鈴木宗男事件で逮捕された佐藤優と取り調べを担当した特捜検事が、検察や特捜の在り方について議論 『特捜取調室─『国家の罠』20年目の再対決─』試し読み

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2002年、鈴木宗男事件に連座して逮捕された元外務省主任分析官の佐藤優氏と、その取り調べを担当した元東京地検特捜検事(のちに大阪地検特捜部長)の西村尚芳氏。当時の取り調べでのやり取りはベストセラー『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』の中で明らかにされ、西村検事の「国策捜査」発言と共に大きな話題になった。

二人は取り調べを通して深い信頼関係を築きながら、立場の違いもあり、裁判後に会うことはなかった。ところが、あることをきっかけに20年ぶりに再会。元大阪地検検事正による準強制性交容疑事件や、大川原化工機事件、郵便不正事件など近年話題になった検察絡みの事件を題材に、検察や特捜の在り方について徹底的に議論した『特捜取調室 『国家の罠』20年目の再対決』を刊行した。以下、その冒頭部を公開する。

20年ぶりの対面

佐藤 西村さんとは浅からぬ因縁になりますね。私は外務省時代の2002年、背任と偽計業務妨害で東京地検特捜部に逮捕されましたが、その時に私を逮捕し、その後、取り調べと公判の初期を担当した検察官が西村さんでした。
西村 あれからもう20年以上が経つのですね。

『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)によれば二人が最後に会ったのは04年2月だった。
二〇〇四年一月、司法クラブの記者から四月の人事異動で西村氏が東京を離れるという話を聞いた。
二月二十三日の公判が私が西村氏と顔を合わせる最後の日になった。開廷は午前十時であるが、この日、私は少し早く東京地方裁判所に着いた。四〇六法廷に向かっていくと廊下で西村氏と出会った。
「どうも」
「異動になります。水戸に行くことになりました」
「新聞記者から聞いています。御栄転おめでとうございます。西村さん、それにしても公判を思ったよりも引っ張っちゃって悪かったね」
「もう。あなたはわがままなんだから。仕方ないね」
和気藹々と話を続けようとしたところに西村氏の上司にあたる吉田正喜検事が駆け寄ってきて甲高い声でわれわれ二人を怒鳴りつけた。
「二人とも、立場をわきまえてください。一般の人が見ていたらどう思いますか。いい加減にしてください」
西村氏も私も返事をせずにその場を離れた。普通の検察官ならば先輩検察官にペコペコ頭を下げるのであろうが西村氏はそれをしない。職人気質なのだ。
公判が終わった後(略)西村氏に声をかけた。
「もうお会いすることはないと思いますが、ほんとうにお世話になりました」
「こちらこそお会いできてよかったです」
「西村さん、あなたは検察庁の良心なんだからちゃんと出世してくださいよ。御活躍を期待しています」
(略)
結局、私は西村氏と一度も握手をしなかった。なぜならば国策捜査というこのゲームで、西村氏はあくまでも私の敵で、敵と和解する余地が私にはなかったからである。しかし、西村尚芳検事は、誠実で優れた、実に尊敬に値する敵であった。

佐藤 西村さんの立場は検察官であり、私は被疑者ですから、取り調べを通じて、互いの立場をある意味で理解しあった関係とはいえ、もう会うことはないと思っていました。

西村 私もです。だから20年近く会っていなかった。

佐藤 ところが、たまたま22年の年末に公安調査庁の講師として呼ばれた際に、新任の次長から「西村さんとは名古屋地検特捜部で一緒に仕事をしていた」というお話を聞いたんですね。さらに「佐藤さんに会いたがっていましたよ」とおっしゃる。ですからすぐに直接お電話して「会いましょう」ということになった。

西村 いやいや、最初の電話は「会いましょう」ではなくて、「今からそっちに行こうか」じゃなかったですか(笑)。当時、私は霞ヶ関公証役場で公証人の仕事をしていましたが、「それはちょっと勘弁して」と言った覚えがあります。それで日にちを改めて、お会いすることになったんですよ。

佐藤 ああ、そうでしたね。それで22年12月21日にお会いすることになった。

西村 赤坂にある「ざくろ」というお店でしたね。

佐藤 そうでした。二度と会うことはないというのは、一種の美学みたいなものがあって、会ったらいけないのかなと思っていたんです。それが、私自身、前立腺がんや腎不全という病気をして、もしかしたら死ぬかもしれないと思った。会わずに死んだら心残りになる一人が、西村さんだった。自分から連絡しようか、どうしようかということをずっと考えていたときに、旧知の公安調査庁の方がひと声かけてくれて、その偶然が後押ししてくれたんです。

西村 私も同じです。ネットか何かで佐藤さんの病気のことを知りました。佐藤さんにがんが見つかって、余命はどうこうという報道に接して、これは私も会っておかないと後悔すると思ったんです。だから公安調査庁の彼に、佐藤さんと会ってみたいと伝えた。
そういうわけで、それまではまったく接触がなくて。だって『国家の罠』が出たときも、私のところに送ってくれなかったんですよ(笑)。刊行後に騒ぎになって、ようやく自分の名前が出てることがわかったんで、あわてて買ってきたんですから。その後、佐藤さんと会うようになって、何度か同じことを言っていますが、私、『国家の罠』は自分で買ったんです(笑)。

