
向田邦子さん(撮影・新潮社写真部)
戦後のテレビ草創期から活躍し、ユニセフ親善大使としても活動してきた黒柳徹子さん。
俳優や音楽家、カメラマンなど、多彩な表現者と交流を重ねてきた黒柳さんにとって、脚本家で作家の向田邦子さんは、とりわけ身近で親しい存在だった。
料理上手で、おいしい店をよく知り、人をもてなすことを楽しむ人。霞町マンションの部屋で振る舞われた手料理や、何気ない会話の数々が、いまも鮮やかによみがえるという。
食いしん坊の黒柳さんと、食を愛した向田さん。笑いの絶えなかった日常から浮かび上がるのは、作家としてだけではない、向田邦子という女性の魅力的な素顔だ。
今回は、黒柳徹子さんの決定版自叙伝『トットあした』(新潮社)から、向田邦子さんと何げなく過ごしていた日々の貴重な思い出を一部抜粋・編集してお届けする。
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- トットあした
- 価格:1,760円(税込)
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また、私の食いしん坊の話になるけど、私の食欲などについては、お医者さまに不思議がられることがあった。
その方は小森昭宏先生といって、脳外科医であると同時に、童謡「げんこつやまのたぬきさん」「おべんとうばこのうた」などで知られる作曲家でもあった。NHKテレビの人形劇「ブーフーウー」(「夢であいましょう」や「若い季節」と同じころの番組で、私は三匹の子ぶたの末っ子、ウーの声をやっていた。台本は飯沢匡先生)も、小森先生の音楽だ。
それに加えて、小森先生のお父さまは新交響楽団(いまのNHK交響楽団の前身)のティンパニ奏者で、同じオーケストラのヴァイオリニストでコンサートマスターだった私の父と長い交流があった、という縁もあって、私たちはよく一緒にお食事に行っていた。
その席で、小森先生に不思議がられたのは、私のあまりの食べっぷりで、
「おかしいな。これだけ食べるひとは、普通は百貫デブ(百貫というのは三七五キロくらいだそうだけど、肥満したひとをからかう、そんな言い方があった)になるんだけどなあ」
と、あきれるように言った。
病院の人間ドックでは、お医者さまから、「どうやら、他のひとの何倍か消化が早いみたいです」と言われたこともある。確かに、昼に盛岡でわんこそばを百杯いただいたあと、東京へ帰って、フルコースをおいしく平らげても、全然平気だった。
消化が早いせいか、食いしん坊のせいか、私は食べるのが早いらしくて、例えば、日本料理屋さんのお座敷でやった対談の席で、私がお食事を出されるままにいただいて、デザートのメロンをおいしく食べているのに、お相手の山川静夫さん(NHKアナウンサーだった)はまだ、つき出しを食べていたので、山川さんをビックリさせたことがあった。
なにしろ、山川さんのつき出しの横には、お刺身や、お吸い物、焼き魚、お野菜の煮もの、酢のもの、てんぷら、茶そば、と、私はもういただいたけど、山川さんの方はまだ手つかずのお皿やお椀が一メートル半くらい並んでいて、そのおしまいにメロンが置かれていた。
これは別に、対談のあいだ、私がずっと黙っていて、食べるのに集中していたわけではない。対談を撮影していたカメラマンの男性は、「そう言えば、黒柳さんが召し上がっているところ、見ませんでしたよ」と首をかしげていたし、山川さんは、あとで対談が載った雑誌を見て、「黒柳さんの方が、たくさんしゃべっている!」と驚いていらした。
コラムニストの山本夏彦さんとの対談の時は、お料理を運ぶおねえさんが、私がすぐお皿を空っぽにするものだから、次から次に運ばなくてはいけないと、あせって畳の上ですべってしまい、お盆を持ったまま、きれいにステンと転んだこともあった。これには私も申し訳なく思って、以来、できるだけ、ゆっくり食べるように意識はしているのだけど、ついつい早く食べてしまう。
