
向田邦子さん(撮影・新潮社写真部)
戦後のテレビ界を代表する脚本家として、数々の名作ドラマを世に送り出した向田邦子さん。
黒柳徹子さんが向田さんと出会ったのは、TBSのスタジオだった。向田さんの筆が遅かったおかげで顔を合わせることができた。そんな偶然が、長い交流の始まりとなった。
当時、黒柳さんの心に残ったのは、向田さんが語った「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉だった。しかし若かった黒柳さんには、その人生観はどこか実感を伴わないものに思えたという。
だが、直木賞受賞のスピーチ、そしてあまりにも突然の別れを経て、その言葉はまったく違う重みをもって胸に迫ってくる。
今回は、黒柳徹子さんの決定版自叙伝『トットあした』(新潮社)から、作家向田邦子さんとの交流の記憶を一部抜粋・編集してお届けする。
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- トットあした
- 価格:1,760円(税込)
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向田さんが杉並の実家を出て、霞町に引越したのは、前の東京オリンピックの開会式の日だったというから一九六四年十月十日のこと。彼女が三十五歳になる前の月だ。そして霞町から南青山へ引越したのは六年後、一九七〇年暮れだった。
私が出会った時、向田さんは三十代半ばだった記憶があるから(私は四歳年下)、霞町に引越した翌年あたりのことだと思う。向田さんの書くものによく出演していた加藤治子さんが、私を霞町マンションへ連れていってくれた。
そもそもの出会いは、赤坂のTBSのスタジオだった(私はまだNHKをやめていなかったけど、他の局の番組に出始めていた)。向田さんの書いた、連続もののラジオドラマに出たはずだけど、犬が出てきたこと以外、内容もタイトルも残念ながら、おぼえていない。
いま「向田さんの書いた」と書いたけど、正確には、私がスタジオに行ったとき、いつも筆が遅い向田さんのシナリオは、まだ書きあがっていなかった。こういうとき、作家は、お尻に火がついた状態の番組スタッフにせっつかれ、ペンと原稿用紙を持って、現場にやってくることになる。私たちがスタジオで収録を始めたとき、ガラスの向こうで、向田さんは次の回の原稿を必死に書いていた。つまり、私たちは、向田さんの筆が遅かったおかげで、会うことができたのだ。
ようやくシナリオを書き終えて、ホッとした感じでいる向田さんは、きれいだった。初対面のあいさつをすませた私は、向田さんが髪の毛をきちんとセットされているのを見て、「すごく髪の毛きれい」と言ったら、「どんなときでも頭だけはね。ほかはともかく」と笑った。その言い方や笑い方が、素敵だった。
確かに向田さんは、化粧水をぬって、濃いめの口紅をチョンとつけておしまい、みたいなさっぱりしたメイクをしていた。服装も、後から思えば「いかにも向田邦子!」という感じの、黒がベースのシンプルなものだったし、声も気持ちのいい、少し低音で、少し早口の、それでいて、やわらかいしゃべり方をした。総じて、落ち着いた、知的なお姉さん、という雰囲気だった。私たちは初対面のときから、どこか通じ合うもの、似通ったものを、お互い感じ合っていたと思う。
(このとき以降も、いつだって、「頭だけはね!」の言葉どおり、向田さんの髪は、本当に、手入れが行き届いていた。人としゃべっているとき、しょっちゅう無造作にかき上げていたから、よく手入れされているとは、あまり、気づかれなかったかもしれないけど、きちんと美容院に通っている髪だった。真ん中から分けた黒い髪を、耳の下できれいに切りそろえた、いつものヘアスタイルは、向田さんの小さな顔と、知的な額と、ときおりキリリと吊り上がる美しい目に、とても似合っていた。)
