ナタデココを見ると思い出す…ハライチ岩井が大人になるまで話すことができなかったトラウマ
イラスト:岩井勇気(ハライチ)
お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイがパワーアップして再始動!「人生には事件なんて起きないほうがいい」と思っていたはずが……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「料理の授業」です。
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次の電車まであと12分、ホームの自販機で飲み物を物色していた。ホットが増え出したラインナップを上から見ていると、一番下の段にある背の低い缶ジュースの1つに目が留まった。白と水色を基調とした缶の、ヨーグルト味のジュース。商品名がなんとも可愛らしい書体で書かれているのだが、僕が目を留めたのは、商品名の横に書かれた“ナタデココ入り”という文字だ。
僕はこのナタデココという言葉や、ナタデココそのものを見ると、子供の頃の苦い思い出が蘇ってしまう。
小学5年生の頃、週に1時間だけ“特別選択授業”というものがあった。4つある授業の中から1つを選んで、1年間その時間は選択した授業を受けることになっており、僕は“授業中に何かが食べられる”という理由で『料理』の授業を選んでいた。この“特別選択授業”、学校のすべての授業の中で唯一、4年生から6年生まで同じ授業を選んだ者達が合同で受ける。なので料理の授業では5人の班を作らされていたのだが、班員の学年はバラバラであった。
ある日の料理の授業で、その日作った料理を食べながら、翌週作るものの話をしていた。先生から出されたお題はフルーツポンチで、食材は自分達で持ってこなくてはならず、誰が何を持ってくるかを話し合っていた。僕の班は6年生の女子が班長だったので、僕はその上級生の女子にはあまり意見を言わず、大概振り分けられた食材を言われるがままに持ってきていた。その時も僕が何も意見しないでいると、班長の女子に「じゃーナタデココ担当ね」と言われ、翌週ナタデココを持ってくることに決まった。
だが、翌週。料理の授業前日の夜のことである。僕はナタデココを調達するのをすっかり忘れていたのだ。家で夕飯を食べ終え、テレビを見ている時に気付いた。僕が慌ててそれを母親に言うと、母親は「何やってんの! もうスーパーやってないよ!」と呆れたように言った。それでもナタデココを持って行かなくてはならないと訴え、渋々車でコンビニに連れて行ってくれたのだ。
コンビニに入り店内を見て回ると、デザートコーナーにナタデココが置いてあった。僕が安堵していると、母親が来て後ろから「ちょっと、これは高いよ」と言った。確かにコンビニに置いてあったナタデココは、食後に1人で食べるような、カップに入った小さいもので、これを5人分買うとなるとそこそこの金額になる。小学生が1回の授業で使う金額にしたら高いのかもしれないが、ナタデココ担当としてそこは食い下がった。
しかし母親は「なんでアンタがナタデココ持ってくことになっちゃったの。だめ、ナタデココは買えないよ」と叱りつけるように言った。僕は絶望的な気持ちになったが、家は団地住まいでそこそこ貧乏だったので小5なりに、家計を圧迫してはいけない、というような気遣いが生まれ、それ以上はせがむことができなかった。
明日班員に何を言われるのかという想像が頭を巡り、さらなる絶望感に襲われていると「これでいいじゃない!」という母親の声がナタデココの陳列棚の裏から聞こえてきた。裏に回ってみると、母親の指差す先に、大きなパックに入った徳用の杏仁豆腐があった。一瞬意味がわからなかったが、母親は「これならナタデココとそんなに変わらないでしょ」と言った。白っぽい角張ったゼリーみたいなやつ、というくらいで、代用品と言うには相当どんぶり勘定である。
それでも、何も持っていくことができない絶望的な状況からすると、少し和らいだ気がした。というよりはナタデココを持っていくことができない現実から目を背け、この杏仁豆腐でどうにかごまかすことができる! と思い込みたかったのだ。実際はナタデココと杏仁豆腐ではどう考えても違うのに、僕は母親に「うん、大丈夫だと思う」と言い、明日のために杏仁豆腐を購入したのだった。
