
向田邦子さん(撮影・新潮社写真部)
戦後のテレビ草創期から第一線で活躍してきた黒柳徹子さん。数多くの作品や出会いを通して、さまざまな表現者と深い交流を重ねてきた。
その中でも、脚本家・作家として活躍した向田邦子さんは、黒柳さんにとって特別な存在だった。撮影の合間に通った霞町マンションで、仕事やおしゃべりを共にする日々が続いていたという。
昼に会い、夜は電話で話す。仕事仲間や友人という言葉だけでは表しきれない、親密な時間がそこにはあった。
時を経て、向田さんの人生や心情を知ることで、当時の記憶は新たな意味を帯びてよみがえる。それでも思い出されるのは、笑いの絶えない日常の断片だった。
今回は、黒柳徹子さんの決定版自叙伝『トットあした』(新潮社)から、向田邦子さんと過ごした霞町マンションの日々を振り返る一篇を、一部抜粋・編集してお届けする。
***
それにしても、毎日毎日、向田さんの霞町マンションに通って、何時間も過ごして、よく、あんなにおしゃべりすることがあったな、といまでも思う。あの時間は、いったい何だったのだろう?
当時は民放ドラマが最初の盛り上がりを見せていた時期で、私などにも、よく声がかかっていた。私は、渋谷のNHK、六本木のNET(いまのテレビ朝日)、赤坂のTBSでの仕事が多く、各局にまたがってドラマの掛け持ちもしていたので、ちょうど霞町(いまの西麻布あたり)の向田さんのお部屋は真ん中になるから、撮影と撮影の合間などに、ちょこっと遊びに行きやすかった、ということもあると思う。
もうひとつには、まだ向田さんが、そんなには忙しい時期でなかったこともあるかもしれない。「いま、ちょっと忙しいの」と断られたり、打合せの来客があったりすることが、二、三度続けば、さすがの私も遠慮するようになっただろう。私が訪ねていくと、もちろん仕事をしている時も多かったけど、毛ほどもイヤな顔は見せなかった。
向田さんが仕事をしている間は、私は自分の出るドラマのセリフをおぼえたり、伽俚伽はシャム猫なんだけど、〈名犬ごっこ〉と称して、紙のボールを投げて、じゃらしたりしていた。私は放っておかれても平気な人間だから、向田さんも気兼ねなく、机に向かっていたのだと思う。
彼女の仕事が一段落すると、おしゃべりの時間になる。のちに、向田さんが、まだ珍しかった留守番電話を自宅に取りつけた時(これはもう南青山へ引っ越したあと)、一分ずつしか録音できないテープに向かって、私が連続九回、早口で吹き込んだあげく、「じゃあ、用件はじかに会ったときに話すわね」で終えた話をエッセイに書いて、それが有名になったから、ふたりでいるときも、私が一方的に、喋っていたと思われるかもしれないけど、向田さんもおしゃべり好きだった。
私は、夜は世田谷の実家に帰るので、向田さんちに泊ったりすることはなかった。向田さんが亡くなってから、母に「あなた、本当に向田さんと仲が良かったわね」と言われたことがある。「どうして?」と聞くと、「昼間、向田さんちに寄ってた、って言うでしょ。それが、夜、家に帰ってからも、電話で向田さんとずっと喋ってるんだもの。お仕事が休みの日もよ。よく話すことがあるなあって感心してたの」。
でも、いったい何を話していたのだろう? 日記をつけていたらよかったと残念なほど、記憶がない。それくらい、他愛もないことを、飽きることなく、来る日も来る日も、喋っていたのだろう。前にも書いたけど、向田さんが三十五、六歳、私は三十歳を過ぎたばかりの頃だった。ボーイフレンドのこととか、そんな年頃の女性同士なら、話題に出てもおかしくないだろうけど、男の人の話になったことは一度もなかった。
そのころ、霞町マンションの部屋で、私が、ひとつだけ、疑問というか、うらやましく思っていたのは、帽子をかぶった向田さんのとても素敵な写真があったことだ。いまと違って、みんながカメラを持っている時代でもないし、私は写真を撮られる側の仕事をしているわけだけど、芸能人って、良さそうな写真が撮れたなと思っても、「今日の写真、出来上がったらくださいね」と、よほどしつこく頼まないと、意外と自分の写真を頂けないものなのだ。それが、向田さんが、明らかに素人が撮ったものじゃない、すごくきれいな写真を何枚も持っていたので、(いいなあ、どうしたんだろうな)と思って、しかし、わざわざ尋ねることもなく、そのままになっていた。
そんな疑問が解決したのは、向田さんが亡くなって二十年が過ぎたころ、妹さんの和子さんがお書きになった『向田邦子の恋文』で、年の離れたカメラマンの恋人がいたことを知った時だ。霞町マンションで見た写真の向田さんが、輝くようなうつくしさで、うつっていた理由がわかった。でも、向田さんは一生懸命に尽くしたのだけれど、やがて、病気がちだった恋人は自殺してしまった。そして向田さんは実家を出て、霞町マンションに引っ越したのだ。
私と出会った頃の向田さんは、人生で少し空白のような時期だったのかもしれないと、『向田邦子の恋文』を読んで、腑に落ちた気がした。だから、少し年下で、外で聞いた面白い話もすれば、黙って猫と遊んでいたりもする、私のような存在が、気楽で、ちょうど良かったのかもしれなかった。
