんが、ひとり暮らしの生活を明かす

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自宅のキッチンで皿を洗う阿刀田高さん

 短篇小説の名手で、『ギリシア神話を知っていますか』などの「知っていますか」シリーズで知られる作家・阿刀田高さん。

 妻の慶子さんが認知症を患い施設に入所して以来、阿刀田さんはひとり暮らしを続けてきた。2025年5月、慶子さんが亡くなり、阿刀田さんは90歳にして真の「ひとり」と向き合うことになった。

 著書『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)では、阿刀田さんがひとり暮らしの中で巡らせた思い、老いへの戸惑い、そして新たな発見が綴られている。

 その中には、「なんで? そんな馬鹿な」と感じる出来事や、いまは亡き人々に思いを馳せる時間が増えたことも書かれている。

 一体、阿刀田さんはどんな思いで日々を過ごしているのか? 著書から引用抜粋して紹介する。

 些細なれども日常の+と―

 ――なんで? そんな馬鹿な――
 鏡の中が戸惑いから苦笑に変わった。指先を見つめた。老いはこんなところにも忍び込んでくるらしい。
 ――ネクタイが結べない――
 たまたま背広を着る必要があって久しぶりにネクタイを一本取り出し、ワイシャツの首に巻いて締めようとしたら、これがスムーズに運ばない。
 思えばサラリーマンとしてスタートして十余年、その後も折々に、つい四、五年前には甲府の図書館の公務に関わりがあってネクタイは常用していたのだ。私にとってネクタイはむしろ好きな日用品であった。ダブル・ノットを常としていた。それがむずかしい。
 とりあえずシングル・ノットで締め、次に、
 ――ああ、こうだった――
 往年の習慣を思い出したが、胸に垂れ下った二本のバランスが悪い。昔はこんなことけっしてなかった。ス、スイのスイ、なんのためらいもなく奇麗に結んでサッと上着を着たものだった。
 ――世話になったな――
 あらためて二十本ほどぶら下がったネクタイたちを眺めた。
 ネクタイには思いのほか強い好みがあった。拘りがあった。プレゼントされたものは大抵好みに合わない。おしゃれなどあまり気にかけない人生だったけれど、ネクタイだけは自分で選んだ。
 高価な品を求めたこともある。海外旅行では必ずと言ってよいほど買い求めた。例えば一本二万円くらい……。でもこれは着用したのは十回くらいのものだったろう。
 ――一回締めると二千円か――
 みみっちいことを考えたこともあった。今、眼の前にズラリとぶら下がった数十本はみんな一締めごとにそこそこの金額だったはず。それが今や、
 ――兵どもが夢の跡――
 少し大げさながら、この感が漂う。
 ふと思い出して……同じ洋箪笥の下に納めてあるので、
 ――これは絶対駄目だろうな――
 そう念じながら角帯を一本取り出してみた。十数年前には時折和服を着用していた。キリッと帯を形よく締めて、いい気分……のはずだったが、今は途方に暮れて、
 ――どうするんだったっけな――
 早々にあきらめた。
 そう言えば、これも十数年前、着物を着なくなったとき、
「このごろ、お召しにならないわね。どうしてです?」
 と女人に質ねられてちょっぴり見栄を張った。
「女がいなくなった」
「えっ?」
「半襟をつけてくれる女がいない」
 半分くらい本音だった。あれは結構厄介な仕事なのではあるまいか。汚れたら取り替えねばならないし、汚れなくても趣向がからむ。大切な美意識だ。なのにわざわざ呉服屋に頼むことではなさそうだし、なにかうまい方便はあるのだろうが、しかるべき女性がいてくれると嬉しい。不自由していたのは本当だった。今はもちろんどうにもならない。そもそも角帯を締めることなど、もはやネクタイ以上に無用の技術である。

 先日コートのボタンが取れた。胸元の一番大切なボタンである。しかし、
 ――これは大丈夫――
 昔、昔の大昔、少し前まで小中学生でも竹槍持ってゲートルを巻き、兵士の真似ごとに励んでいたのに急に軍備は放棄、学校の時間割に家庭科が加えられ、裁縫をすることになった。確か初めは雑巾を縫うことだったろう。あの時しっかりと覚えた。長い人生でボタンつけだけは何度か復習を試みている。
 針に糸を通すのはほどよい器具が備わってある。糸を長めに引いてコートの胸にボタンをキリキリと縫いつける。もう死ぬまで、死んでからも取れないようにしっかりとつける。本当はコートの生地とボタンの間に一ミリくらいのゆとりを持たせるほうが正式らしいが、そんなことはできない。カチカチにつけても実用には役立つ。
 ――やったね――
 和服の襟替えとは大分レベルの違う作業だが、少しく満足を覚えた。
 ――そう言えば――
 衣服についてもう一つ不自由が残っていた。立派な、高価なジャンパーを入手したのに前を締めるチャックがうまくいかない。一番下のところで左右に分かれている歯を噛み合わせるはずなのに、これがどうにも不細工で何度試してもうまくはまってくれない。私が不器用なせい、とも考えたが、とにかく何度も、どう試みても駄目なのだ。
 ――欠陥商品ではあるまいか――
 取り替えや返品の手続きは面倒だろうし、そのままハンガーにぶら下げ、思い出してはいろいろやっている今日このごろなのだった。せっかくコートのボタンはうまくいったのに、これを思い出すとひどく不愉快になってしまう。

 話は飛ぶけれど、過日のNHKのテレビで、ブロッコリーのうまい食べ方を教示していた。ブロッコリーはほとんど毎日食しているのだが、あの太い茎の部分、
 ――もったいないな――
 と思いながら切り捨てていたのだが、あれは栄養価も充分、おいしい食べ方もあるんだとか。しばらくはテレビを見入っていた。方便はいろいろあるようだが私にはむずかしそう。とにかく茎の外皮のあたりを切りむき、芯の部分だけを取れば柔らかく調理ができるらしい。後日の知恵として心に留め、目下待機中である。
 老年の独り暮らしは、どんどんと日常の知恵を失っていくが、少しは新しく覚えることもあるみたい。このマイナスとプラスは、マイナスのほうが断然大きいことは疑いないけれど、たまにはプラスもあったりして、それが少し嬉しい。茶碗蒸しもこのごろなんとか作れるようになった。

阿刀田高(作家)
1935年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、1978年『冷蔵庫より愛をこめて』で小説家デビュー。1979年『ナポレオン狂』で直木賞、1995年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。2018年には文化功労者に選出された。短編小説の名手として知られ、900編以上を発表するほか、『ギリシア神話を知っていますか』をはじめとする古典ダイジェストシリーズにもファンが多い。

新潮社
2025年11月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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