「やりたいことがわからない」そんな人にこそ雑談が必要だと思う理由 「となりの雑談」桜林直子が教える雑談の醍醐味

ニュース

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


桜林直子さん

「雑談が苦手」という人が意外と多い。

 雑談に得意と苦手があるものかと思うかもしれないが、「自分のことを上手に話せない」「いつも聞き役に回ってしまう」など、話をする手前のところで引っかかってしまう人がいるという。

 そう分析するのはジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」のパーソナリティを務める桜林直子さんだ。

 桜林さんはマンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰し、3000回以上の雑談セッションを行ってきたなかで、「やりたいことがわからない」「何が好きなのかわからない」という人にこそ雑談が必要だと感じたという。

 そう実感した理由とは何か? 桜林さんの著書『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』(新潮社)から「雑談の醍醐味」を綴ったパートをお届けする。

出さないと出てこない

 雑談をしているとよく出てくるテーマがある。

「やりたいことがわかりません」
「自分が何が好きなのかわからなくなってきました」
「怒りや喜びが薄くなってきて自分の感情がわかりにくいです」

 そういう人にこそ雑談が必要だと思っているので、ようこそ、よく来たね、と思う。そして、かつてわたしも同じように感じていたので、その状態がとてもよくわかる。

 自分のことなのによくわからない。出そうとしても出てこない。絞り出すようにして出したとしても、出てきたものを「これ、ほんとかな?」と、いまいち信用できない。

 当たり前のように欲や感情が出てくる人からすれば、「好きとか怒りとかって、考えて出すものじゃないのでは?」と思うだろう。その通りで、本来は欲や感情は自然に出てくるものだ。小さな子供にとって、好きなものやしたいことに理由などない。うれしいときは全身で喜び、不快なときは泣いたり怒ったりして抗議する。だけど、いつしか出せなくなってしまった人がいる。それも、思ったより少なくない。

 自分の欲や感情をいつしか見失ってしまったと言う人たちに、いつからそうなのかなと「子供の頃からそうでしたか?」と聞いてみると、
「いつも母の持っている“正解”を当てるように行動していました」
「気分屋の父の機嫌を伺って過ごしていました」
「母がぜんぜん話を聞いてくれないので寂しかった」
 などと、当時を思い出しながらそれぞれの経験を語ってくれた。

 子供にとって初めての自分の居場所は、自宅である家だ。家は、外からは見えない密室で、そこしか知らない子供にとっては「絶対」の場所だ。この世に生まれて数年、そこでの経験は、自分を形成する土台になる。

 その大事な時期に、自分の内側から湧き出てくる感情よりも、外側にある親など大人の感情や考えを優先したり、相手の機嫌に合わせて出すものを調整したりしないと身の危険を感じた子供は、湧き出る感情をそのまま出してもいいとは思えなくなる。こちらの感情や考えを先に出すと「失敗」する可能性があるからだ。

 本当は自分の感情に正解も失敗もないのだけれど、大人の意図や気分が優先されるその家の中では「失敗」はある。また、どんなに感情を出してぶつけても話を聞いてもらえず、受け取ってもらえないと感じることが多かった子供は、出しても意味がないと伝えることを諦めるようになる。

 そうして自分の身を守るために感情に蓋をしてしまった子供が、やがて大人になっても、相手の顔色を窺って、正直な思いを出せないクセがとれないままということがある。「思ったことを言っていいですよ」「好きなことをしていいですよ」と突然言われても、出してもいいと思ったことがないので、または実際に出すことを許されていなかったので、いざ出そうとしても急に出てくるわけがないのだ。かつて自分を守るためにできた蓋が、今度は妨げになってくる。

 誰かの持つ正解を先回りしてその通りに出すことは得意でも、正解を問わず自由に考えや感情を出す場では途方に暮れてしまう。自分で選んでいるつもりが、自分のしたいことってなんだろう。本当にこれがしたいのだろうか。これで合っているのだろうか。と、不安になってしまうのだ。

 自分の欲や感情が出てこないようにしたことで、我慢することがクセになる。したいことがわからないだけではなく、自分は我慢すべき存在なのだというように、わざわざつらい方を選んで我慢することもある。我慢強いことが自分の価値になり、つらい場所で我慢することで、ようやく存在していいと思えるからだ。