佐藤 いや、だからざくろTBS店で最初に会ったときに差し上げました(笑)。

西村 そうでしたね。

佐藤 でも、いつも気になっていました。西村さんは、その後に東京地検特捜部副部長になり、大阪地検特捜部長も務められた。私にとっては「尊敬に値する敵」ともいうべき存在でしたが、なにしろ私は『国家の罠』や『獄中記』(岩波書店)で、当時の西村さんとの取り調べの様子を、実名で詳しく書いたものですから、出版以降、検察庁の中では大変だったのではないかと。

西村 けっこう風当たりはキツかったですね。もっとも、あの本の中で私は卑怯な人間や悪人として描かれているわけではない。また取調官として、おかしなことはしていません。ですから検察官のなかには、怒る人もいましたが、面白がる人もけっこういたんですね。そういう人が、その後、私を引っ張ってくれたんです。

佐藤 西村さんにはとても感謝しています。第1に、事件を私の部下には拡大しない、外交やインテリジェンスに拡大しないでほしいということや、あるいは母親のところにガサ入れ(家宅捜索)をしないとか、私の希望を、自分のやれる権限の中で聞いてくれたこと。2つ目の感謝は、自分の仕事のスタイルのどこに問題があったのかとか、組織で仕事をすることの限界とか、そういうことを本気で考えるきっかけを作ってくれたこと。3つ目の感謝が、当時から事件についていろいろものを書いていたんだけど、「外に出て書けばいいじゃないか」と言って、私が作家になるのを後押ししてくれた。「検察庁にとってマイナスのことを書くかもしれないよ」と言っても、「かまわないよ、仕方ないでしょ」と。もう二度と会うことはないだろうと思っていた人と、再会できたというのは非常に嬉しいですよ。

西村 私にとっても印象に残る被疑者だったのは間違いない。最初から、「難しい人だな」と思いながら対応していただけに、本当に印象に残った。それに取調室での会話も知的レベルが高いものだったし、こういう経験をすることはあまりないのでよかったと思っていました。だけど、なかなか頑固だし、外に出ようとしない(保釈請求をしない)し大変でした(笑)。

逮捕と取り調べ

佐藤 西村さんと初めてお会いしたのは02年5月14日、私の逮捕の日でした。鈴木宗男さんの騒動の渦中にあって、前職を解かれた私は当時、港区の麻布台にあった外交史料館に勤務していましたが、そこへ西村さんと検察事務官の方数名が私を逮捕しに来たのでしたね。西村さんとの関係はそこからスタートした。

鈴木宗男騒動とは……ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」とその一連の騒動。マスコミで鈴木宗男バッシングが展開され、対ロ交渉の最前線を支えていた佐藤優氏も「外務省のラスプーチン」と呼ばれ叩かれた。

『国家の罠』によればその時の様子はこうだった。
私は、「任意ならば行きません」とキッパリとした口調で答えた。
すると、検察事務官が「それは佐藤さん、わがままですよ」と興奮して食ってかかってきた。彼の目は血走っていた。
ソファに座っていた検事がその事務官を制して、「失礼致しました。御挨拶もせずに。西村と申します」と言って名刺を差し出してきた。
名刺には「東京地方検察庁特別捜査部検事・西村尚芳」と記されていた。

佐藤 逮捕の時に、「弁解録取書」というのがあって、被疑者が逮捕状に書かれた容疑事実に対して、「その通りです」とか「事実無根です」とか一言述べた内容が記されます。それで私は、否認するにしてもどうしようかなと思って考えていたら、西村さんが「いま検察官が読み上げた容疑については身に覚えがありません」でいかがですか? と聞いてきたんです。

西村 外交史料館を早く出たかったんですよ(笑)。逮捕状を持っていったら地検への任意同行に応じてくれるかと思ったら、「いやだ、ここでやってくれ」というので、外交史料館で令状の執行をしたんですが、ここで粘られたら外にマスコミが大勢来ているし、史料館の館長も怒っているので。「どうですか?」と聞いたら「じゃあ、いいよ」と言われたので、「それでは」、と。

佐藤 それでサインして判子を押そうとしたら検察事務官が、「佐藤さんはもう逮捕されているので判子じゃなくて指印でお願いします」と言ってきた。それで今度は利き手に手錠をかけるというので「じゃあ、右手で」と。この時、西村さんは「手錠はしなくてもいいんじゃないですか」といったんだけど。

西村 これは規則通りやっているんで手錠をかけたんです。ただ、車の中では必要ないかなと思ったので、車の中では確か外しましたよね。

佐藤 外しました。

西村 もう護送状態になっていた。

佐藤 車が動き出して、マスコミが窓をドンドンと叩いて。西村さんは「本当にうるさいですね」とか言っていましたが、首都高速に乗ったら寝ちゃった。一度、検察庁に寄ってお水を1杯飲ませてもらって、その後、東京拘置所まで高速道路に乗った瞬間、西村さんはまた寝ちゃって。相当疲れているんだなと思いました。

