僕の人生には事件が起きない
2019/05/24

麻雀好きのハライチ岩井が不吉な役満のせいで「死」に怯えまくった話

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による初めての連載エッセイ。お笑いのこと、ラジオのこと、アニメのこと、この世界のこと……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「麻雀」です。

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第18回「麻雀」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 僕の趣味の一つに麻雀がある。

 麻雀と聞くだけで「あー、もうこの話わからない」と思う人もいるだろう。その気持ちはわかる。なぜなら僕が野球に対して抱いている感覚とほぼ同じだからだ。

 野球好きの人は全人類が野球が好きと思い込んでいるかのように野球の話をしてくる。戦国武将の名前を言うかの如く、知らない歴代の名選手の名前を連呼してくる。誰彼構わず、持っている熱量を乱暴にぶつけてくるのだ。

 是非知ってもらいたい。“そんなにみんな野球が好きなわけではない”。僕は好きなものの話をする時は、これを思い出しながら話すことにしている。

 麻雀というのは高校や大学の頃、友達とやっていたかどうかでできるかできないかの半分くらいが決まる。しかしその頃、僕は麻雀をやっていなかったので、始めたのは芸人になった後の24歳の頃である。後輩芸人に勧められて覚えたのだが、最初の頃はハマりすぎて何日も連続で徹夜で麻雀をしたこともあった。

 麻雀好きな人は口を揃えて「1番面白いゲームだ」と言うし、僕もそう思っている。というのも、麻雀は運と実力のバランスが最高に良いのだ。もちろんやればやるだけ上手くなるとは思うし、何回も勝負すれば上手い方が勝つだろう。

 しかし、1回きりの勝負であれば、ど素人が麻雀プロに勝つことだって有り得る。その危うさが麻雀を覚えた人を引き込む魅力なのだろう。

 麻雀は14個の手牌(てはい)で上(あ)がり役(やく)を作るゲームである。上がり役によって得点が変わるが、1番得点の高い上がり役を役満(やくまん)と言う。

 役満にも何種類かあるが、その中でも最も珍しく、作るのが困難と言われている役満がある。九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)と言う役満だ。

 僕は先日、知り合いと麻雀を打っていて、九蓮宝燈を上がった。人生で初めてだ。しかし、その時の僕と周りの反応は「え……上がっちゃった……」というもので、喜びや驚きの前に、戦慄が走った。

 なぜそんな反応なのかというと、九蓮宝燈という役満はその珍しさ故に、麻雀界では“上がったら死ぬ”と言われているのだ。年配の麻雀好きの中でも「仲間が九蓮宝燈を上がって死んだ」なんていう逸話を持っている人もいたり、中国では九蓮宝燈が出たら牌を焼く、なんて噂もある。珍しい役であり、不吉な役なのである。

 なので僕が九蓮宝燈を上がると、全員ゾッとしてしまい、口々に「もう帰ろう帰ろう」と言い出して、その日は解散になってしまった。

 その後、一人で家に帰る僕はずっと死の不安を抱えていた。

 信号待ちをしていても、アクセルとブレーキを踏み間違えたダンプカーが突っ込んできて死ぬんじゃないかと思ってしまう。タクシーに乗っても運転手が大事故を起こして死ぬんじゃないかと不安になる。歩いている途中、急に暴漢が近づいて来て、襲われて死ぬんじゃないかと思ってしまうのだ。

 どうにか無事に家に辿り着いたが、その恐怖は拭えない。夕飯にカップ焼きそばを食べていても、麺が喉に詰まって“窒息死”するんじゃないかと思ってしまう。なので怯えながら麺を2、3本ずつちゅるちゅる食べるのだ。

 お風呂に入ろうとしてもそうだ。濡れた風呂場の床で滑って骨が折れて“骨折死”するんじゃないかと思ってしまう。だから風呂場の床にも注意を払う。

 シャワーを浴びた時に、思ったより熱いお湯が出て「あっつ!!」となって死ぬ“あつ死”をしてしまうかもしれない。電気温水器が壊れて熱湯が出てくる心配がないか考えてしまう。

 さらには、湯船に入ってからも、お湯が心地よい温度すぎて寝てしまって死ぬ“湯船死”をするかもしれない。お風呂にはなんと死の危険性が多いことか。

 お風呂を出てからも、僕は1階と2階があるメゾネットタイプの家に住んでいるのだが、1階と2階をつなぐ階段を踏み外してしまって死ぬ“メゾネ死”をするかもしれないので、慎重に登らなくてはならない。

 リビングでテレビを見てくつろいでいても、通販番組で値段が発表された時、あまりの安さに「やすっ!!!」となって死ぬ“やす死”をしてしまうかもしれない。通販を見ていて、こんなに特典がついて高そうだな。と思い始めたら、値段発表の時は注意しなくてはならない。

 何もしていなくても、急にソファーの脚が折れてガクンッ! となって死ぬ“ガクン死”をしてしまうかもしれない。九蓮宝燈にはそれくらいの力があるはずだ。

 台所で食器を洗っていても、お気に入りの食器を割ってしまい、テンションが下がって死ぬ“がっかり死”をしてしまうかもしれない。こんな日に洗い物は禁物である。

 一旦気持ちを落ち着かせるために、家にあるお香を焚こうと思ったが、もしかしたらお香がいい匂い過ぎて死ぬ“かぐわ死”をしてしまうかもしれない。もはやリラックスすることさえ許されない。

 トイレに入り、ウォシュレットを使おうと思ったが、水圧が強すぎてウォーターカッターの要領で貫かれて死ぬ“ウォタ死”をしてしまうかもしれない。便利だからといって迂闊にウォシュレットには頼れない。

 歯を磨いていたが、歯磨き粉のミントが強すぎて死ぬ“スースー死”をしてしまうかもしれないと思うと、家中どこにでも死の危険があるので恐ろしい。

 それならばいっその事もう寝てしまおうと思い布団に入ったが、寝たが最後、二度と起きれなくて死ぬ“ぐっすり死”をしたらどうしようと考えてしまうのだ。

 そう心配しているうちに疲れて本格的に寝てしまい、朝になった。

 起きて、昨日死を心配していたことをもう一度考えたが、実際には家に帰った後、夕飯を食べて風呂に入って歯を磨いて寝ただけである。俺は一体何をやっていたんだ。と一晩明けて我に返った。

 体験したことのないことと、得体の知れない噂が合わさった時、人は恐怖してしまう。

 好きなものに殺されずに済み、僕は安心したのだった。

 後日、九蓮宝燈を上がったことを麻雀好きの友達に話した。するとその友達は「あ、俺も何年か前に上がったことあるわ」と、にこやかに返した。

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次回の更新予定日は2019年6月14日(金)です。

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