そんなふうに、ものすごく早く食べるおかげなのかどうか、私は、食べる量のわりには、確かに、あまり太らない体質みたいだった。
向田邦子さんが亡くなる少し前に、彼女のおすすめの中華料理屋さんに一緒に行ったときも、テーブルに座るなり、「太らないわね」と言われた。知り合って十五年くらいになっていたけど、向田さんの体形も変わったように見えなかったので、
「あなたも変わらないじゃない」
と言うと、向田さんは笑って、
「私、氷嚢みたいなの!」
と言った。
ひょうのう、は袋の上のほうでくくってあって、下に行くにしたがって、中に入れた氷水で、でっぷりと、ふくらんでいく。
顔が小さい向田さんが、自分の体形を愉快にたとえた表現だった。
向田さんは、おいしい店をたくさん知っていて、よく一緒に食べに出かけた。だけど、あらためて考えてみたら、どこかのお店に行くよりも、向田さんのお部屋で、ふるまわれた手料理をおいしくいただいた回数のほうが、はるかに多いに違いない。
「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」など、数々の向田ドラマをつくった久世光彦さんは、『触れもせで 向田邦子との二十年』という本に(これは、向田さんへの久世さんの思いがたくさん、つまった本だ)、彼女の部屋で「寺内貫太郎一家」の打合せをしたときのことを書いている。
「行きづまると向田さんは台所へ立って薩摩芋のレモン煮とか、顔を顰めるくらい酸っぱい梅干しとかを持ってくる。客人として訪ねて、あんなに居心地のいい部屋はなかった。肝心な話より、余談、雑談、無駄話の方が多くて能率の悪い部屋ではあったが、静かで楽しい部屋だった」
ここで久世さんが書いているのは、向田さんの終の棲家になった、南青山のマンションの部屋のことだけど、その前に向田さんが住んでいた、霞町マンションのお部屋も、「客人として訪ねて、あんなに居心地のいい部屋はなかった」ことを私は知っている。居心地が良すぎて、私はほとんど毎日、霞町マンションの「Bの二」号室に入り浸っていたくらいなのだから。
それは、木造モルタル三階建ての二階の、そんなに大きくない一室だった。玄関を入ってすぐ右手に、向田さんが仕事をしている机があって、私はその脇にあったソファに横になって、向田さんとたわいのないおしゃべりをしたものだった。ソファの向かいに本棚があって、その上にはいつも伽俚伽というシャム猫が乗っかっていた。私が、おなかがへったと言うと、向田さんは、頭にキリリとヘアバンドをして、台所に立ち、チャッチャッと、ごはんをつくってくれた。
久世さんは「薩摩芋のレモン煮とか、顔を顰めるくらい酸っぱい梅干し」をいただいたそうだけど、私が向田さんの手料理でおぼえているのは(あまりに数多くいただいたせいで、かえって、よくおぼえていないのだけど)、茄子の煮びたしとか、古漬けをきざんで覚弥にしたものとか、長ネギのアツアツ油かけとか、サヤインゲンとおろした生姜を和えたものとか、凝ったところでは、トビウオのでんぶとかを出してもらった。
どうやら、そんな料理は、向田さんの『父の詫び状』に出て来る、あのお父さまの晩酌の肴のために、手早く、珍しく、おいしいものをと、考案されたものが多かったようだけど、お酒を飲まない私はごはんのおかずとしていただいて、どれもこれも、おいしかった。「スプーン二杯入れたら、あら不思議、たちまちサッポロの名店の味に!」というフレコミの、ご自慢の自家製タレをたらしたインスタント・ラーメンも、おいしくて、そのタレを少し、わけてもらったこともある。
そして、私が「おいしいわ」と言うと、「そうかしら?」なんて絶対に謙遜しないで、
「案外でしょう?」
なんて、チラッと自慢げに言うところも、私は好きだった。
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