西村 もう前の日から大変だったんですよ。どんな人が出てくるのかなと思って、ドキドキしてましたからね。

佐藤 それで取り調べで最初に言われたことが「黙秘権があります」という告知でした。取り調べの途中も、「これは黙秘なんですか」「否認なんですか」と何度も聞かれました。偽計業務妨害で再逮捕された時にも、最初に黙秘権があると告知されました。

西村 そうでしたね。それはもう当然で、何度でも繰り返します。

佐藤 西村さんの取り調べは、だいたい夜になりますが、調書を一回作ると、それを全部読み上げて、私に「丁寧に見てください」と言って、まず筆を入れさせる。そこで署名をさせるのではなく、「明日午前中に弁護士と接見があるなら、弁護士とよく相談してください」、それで午後の取り調べで納得できたら「署名指印してください」というものだった。毎回、その手続きの繰り返しだった。途中から「読み上げは面倒なので省略しよう」と私が言って、黙読で処理するようになりましたが。それから、「ちょっと違う」とか「認識が違う」「事実関係が違う」と主張したところは調書に斜線を引いて直すというのが普通のやり方なんだけど、西村さんは調書を書き直すというスタイルでした。
それである時、聞いたんです。「被疑者に何でこんなに丁寧にやるんですか」と。すると「あなたみたいな難しいお客さんは無理をして調書を取ると、公判になってから揉めたりする。だから任意性に関しては、絶対に問題がないだろうというところまでやる。そこは固めておきたいので、自分のためにやっているんですよ」と、そういうことを言っていた。だから私は、そういう取り調べが検察官の標準形と思っていました。

西村 近年、取り調べで検察官が暴言を吐いたりして問題になっていますが、それは自分のためになっていないのですよ。自分を守るという意識がかなり欠けている感じがします。もしそうでなかったら鈍感です。
事件を扱うということは人の人生を扱うわけです。そこで何かミスとか、完全な見込み違いがあると怖い。だから私は慎重にやってきました。「ちょっと待てよ」と思いとどまるためには、人の話をよく聞くことが大切です。相手の話を聞いていると、自分の思っている話とは違う話が出てくる。それを検証しながら、話を続ける。検証しながら、というのは重要なことです。検証した結果、当初想定していた事実と違ってくれば、それを反映して調書の内容がどんどん変わっていく。そうやって真相に徐々に近づいていく。それは、ごく当たり前のプロセスだと思っています。

佐藤 もし、私が自白していて、それで検察官と信頼関係を構築したとしたら、それはそれほど珍しいことではないと思います。ところが私が否認に回りながら、西村さんとお互いの協力関係を構築できたということがちょっと不思議です。それは取り調べのやり方が、フェアであったからだと思う。私の体験では、脅迫とか強圧的に取り調べられたとか、黙秘権を認めないということは一切なかった。取り調べに際して、西村さんとは「事実と認識と評価に分けましょう」ということで、「事実に関しては全面的に協力します。だから嘘はつきません」と私は伝えた。ただし、認識では「そちらに合わせることができる部分と、できない部分がある」と言いました。評価は裁判所が下すものだから、私は関知しないと。西村さんはそれを受け入れてくれた。

西村 そうでしたね。

佐藤 最近では、検察官の取り調べの在り方がたびたび問題になっています。検察官が被疑者や参考人を脅して嘘の供述を取る。黙秘権を認めない。検察特捜部はいつもそういう取り調べをやっているのかと世間に思われたら、まともにやっている検察官が気の毒だと思う。だから私は、この機会に検察が抱えている問題について、西村さんと、とことん話し合ってみたいと思っているんです。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

佐藤優(サトウ・マサル)
1960年、東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、95年から外務本省国際情報局分析第一課で主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、09年6月に執行猶予付き有罪が確定。13 年6月、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。05年、『国家の罠─外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。主著に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』などがあるほか、共著も多数。20年、菊池寛賞受賞。

西村尚芳(ニシムラ・ヒサヨシ)
1960年、石川県生まれ。1986年、金沢大学法文学部卒業後、大蔵省北陸財務局に勤務。1990年検事任官。宮崎地検、福岡地検、名古屋地検などを経て、財政経済に強みを発揮し、特捜検事としてのキャリアを歩む。東京地検特捜部時代の2002年には佐藤優氏の取り調べを担当。2012年東京地検特捜部副部長、2013年横浜地検刑事部長、2014年大阪地検特捜部長、2015年東京高検検事兼最高検特別捜査係検事、2016年東京地検特別公判部長、2017年同刑事部長、2018年青森地検検事正、2019年高松地検検事正を歴任し、2020年退官。その後、霞ヶ関公証役場で公証人を務め、2025年7月より弁護士。

佐藤優/西村尚芳

新潮社
2026年7月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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