いま最注目の直木賞作家が〈小説家・小川哲〉を主人公に描く承認欲求のなれの果て! 『君が手にするはずだった黄金について』試し読み

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青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する全6作の連作短篇集。

『地図と拳』で直木賞を受賞し、『君のクイズ』が映画化され話題沸騰中の最注目作家の本屋大賞ノミネート作『君が手にするはずだった黄金について』(小川哲・著)から、本好き学生の就活と恋模様を描いた「プロローグ」の冒頭を公開します。

プロローグ

「あなたの人生を円グラフで表現してください」という質問で、それまで順調だった僕の手が止まってしまった。この質問は何を意味しているだろう、としばらく考えこんだ。

 2010年、僕は大学院生だった。就職活動でもしてみるか、と思いたち、散らかった部屋の中央にラップトップを置いた。部屋が散らかっていたのは僕のせいではなく、ジョン・アーヴィングのせいだった。どれだけ入念に掃除をしても、ジョン・アーヴィングが勝手に逃げだし、ロバート・A・ハインラインの上に跨(またが)ったり、夏目漱石と取っ組み合いの喧嘩をしたりした。足元に散らばった坂口安吾を机の上に置くと、反対側からウィトゲンシュタインが落下した。ウィトゲンシュタインを収納するためには、プラトンかアリストテレスのどちらかを追い出さなければいけなかった。

 なるほど、僕は本に関わる仕事をするべきなのかもしれない。床に寝転がった文豪や哲学者たちの名前を眺めながら、どの出版社を受けてみようか考えてみた。僕は来年、この部屋に存在する本を出版しているどこかの会社に入社するのだ。毎朝、飯田橋やら神保町やらに出勤し、作家とやりとりをして、原稿を読んで、本を作る。

 悪くはなさそうだったが、あまりイメージは湧かなかった。驚くべきことに、その瞬間まで、僕は自分の将来について具体的に考えてみたことがほとんどなかった。

 多くの出版社の中から、とりあえず新潮社のエントリーシートを取り寄せてみた。それほど深い理由はなかった。僕は新潮社の本をたくさん持っていたし、その中には人生のベスト100に入るような本がたくさんあった。スタインベック、ディケンズ、モーム、サリンジャー、カポーティ。太宰治もあったし、村上春樹もあった。お金がなくてあまり頻繁には買えなかったが、クレスト・ブックスには外れがなかった。本の冊数だけなら講談社や角川書店も同じくらい持っていたが、漫画の部署に飛ばされる可能性が高いのではないかと勝手に推測した。幸運なことに、僕は新潮社の漫画本を一冊も持っていない。

 机の上で抱き合っていたスタニスワフ・レムとフィリップ・K・ディックを僻地に追いやって、僕は新潮社のエントリーシートを広げた。名前を書いて、経歴と資格を書いた。所属する専攻の正式名称が心配になって、学生証を確認した。 そして、「あなたの人生を円グラフで表現してください」という質問に到達した。

 まず僕は、円グラフを新潮社の本のタイトルで埋めようとした。『怒りの葡萄』、『ガープの世界』、『夫婦茶碗』。三冊分のタイトルを書いてから、「違う」と思った。僕の人生は名作小説によって構成されているわけではない。駄作もたくさん読んできたし、漫画もたくさん読んだ。そもそも読書よりも多くの時間を、僕は睡眠に費やしている。「酸素」「炭素」「水素」「窒素」「カルシウム」という回答も思いついた。しかしそれは「人生」ではなく、「人体」の円グラフだ。

 もちろん、質問の意図はわかっているつもりだ。それほど深い意味のある問いかけではない。人生において重要だったもの―今の自分を構成していると思うものを適当に挙げればいいのだろう。たとえば僕は小学一年生から大学四年生までサッカーをしていた。趣味は読書とテレビゲームで、大学院生になってからは研究と塾講師のアルバイトを交互に繰り返す生活だった。学費を払ってくれた親には感謝していたし、休日は友人と会って酒を飲んだりする。僕が考える模範的な回答はこうだ。「サッカー」「読書」「テレビゲーム」「研究」「塾講師」「親」「友人」。

 でも僕は、その円グラフを描くことができなかった。単に間違いだからだ。哲学者ギルバート・ライルの言葉を借りれば、「カテゴリー・ミステイク」にあたる。たとえば知人を大学に案内したときのことを考える。図書館や講義棟を回ったあとに、知人から「それで、大学はどこにあるの?」と聞かれたら、戸惑ってしまうだろう。この友人は「カテゴリー・ミステイク」を犯している。図書館や講義棟は建物というカテゴリーに属しており、大学はそれらの建物をまとめた集合を示しているからだ。

小川哲(おがわ・さとし)
1986(昭和61)年、千葉県生れ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015(平成27)年、『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。2018年、『ゲームの王国』で山本周五郎賞、日本SF大賞を受賞。2022 (令和4) 年、『地図と拳』で山田風太郎賞を、2023年に同作で直木三十五賞を受賞。同年、『君のクイズ』で日本推理作家協会賞受賞。

新潮社
2026年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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