プロ棋士の底辺でもがき苦しんだ天才少年とその師が絶対王者へ挑む…人生のすべてを賭した熱き闘いを描く 『銀将の奇跡 覇王の譜2』試し読み

試し読み

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「今、われわれは最高の将棋小説の誕生に立ち合っている! とにかく読め、読めばわかるから!」葉真中顕

「将棋や棋士に興味がある人は迷わず読んでください。興味のない人は、迷った末にやっぱり読んでみてください。きっと夢中になって、そして彼らの続きが読みたくなります。」呉勝浩

 かつて奨励会でプロ棋士を目指した作家・橋本長道が描いた将棋小説『覇王の譜』の続編が刊行された。

 タイトルは『銀将の奇跡 覇王の譜 2』。

 7年間の低迷を経て覚醒し、遂にタイトルを摑んだ棋士・直江大と、その師で「孤剣」の異名で知られる師村柊一郎王将。ふたりが撃破を目指すのは、棋界に君臨し続ける絶対王者、北神仁4冠。

 トップ棋士たちの壮絶な死闘の結末とは?

 盤上に夢を託した棋士の群像劇を描いた本作の冒頭の一部を試し読みとして公開する。

     1

 掛け時計の針は二十一時を指していた。
 関西将棋会館では六局の対局が行われていたが、この時間まで残っているのは一局だけだった。御上段の間の将棋である。
 五階最奥にあるその部屋では、十八畳間の中央に置かれた盤を挟み、二人の男が向かい合っていた。
 床の間の向かい側、下座で上半身を微かに揺らしているのが直江大である。直江は真っ直ぐに盤に向かいながら、握りしめたネクタイの先を口元に当て、奥歯を噛みしめていた。
 対する剛力英明は上座で胡座をかいたまま左脇に脇息を抱え込んでいる。口元は歪み、時折小さな舌打ちが聞こえてくる。肩の辺りが筋肉で隆起しており、白いシャツは肉圧ではち切れそうだ。
 二人は関西奨励会の同期入会組で、ともに二十七歳である。直江は新設タイトルである蒼天の一冠を、剛力は王位・棋聖の二冠を手にしており、棋界序列四位と二位との戦いでもあった。
 それぞれ五時間あった持ち時間は直江が残り五分、剛力が残り十分にまで減っている。朝、十時に始まった対局は、二回の食事休憩を挟んで今に至っていた。
 夜の対局室には、直江と剛力の他に記録係の青年と観戦記者がいた。くせっ毛に銀縁眼鏡が印象に残る青年は三島雄生といい、一月前に行われた蒼天戦第五局でも記録係を務めていた。彼は直江の対局の記録を進んでとっているらしかった。記者の高松彰は奨励会上がりと聞いている。左手で口まわりの青い無精髭をさすりながら、A4判ノートにペンを走らせていた。朝は綺麗に剃られていたので伸びやすい体質なのだろう。

 泥仕合だった。
 朝から何度形勢が入れ替わったかわからない。
 強者同士が指せば先にリードを奪った者が差を守り切り、辛くも逃げ切る将棋が多くなるというのが定説である。しかし、その説は直江と剛力の二人には当てはまらないようだった。
 意地の張り合い、殴り合い。簡単に投げてたまるものか。
 二人の間に積み重なった過去の経緯が盤上に重力場を形成している。
 十八時四十分の夕食休憩明けからの不利な局面を耐え忍んだ直江は、焦れた剛力が前に出たところに勝負手を食らわせていた。
 「しぶといの……」
 剛力の喉から掠れたぼやきが漏れ聞こえてきた。
 勝負の最中に対局者同士が会話を交わすことは滅多にない。しかし、独り言のようなぼやきは耳を澄ませば飛び込んでくるものだ。
 盤上は直江が土俵際でうっちゃった格好である。師匠仕込みの粘り腰に、本来の持ち味である鋭い寄せの勝負手を加えることで逆転の絵図を描き切った。剛力の巨体は宙に舞い、すぐにでも地面に叩き付けられるはずだった。
 剛力が銀を取る。前からの読み筋だった。金銀の交換が行われた後、直江は間髪をいれず龍で追撃した。
 剛力は首を振って大きく溜め息を吐くと、いかにも苦渋の決断といったふうに駒台の金を自陣に埋めた。弱々しい、ほとんど音を立てない着手だった。
 今度は読みにない手である。
 棋理にない手。間尺に合わない手。
 そんな手で勝てるものか。
 しかしである。
 見れば見るほど、今しがた打たれた盤上の金に目が吸い寄せられていくのがわかった。
 瞬きをする。
 生唾を呑む。
 一秒読んで理解が追いつく。
 ―─なんて奴や。成立しとるやないか。
 攻め味が薄くなる分、軽視していた受けだった。
 「直江先生、残り三分です」
 三島が時を告げる。
(しぶといのは一体どっちや)
 直江は声に出さないよう、心の中でひとりごちた。
 勝てずとも、負けなければいいという発想──。
 剛力の狙いは千日手(せんにちて)だった。
 千日手とは同一局面が繰り返し現れ循環し続けることを指す。
 日本将棋連盟の対局規定では、同一局面が四回現れた時点で無勝負、指し直しとな
る。
 剛力の意図は六手一組の循環手順に持ち込むことだったのだ。このクリンチは妙に粘り強く、環から外れると即負けになる。
 手順前後。
 龍で追撃する前に桂馬での王手を入れていれば紛れなかったはずだ。
 剛力は勝負手を食らい、逆転された瞬間に気持ちを切り替え、その一瞬に賭けたのだ。死んだ振りをしたのである。
 大した勝負術だった。
 将棋は逆転された直後に最も隙が生じやすい。直江は剛力の企みを見抜くことができ
 唇を噛む。
 とは言え、痛み分けではある。逆転され、逆転したところをまた振り出しに戻されただけなのだ。
 双方ともに顔をしかめながら、循環手順を踏んでいく。六手一組で四回だから、厳密には二十四手の進行が必要となる。最早勝負ではなく、一種の儀式だった。
 同一手順三度繰り返したところで剛力は大袈裟に溜め息を吐くと天井を仰いで言った。
 「もう一局やな」

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

橋本長道
1984(昭和59)年、兵庫県生れ。1999(平成11)年、中学生将棋王将戦で優勝。棋士を目指して同年に新進棋士奨励会に入会するも、挫折を味わい、2003年に退会。2008年、神戸大学を卒業。2011年、『サラの柔らかな香車』で小説すばる新人賞大賞を受賞し、小説家としてデビュー。この作品で将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞を受賞する。2022(令和4)年に上梓した『覇王の譜』で二度目の将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞、「WEB本の雑誌」オリジナル文庫大賞を受賞。他の著書に『サラは銀の涙を探しに』『奨励会~将棋プロ棋士への細い道~』がある。

新潮社
2025年12月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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