これは、その当時から、ぼんやりと感じていたことだけど、向田さんは面白い話や噂話が好きで、二人で笑ってばかりいたのに、虚無的は言い過ぎだし、達観したとも少し違うけど、薄く刷毛で刷いたような翳がある人だった。その頃の私は、そんな向田さんの翳を、私にはない大人っぽさ、のように見ていたかもしれない。私よりお姉さんだから、大人っぽく感じても当り前かもしれないけど、和子さんの本でお相手のことを知ると、ずっと失われていたジグソーパズルの一片が見つかったような気もする。自分のことがあったから、私に「誰かいるの?」みたいなことも聞かなかったのだ。
めずらしく霞町マンションでの会話を思い出したけど、ある年上の俳優さんが、連日やってきて、向田さんに別れ話のグチというか、未練みたいなことを、こぼすのだという。「彼女、ここに来て、毎晩泣くのよ。困っちゃう」と向田さんは言っていたが、それは自分が乗り越えてきたことと較べたら、生きて別れるくらい、大したことないじゃない――と考えていたのかもしれなかった。
あの飛行機事故があって、向田さんの秘めた一途な恋のことを知ると、どうしても、しんみりしてしまうけど、少しおっちょこちょいなところもあって、明るいことが好きで、人を楽しませることが上手で、よく一緒に笑い合ったことも、折にふれて思い出していきたい。
ああ見えて、字が下手だった。シナリオのト書きに「少し狼狽して」と書いたのが、ほかのひとには「少し猿股して」としか読めなくて、その役を演じる池内淳子さんに「ここで私が、ちょっと穿くという意味ですか?」と真剣に聞かれたこと。
まだ生放送の時代に、あるドラマで、女スリが怪しまれないよう、カモフラージュ用の赤ちゃんを抱いていたのだけど、結局、逮捕されて、その赤ちゃんを今度は婦警さんがあやしながら、「早く手紙を持って来て」と言ったから、撮影現場が混乱したこと。向田さんは「牛乳」と書いていたのだ。
筆が遅いから夜中に原稿を自分で印刷所まで届けて、帰りのタクシーで、運転手さんに「私、やっと仕事が終わったから、帰ったらシャワーを浴びて、ビールを呑んで寝るのよ」とか言って、自宅マンションの前に着いたとき、左手に持った千円札じゃなくて、右手に持った家の鍵の方を運転手さんに渡したのに気づかず、おつりをあげるつもりで、「これ取っておいて」「奥さん、いいのかい」「いいわよ」となって、運転手さんに「本気にするぜ」と言われたこと。
ついにタクシーで届ける時間もなくなって、印刷所で原稿を書くこともあった。印刷所の小部屋に入れられて、机がガタガタしても、それどころじゃなくて、向田さんは必死で筆を進めた。だんだん原稿用紙があたたかくなってきたけど、それも構わずに書いていたら、印刷所の人が近づいてきて、「あのう」「待ってください。もう少し!」「そこは……」「〆切に間に合わないんです! この場所、お借りします!」「いや、それ、おれたちの夜食なんです」。「私、お弁当の上で原稿書いてたのよ」と笑っていたこと。
久世光彦さんから珍しく時代劇、それも捕物帳のシナリオを頼まれた向田さんは、例によって、〆切を大幅に過ぎてから、ようやく書き終えて、イライラして待っている久世さんのところへ持っていった。久世さんが見ると、原稿を綴じた表紙に「顎十郎捕物帳」とある。
「こんなに待たせておいて、面白いんだよね?」
と問う久世さんに、
「たぶんね。顎って、画数が多いから、書くのに疲れちゃった」
と笑って、向田さんは帰った。
久世さんは楽しみに読み始めた――夜な夜な、江戸に妖しい事件が起きる。現場には、かならず、くちなしの花が一輪、残されている。物語はとても謎めいていて、ヒロインは美しく魅力的で、彼女を助ける主人公の顎十郎もカッコよく、江戸情緒もたっぷりだ。久世さんは「いいぞ、いいぞ」と、ワクワクして読み進めたのに、とうとう最後まで、下手人(犯人)がわからないままだった。しばし呆然としたあと、久世さんが慌てて電話して、「下手人が出てこないじゃないか!」と問い詰めたら、向田さんは、自信ありげだった昼間の様子とは打って変わって、とてもしおらしい声で、「そうなのよ。どうしようかしら」と言ったこと。
私にごちそうしてくれるために、「鯛より断然安くて、断然おいしいのよ」と言って、トビウオのでんぶを、こしらえてくれたとき、トビウオを茹でて、皮から身をとって、骨も小骨もきれいにとって、それを砂糖と味醂とお酒と合わせ、パラパラになるまで丁寧に炒めて、「できたわよ!」と言いながら、骨や皮の方じゃなく、出来上がったばかりのでんぶを勢いよくゴミ箱に放り込んだこと。
そんなことを思い出していると、無性に会いたくなってたまらなくなる。だけど、会おうにも、電話をかけて、留守番電話に吹き込むことさえできない。
「私が書くものに、徹子さんみたいな人は出て来ないの」と言っていた。確かに、「寺内貫太郎一家」を見ても、「阿修羅のごとく」を見ても、「私のやる役はないな」と思う。出会いのきっかけになったラジオドラマ以外、結局、私は向田さんの書くものには一度も出ないままで終わった。ただ、向田さんは、
「でもね、外国映画に出て来るおばあさんみたいに、あなたにしかできない面白いおばあさん役って、あると思うの。早くおばあさんになってね、私、書きたいから」
と言っていた。そのあとも何度か、「早く、おばあさんになってよ。あなたがおばあさんになるのを、私は楽しみにしているのよ」と言ってくれた。私もどれだけ楽しみにしていたことか!
もう、歳をとる楽しみは永遠に失われてしまったけれど、それでも、向田さんは私に、いったい、どんなおばあさんを書いてくれただろう、と考えることだけは、ある。
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