世の片隅に追いやられた“はずれの風景”を描いた「つげ義春」 評論家・川本三郎が綴ったカルト的人気漫画家の足跡

エッセイ・コラム

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


つげ義春さん(撮影:新潮社写真部 筒口直弘)

 世の片隅に追いやられた“はずれの風景”に目を凝らし、そこに生きる余計者や漂泊者たちの姿を描き続けた漫画家・つげ義春氏。2026年3月3日にこの世を去ったが、その独創的な表現世界は、今なお多くの読者や表現者を魅了し続けている。

 1960年代、貸本漫画から「ガロ」へと活躍の場を広げたつげ氏は、「沼」「紅い花」「ねじ式」「リアリズムの宿」「無能の人」など数々の傑作を発表した。高度経済成長の熱気に包まれた時代にあって、あえて光の当たらない土地や人々へ視線を向け、孤独や貧困、郷愁や幻想を独自の感性で描き出した。その作品群は漫画の枠を超え、文学や映画をはじめ幅広いカルチャーに影響を与えてきた。

 そんなつげ氏の世界に長年魅せられ、その作品の舞台となった土地を自ら訪ね歩いてきたのが評論家・川本三郎氏である。豊かさや発展の陰に隠れた風景に美を見いだし、そこに生きる人々の息遣いを描き続けたつげ作品を追い続けてきた川本氏が、追悼の思いを込めて稀代の漫画家の足跡を振り返る。

【追悼 つげ義春】川本三郎/うらぶれた風景から生まれる詩情

 つげ義春は、いつもうらぶれた風景のなかに人を置く。ひっそりとした町のたたずまいのなかに人を置く。そこから淡い詩情が生まれる。

 描かれる人はしばしば世の中の隅のほうで生きる余計者である。ときには世捨人のように見える。

「近所の景色」(81年)という作品では作者自身を思わせる主人公が、町内散歩者となって多摩川の土手下にある、バラックが無秩序に立ち並ぶ「朝鮮の人たち」の住む一画を訪れる。通路は迷路のように入り組み、敷地には雑草が生い茂る。普通なら忌避される場所である。しかし、主人公は違う。

「そのたたずまいはいかにも貧しげでいずれは朽ち果ててしまいそうだが、自然のぬくもりが感じられ、私はこの一角に足を踏み入れるとほっと気持ちの安らぐのを覚えた」

 壊れかかった土塀、洗濯物が干したままになっている裏通り、傾いた家並。真新しい風景の対極にある、時代に取り残されたような末枯れた風景のなかにこそ入り込む。その姿勢は初期から後期まで一貫している。中心より周縁に惹かれる。

「近所の景色」には梶井基次郎の「檸檬」のこんな一節が引用されている。

「何故だか其頃私は見すぼらしく美しいものに強くひきつけられたのを覚えてゐる。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他処他処しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転してあったりむさくるしい部屋が覗いてゐたりする裏通りが好きであった」

 暗い感受性といえばいいか、世の中の片隅に追いやられた“はずれの風景”につげ義春は惹きつけられてゆく。

 ただし、それはあくまでも描かれた隅の風景である。懐しいという感情を通してみたうらぶれた風景である。「リアリズムの宿」(73年)で書いているように「貧しげでみすぼらしい風物にはそれなりに親しみを覚えるのだが、リアリズム(生活の臭い)にはあまり触れたくないのだ」。

 つげ義春が好んで描くうらぶれた風景は、あくまでも作者の暗い感受性によって育まれたものである。

川本三郎(評論家)
1944年東京生まれ。文学、映画、漫画、東京、旅などを中心とした評論やエッセイなど幅広い執筆活動で知られる。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)、『成瀬巳喜男 映画の面影』、『「男はつらいよ」を旅する』(共に新潮選書)、『マイ・バック・ページ』、『いまも、君を想う』、掌篇集『遠い声/浜辺のパラソル』など多数。訳書にカポーティ『夜の樹』、『叶えられた祈り』(共に新潮文庫)などがある。

新潮社 波
2026年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社「波」のご案内

創刊から55年を越え、2023(令和5)年4月号で通巻640号を迎えました。〈本好き〉のためのブックガイド誌としての情報発信はもちろん、「波」連載からは数々のベストセラーが誕生しています。これからも新しい試みを続けながら、読書界・文学界の最新の波を読者の方々にご提供していきたいと思っています。