その初対面のときか、二度目に会ったときのことだ。とにかく、やはりTBSのスタジオでのことで、書きあがったばかりの向田さんのシナリオを読むと、「禍福はあざなえる縄のごとし、って言うでしょ?」みたいなセリフが出てきた。だいたいの意味はわかっていると思ったけど、念のため、向田さんに尋ねてみた。
向田さんは、
「人生では、幸せと災いは、かわりばんこに来るの。いいことがあると、必ず、そのすぐ後に、よくないことがあって、でも、その逆もある。つまり、幸福の縄と不幸の縄とを縒ってできているのが人生だ、ということじゃないかしら」
と答えてくれた。
根っから楽天的な私が、ほとんど反射的に、
「あら、でも私は、幸せの縄二本で編んでいる人生がいいな。そういうことって、ないの?」
と質問したら、向田さんは、
「ないの! ないのよ」
と笑って答えた。
その後、長いあいだ、このやり取りを、私が深く考えることは、なかった。やがて、はっきり思い出すことになったのは、向田さんが直木賞を受賞した時の、お祝いのパーティ会場でのことだった。私は、向田さんから頼まれて、そのパーティの司会をしていた。
乾杯の前に、私が「向田さんから、まず、ひとこと」と言うと、向田さんがマイクの前に立って、こう述べた。
「私は長いこと、男運の悪い女だと思い続けてきました。この年で定まる夫も子どももいません。でも、今日、こうやってたくさんの方に、お祝いをして頂きまして、男運が、そう悪い方じゃない、ということが、やっとわかりました。私は欲がなくて、ぼんやりしておりまして、節目節目で、思いがけない方に、めぐり逢って、その方が、私の中に眠っている、ある種のものを引き出してくださったり、肩を叩いてくださらなかったら、いまごろは、ぼんやり猫を抱いて、売れ残っていたと思います。ほかに、とりえはありませんけど、人運だけは、よかったと、本当に感じています。
それと、今日は十月十三日ですが、この日は、私の中に感慨がございます。五年前のいまごろ、私は手術(乳ガン)で酸素テントの中におりました。目を開けると、妹と澤地久枝さんがビニール越しに私を見ていたので、『大丈夫』と言ったつもりが、麻酔でロレツがまわりませんでした。そして、明るく人生を過ごすことができるのか、人さまを笑わすものが書けるのか、どれだけ生きられるかも、自信がありませんでした。頼りない気持ちでした。でも、たくさんの方のあと押しで、賞も頂き、五年ぶりに、いま『大丈夫!』とご報告できるように思えます。そんなわけで、お祝いして頂くことは、私にとって感慨無量です。ありがとうございました」
ステージの横で、笑ったり、胸を打たれたりしながら、このスピーチを聞いていた私は、十何年ぶりかで、向田さんから聞いた「幸せと災いは、かわりばんこに来るの」という話を思い出していた。そして、(本当に、向田さんが言ったとおりだったわ。なのに、私ったら、幸せの縄二本の人生はないの? なんてバカなことを言ったものね)と司会席で、こっそり、おかしがっていた。
このパーティから一年も経たないうちに、向田さんは、家族や友だちやファンや猫を残して、卒然と、台湾の空で消えてしまった。
向田さんの最後の六年間に起きたことは――大きな手術があり、そして「冬の運動会」「家族熱」「阿修羅のごとく」「あ・うん」といったドラマや、「突然あらわれてほとんど名人」と山本夏彦さんに激賞された数々のエッセイの執筆、さらに『思い出トランプ』の短篇小説で直木賞受賞、そして翌年の飛行機事故、だった。
向田さんが亡くなった一九八一年には、私がトモエ学園の小林校長先生や、泰明ちゃんをはじめとする仲間たちや、そこでの教育の風景みたいなものを残しておきたくて『窓ぎわのトットちゃん』を書き、思いもかけないほど、たくさんの方々に読んでもらうことができた。それはとても幸せな出来事だったけど、本が出た、わずか五ヶ月後に、最愛の友だちである向田さんを亡くしてしまった。
いくら楽天的で、呑気者の私でも、「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉が重く、胸に響いてきた。
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