極地探検家・角幡唯介が「43歳」を人生のピークと捉えた理由 『43歳頂点論』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

 デビュー作『空白の五マイル』でチベットの秘境ツァンポー峡谷を踏査し、『極夜行』で陽の登らない極夜の北極を歩き、近刊の『地図なき山』では広大な日高山脈に地図を持たずに分け入る——。

 誰も思いつかないような探検を次々と実践してきた探検家の角幡唯介さん。
 最新刊の『43歳頂点論』では、はじめての「年齢論」を執筆しました。

 角幡さんは、なぜ「43歳」を人生のピークと捉えているのか? 50代を目前にしたいまが「人生で一番楽しい」というのはなぜなのか?

 試し読みとして「はじめに」の冒頭部分を公開します。

いつのまにか四十八歳になっていた

 二〇二四年四月二十五日、私は十三頭の犬とともにカナダ・エルズミア島の海岸線に達した。北緯八十二度〇一分、北極海まであと五十キロの位置にある地球の陸地の北の果てだ。

 北極探検の拠点であるグリーンランド・シオラパルク村を出発したのは三月二十四日だった。氷河を登り、雪の砂漠としかいいようのない虚無的な内陸氷床を越え、アザラシやシロクマを追い、ときに氷点下三十五度の寒さや台風なみの大風に翻弄されながら、太古の旅人とおなじように七百キロもの道のりを前進してきたのだった。

 エルズミアに達するまで、じつに長い時間が必要だった。

 長い時間というのは村から到着までに要した約一カ月のことではない。よしエルズミアに行くか、との発想にうたれてから実現するまで、じつに十年の歳月が流れていたのである。エルズミア到達は期せずして私の宿願になっていた。

 最初はそんなつもりは全然なかった。むしろエルズミアなど容易に行けると思っていた。

 なにしろグリーンランドとエルズミアの間の海峡はせまいところでわずか幅三十キロしかない。海氷の状態がよく、かつカナダ政府の国境管理がいいかげんだった数十年前であれば、シオラパルクの猟師は、この海峡の南端のせまい部分(スミス海峡とよばれる)から気軽にエルズミアにわたり、シロクマやジャコウウシを獲っていた。場合によってはパスポートももたずにグリスフィヨルドというカナダ最北の集落まで行き、エスキモー同士交流を深めたりもした。氷の状態次第では数時間で海峡を横断できたとも聞く。

 グリーンランド(デンマーク)とカナダという近代国家に分断されているとはいえ、人類史というより大きな視点で見た場合、エルズミア島はシオラパルクの猟師、すなわち極地エスキモーとよばれる民族の生活圏内だった。彼らはエルズミアのことを単にAkia(対岸)とよぶが、実際にエルズミアの山々はグリーンランドの海岸からすぐ間近にのぞめる。環境的にも文化的にも現実にエルズミアはシオラパルクからとても近い。

 それにもかかわらず到達に十年を要したのである。

 理由は色々とあった。

 最初にエルズミアに行こうとしたのは二〇一五年七月だった。このときは翌年の極夜探検の準備のためカヤックで物資をはこぼうとしたのだが失敗した。潮汐(ちょうせき)を読み誤って物資の一部が流されたことが原因だ。でも、それがなくても渡れなかった気がする。

 スミス海峡は突然強風が吹き荒れることがあり海況を読みにくい。片道を渡るだけでもハードルが高いのに、往復となると海況を二度、完璧に読み切る必要がある。カヤックをはじめてたかだか一年あまりの私には、そのことがわかっていなかった。要するに完全に実力不足だったわけだ。

 でもそのあとは運に見放されたという側面が大きい。

 二度目の挑戦は二〇二〇年春、犬橇(いぬぞり)をはじめて二シーズン目だ。このときは氷の状態もよかったし、犬もそれなりに強かった。私自身、北極での旅をくりかえし極地環境についてよく知るようになっていた。経験的にも能力的にもエルズミアをめざす権利はあったといえる。ところがコロナという想定外の事案が発生しエルズミア行きは断念に追い込まれてしまった。村を出発したあとにカナダ政府の入域許可が取り消されたのである。

 コロナが収束してゆき国境封鎖が終わると、ふたたびカナダ政府の許可が下りるようになったが、今度は気候変動の影響で海峡が結氷しなくなり、行きたくても行けない状況がつづいた。

 エルズミアとグリーンランドは文字通り世界最北の陸塊であり、そのあいだを貫く海峡もまた世界最北の海峡だ。凍らないことなどひと昔前までは考えられなかったが、ここ十年ぐらいは結氷したりしなかったりをくりかえしている。

 そんなことがつづき、エルズミアに到達したとき私は四十八歳になっていたのである。

 カヤックではじめてエルズミアに渡ろうとしたあのときは三十九歳だった。

 三十九歳というのはちょっと独特な年齢である。四十歳の手前であり、かつ三十代という人生でもっとも華々しい期間が終わる年だ。

 年齢というのは相対的なものであるから、二十歳の若者にとってはいい大人だと感じられるだろうが、四十八歳となったいまの私から見たら未熟な若造でしかない、そんな年齢である。

 そう、たしかに四十八歳となったいま、私は三十九歳だったあの頃を若く感じる。

 写真を見ても肌の色艶はよく、できないことは何もないという自信に満ち溢れ、言説には力があり、ときの政権に反発をおぼえ、世間の価値観をクソだと断じ、他人の成功を聞いては、嫉妬でひそかに苦しんだ。

 しかしいまはそうではない。肌は徐々にたるみ、目のクマは深く、のこりの人生を計算してできることとできないことを選別し、政権には関心がなくなった。世間の価値観にはそんなもんだよねと理解をしめし、自己顕示欲がうすれたせいか他人の成功を一緒によろこべるようになった。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976(昭和51)年北海道生まれ。探検家・作家。チベット奥地の峡谷や、極夜の北極など独創的な探検を行い、近年は地球最北部で犬橇長期旅行を実践する。『空白の五マイル』『極夜行』『アグルーカの行方』『裸の大地』第一部・第二部『地図なき山』など著書多数。

新潮社
2025年11月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/