僕の人生には事件が起きない
2019/04/26

ムンクの『叫び』に魅了されたハライチ岩井がアイドルファンの心理を理解したワケ

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による初めての連載エッセイ。お笑いのこと、ラジオのこと、アニメのこと、この世界のこと……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「叫び」です。

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第16回「叫び」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 僕は美術館に行くのが好きだ。昔の作品から、現代アートまでどんな展示でも見に行く。

 中でもとりわけ油絵を見に行くことが多く、その画家が見つけた描き方や、現代アートの固定観念から逸脱した考え方で描いた絵を見ると、頭の中の扉が開き、新しい感じのネタが作れるんじゃないかという気がする。

 天才と呼ばれる画家やアーティストの、常人には思いもよらないような発見や技法も、本人にとってみれば単なる“閃き”を試してみただけなことが多いんじゃないかと思っているので、その“閃き”を知ることによって、自分の考えが“閃き”やすくなるのだ。

 少し前に、上野の美術館で行われていたムンク展に行った。エドヴァルド・ムンクは皆さんもご存知『叫び』で有名な画家である。その時のムンク展の目玉も『叫び』であった。

 母親に「ムンクの絵見てみたいから行こう」と誘われて一緒に行ったのだが、そもそもムンク展の紹介番組をテレビで観ていて、僕も興味があった。その番組で、ムンクの『叫び』は、油絵以外にも色んな手法で描かれていて、4枚の『叫び』が存在するということを初めて知って驚いた。ムンクはリトグラフやエッチングという手法を使って、同じタイトルの絵を何枚も描くことが多い画家である。

 美術館に着くと、チケット売り場は10分待ちだった。

さすがムンク、人気である。客層は年配が多いようだった。

 チケットを買って美術館に入ろうとすると、入り口で音声ガイドのヘッドフォンの貸し出しをしていた。絵を見ながら音声で解説してくれるガイドの貸し出しは昔からある。しかし、最近の音声ガイドはすごい。アニメや映画の吹き替えなどで活躍する声優が、ガイドを担当することがよくあるのだ。なので声優のファンらしき人もちらほら見かけたりする。

 ガイドの内容も変わっていて、その絵の解説をいい声で言ってくれるのではなく、声優自ら画家を演じて、その絵を描いた時の心境を語ってくれるので、内容がとても入ってきやすい。

 一度、ゴッホ・ゴーギャン展に行った時に音声ガイドを借りたことがあったが、その時はゴッホ役の声優と、ゴーギャン役の声優の2人がガイドをしていた。2人の声優はゴッホとゴーギャンが共同生活をしていた頃を中心に演じていて、ゴッホが同性であるゴーギャンを好きだったという描写が色濃く含まれていたため、ヘッドフォンで聴くそれは、さながらBLドラマCDであった。

 美術館という穏やかな場所で、なんだかいけないものを聴いているような気がしてきて、周りにいるヘッドフォンをつけている客もこれを聴き、ガイドを聴かずに絵を見ている客の中にいるのかと思うと、恐ろしく狂った空間だな。と感じたことがある。

 ムンク展でも音声ガイドを借りて、母親と見て回ることにした。初期の頃の絵から順に展示されていたが、最初の頃の作品は『叫び』のような絵のタッチではなく、もっとスッキリした、単純に上手いとわかるような絵であった。

 しかし音声ガイドを聴き、ムンクの人生が明かされていくと同時に、徐々に画風も変化していく。ムンクは若い頃に姉と母親、父親、祖母の死を経験する。そのうちに“死”について深く考えるようになり、やがて精神が病んでいき、陰な気持ちのピーク時に『叫び』という絵が生まれることになる。

 ムンクの絵を年代順に見ていくと、ある一定の時期から背景の河や、空が少しうねりだしてくる。あれ、背景の水がうねりだしてきてないか? と、うっすら感じながら年代を追っていくと、明らかに背景が渦を巻いてくる。

 うわ、完全にうねってきてる。と思ううちに、どんどん背景のうねりに手前の人物画が飲み込まれ始め、さらにうねりは加速する。そして『叫び』の年代に近づくと、人物はうねりに飲み込まれ、白眼と黒眼の境目がなくなる。

 やばい! そろそろ叫ぶぞ! と思ったあたりで絵はうねりのピークを迎え、ついにメインの『叫び』がくる。そして絵は完全にグニャーーーン! となり、ウヒャーーーーッ!!! と叫ぶのだ。

 しかし人気のある美術展とはすごいもので、メインの『叫び』が置いてある部屋は絵の前に行列ができていて、柵で整列させられている。

 列に並び、10分程度で『叫び』の前にはいけるが、目の前で『叫び』が見られるのはほんの5秒程度で、それ以上見ていると警備員が来て「後ろの方がいらっしゃるんでお進みくださいー」と絵の前から剥がされてしまう。まるでアイドルの握手会のようである。

 母親と列に並んで絵を見たが、5秒では絵の隅々まで見ることはできなかった。僕は『叫び』がリリースした、握手会参加チケット付きのCDを何枚も買ったファンのように、何度も列の後ろに並び直して見に行った。

 繰り返し見に行っていると、できれば『叫び』側にも僕の顔を覚えてもらいたい、という気にさえなる。『叫び』が他のファンにどんな表情を見せているのか、気になってしまう。

 しかし『叫び』もプロである。僕が1日に何度も並び直して目の前に行っても、嫌な顔一つしない。「また来たんですか」「長いし疲れた」といった表情を一切見せずに、僕にも他のファンにも毎回あの絶叫顔を見せてくれる。そして、そのプロ意識をまざまざと見せられた僕らファンは「絶対また行こう」と思うのだ。さすが長年あの絵のセンターをやっているだけのことはある。

 ただ、一つ問題なのは『叫び』には100年以上前からの古参のファンがついている。最近ファンになった、いわゆる“ミーハーファン”である僕を受け入れてくれるかが不安だ。

 しかし、ファン同士のそんなことより、とにかく『叫び』を応援しよう。売れてもファンで居続けよう。『叫び』が誇れるようなファンでいよう。僕はそう思ったのだった。

 美術館に行くと色んな想像が掻き立てられる。毎回何かしら新しい考え方を知って帰るのだ。僕はムンク展に行ったその日、なぜかアイドルファンの心理が少しわかった気がした。

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次回の更新予定日は2019年5月10日(金)です。

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