 欲や感情を抑える蓋の硬さや厚みは人によって異なるが、欲や感情を取り戻すためには、少しずつでもその蓋を剥がしていく必要がある。

 自然になくなるとは思えないので、まずは蓋があることを自覚して、それがいつか誰かに言われた言葉や、誰かに対処するためについたクセだと知る。蓋は自分自身に生まれつき備わっているものではなく、環境に対処するために後からできたものなので、新しい考え方ややり方をクセにすれば、時間はかかっても古いクセは必ずとれていく。わたしは、そう考えている。

 蓋を剥がす作業をひとりでするのは困難なので、人に話すことで蓋の存在を自覚しながら一緒に剥がしていくといい。

 信頼できる人と雑談することで、ずっと出さないでいたら出てこなくなってしまった自分の欲や感情を少しずつ取り戻せるといい。

 自分のことなのに、何がしたいのか、何が好きか、よくわからないという状態は、自分の今後を決めようとするときに行き先が見えなくてとても困るから、自分をもっとよく知るために雑談をするといい。

「そういえばこんなことがあったな」などと直接は関係なさそうな、たまたま出てきた話の中に、自分の欲や感情の端っこが見えたりするから。

雑談の醍醐味

 人はどうしたって思い込む。信じると言い換えてもいい。事実よりも、自分が見たいように見たものを信じてしまう。自分が見たもの感じたことがすべてだとも言えるので、事実とはなんぞやと思う。自分から見た世界は、事実なのだろうか。

 欲や感情に蓋をしている状態にある人が「わたしって、やりたいことがないんです」というとき、それはその人にとっての事実だ。しかし、欲や感情がある人とない人がいて、自分は「ない側」だと立ち位置を固定してしまうと、蓋を剥がすのは難しくなる。

 今までがどうだったか、現状がどうか、今後はどうか。これらは地続きだが、「今までがそうだったから今後もそうだ」と決めつけるのは「本当にそうかな?」と問うべきだろう。

 過去の経験についての話を聞いているとき、相手の口から出てくるものは、その人にとって本当のことで、紛れもなくその人が見てきた世界だ。どんな出来事があったとか、それをどんなふうに捉えているかを聞いて、一旦、それが事実かどうかよりも、「その人にはそう見えている」ということを大事にする。頭の中でたくさん考えてきたことや、いろいろな感情を、雑談することによってまずはテーブルの上にそのまま全部出してみてほしい。

 自分の内側にあったものを外に出すと、自分でも客観的な目で見ることができるし、何より他人の目からも見えるようになる。

 話しているうちに糸口が見えると、芋づる式に言葉が連なり出てくることもあるし、何かが引っかかって違和感を覚えて話しにくくなることもある。どちらにしろ、自分の内側にしまい込んでいるだけだと気がつかない。外に出す作業をしてようやくわかる。

 話すことで外に出したものを、ふたりで一緒に眺めてみる。多く使われた単語が見えたり、矛盾が見えたり、いくつかの種類の感情が混ざっているのが見えたりする。

 話し終えたときに、「こんな話するつもりじゃなかったのに、出てきちゃいました」と、話した本人も驚くことがある。それこそが、雑談の醍醐味だ。

 話し始めは、普段頭の中でぐるぐる考えていることを恐る恐る出してみる。頭の中にあったときは複雑でぐちゃぐちゃなイヤなものだと思っていたけど、出してみたらあまり大したことではなくて拍子抜けした。でも、それにくっついて他のものまでゾロッと出てきた――そういうことがよくある。

 テーブルの上に出してくれたものを一緒に眺めながら、風を当てる。ぎゅっと固まったものを広げてみることで、ひとつひとつを観察し、思い込みを疑えたり、邪魔をしているものの存在が見えてきたり、大事なものの傾向が見えてきたりする。わたしが「雑談」でしているのは、おそらくそういうことだ。

桜林直子
1978年、東京都生まれ。洋菓子業界での勤務を経て、2020年にマンツーマン雑談サービスをスタート。著書に『世界は夢組と叶え組でできている』『つまり“生きづらい”ってなんなのさ?』などがある。ジェーン・スーさんとのポッドキャスト「となりの雑談」も人気。

新潮社
2025年12月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/