次の日、僕は手提げ袋に杏仁豆腐を入れ、学校へ向かった。そして5時間目にいよいよ料理の授業となった。
僕は震えていた。なぜならナタデココを持ってこいと言われたのに杏仁豆腐を持ってきてしまっているからだ。事の重大さを、時間が近づくにつれ実感していた。
授業が始まり、皆手を洗うなどして準備をし出す。僕はどうにかギリギリまで杏仁豆腐を出さないでおこうと思い、手提げに入れたまま隠すように椅子に置いていた。
そしてフルーツポンチ作りが始まる。班員が持ち寄ったフルーツを食べやすい大きさに切って、器に並べていく。小学生の料理の授業など簡単なもので、そんな工程など一瞬で終わってしまい、いよいよナタデココを器に盛り付ける時が来た。僕は手提げからコンビニ袋を取り出した。そして震える手でコンビニ袋からパックに入った徳用の杏仁豆腐を取り出し調理台に置いたのだ。
班員全員、何かおかしい、というような顔をしていた。すると班長の女子が冷ややかに言った。「は? 杏仁豆腐じゃん、それ」同時に、こめかみに血管が浮き出るような憤りの表情で睨みつけてくる。それもそのはず。ナタデココを持ってこいと指示した奴が、翌週に杏仁豆腐を持ってきてしまったからだ。
班長の女子は睨みつけながら「ナタデココは?」と聞く。その言葉と表情に怯えてしまった小5の僕は「ナタデココ買えなくて、代わりに杏仁豆腐買ってきちゃいました」という説明ではなく「え? あ、え? あれ……? あんにん……?」と、挙動不審にとぼけるしかできなかった。
とぼけている僕を見た班長の女子は「なんでだよ」と、突き刺すような言葉で、さらに追い討ちをかける。すると、不穏な空気を察したのか先生が来て事情を把握し「まぁ、杏仁豆腐も美味しいじゃない」という一言で場を収めようとした。だが、班長の女子は「ありえない」と機嫌を直そうとしない。それもそうである。ナタデココを持ってこいと指示した奴に、杏仁豆腐を持ってこられたのだ。そして悲しいことに、その僕の情けない姿は、下級生である4年生の班員にも見られてしまっていた。4年生ですらナタデココと杏仁豆腐の違いくらいわかるだろう。
僕は涙が出そうになるのを「あれ? ナタデココ持ってこいって言われたんだ? 杏仁豆腐じゃなかったんだ」と、未だにとぼけを装っている嘘の表情で上書きした。
その後、仕方なく先生の指示のもと杏仁豆腐を使うことになった。フルーツを盛り合わせた器に、白いひし形の杏仁豆腐を入れる。そこにサイダーを注ぎ、杏仁豆腐のフルーツポンチが完成した。他の班はナタデココを入れたフルーツポンチができあがっている。僕の班だけはサイダーにひし形の杏仁豆腐が泳いでいるのだった。
班長の女子はその日、杏仁豆腐入りのフルーツポンチを食べなかった。それから、1年間の料理の授業が終わるまで、僕は班長の女子に厳しい態度をとられ続けたのだ。
あの日の、あの班長の上級生の女子の言葉と表情は一生忘れられないだろう。このことを僕は結構な大人になるまで、人に話すことすらできなかった。それくらい思い出したくない記憶なのだ。ナタデココという言葉や、ナタデココそのものを見るとそれを思い出してしまう。その度に、次にナタデココを持ってこいと言われた時は、何があっても絶対にナタデココを持って行こうと思うのだった。
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岩井勇気(いわい・ゆうき)
1986年埼玉県生まれ。幼稚園からの幼馴染だった澤部佑と「ハライチ」を結成、2006年にデビュー。すぐに注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。ベストセラーになったデビューエッセイ集『僕の人生には事件が起きない」に続く、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は2冊目の著書になる。
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