僕の人生には事件が起きない
2020/07/10

ハライチ岩井が初めた観た「寅さん」にイライラ ラストで涙した理由

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイふたたび。「人生には事件なんて起きないほうがいい」、独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「映画」です。

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「映画」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 平日の夕方、急にぽっかり3時間程の空き時間ができてしまった。仕事が一段落して3時間後からまた仕事、といった空き時間だ。だらだらお茶するより、この3時間を有意義に使いたい気分だったので、映画を観に行くことにした。

 以前1人で何処かに行くことが苦手だと書いたが、映画も例外ではない。しかし理由は少し違う。映画館は逃げられないからだ。

 観に行った映画が開始15分でつまらないと感じてしまっても、チケット代は払っているし、途中で退席しては損をした気がする。しかも、映画館では映画を観る以外のことを同時にできないので、2時間程度の映画の残り1時間45分は、ただ損をしないために映像を消化する作業となってしまう。内容が定かでないもののための時間を前払いするには、2時間は長すぎるのだ。

 そして、どんなにつまらなくても2人以上で観に行っていたなら観終わった直後から、今の映画は酷かった、という話で観た2時間を意味のあるものにできるのだが、1人ではそれもできない。つまらない映画を2時間観た挙句、消化不良でモヤモヤしながら帰るのだ。

 映画館で映画を観るのは時間を賭けたギャンブルである。同じ理由で僕は演劇の舞台を観るのも苦手だ。

 ただ、その日は急にぽっかり空いた3時間だった。3時間後に仕事の予定がなければ映画へは行かないのだが、限られた時間をだらだら消費してしまうよりはマシ。と考えた僕は、苦肉の策で映画を観に行くことにしたのだった。

 

 その時間の映画を調べると、都合良く上映開始される作品はかなり限られる。中でも近くの映画館で上映している作品となると『男はつらいよ』の50周年記念映画である『男はつらいよ お帰り 寅さん』だけであった。

『男はつらいよ』は言わずと知れた名作だが、世代的な問題で1作品も観たことがない。しかも、それが50周年記念作品の『お帰り 寅さん』だというのだからついて行けるのかが不安だ。「行ってらっしゃい」の時に居なかったのに「お帰り」の時に突然居ては帰ってきた寅さんも「こいつは誰だ?」という話になるだろう。先輩の同窓会に参加するような訳のわからない行動である。

 しかし映画に行くと決めた以上、こうしてまごまごしている時間が一番無駄なので、とにかく映画館に向かった。

 渋谷にある小さな映画館。渋谷で“寅さん”というのがどうにも噛み合わないような気がする。恐らく“トラ☆chan”だったら違和感は無いだろう。そんなことをぼんやり考えているうちに、映画館に着いた。

 小さい映画館ならではの、ホームセンターで買ったような簡易的なテーブルの受付でチケットを買い、映画館に入った。客の8割はお年寄りであった。渋谷の駅近くで一番お年寄りが集まっているんじゃないかと思うくらい多い。

 しかもその大半が寅さんのファンというような雰囲気である。寅さんなど好きでも嫌いでもなく“知らない”僕は、なんだか申し訳なく思って、一番後ろの端の方の席に座った。

 明かりが落ち、まずは他の映画の予告映像がいくつか流れる。僕はこの予告映像がすごく好きなのだ。ワクワクするシーンが凝縮されていて、実際はイマイチな映画でも面白そうに見えてしまう。映画を観に行って、この予告映像集が2時間続き、本編が5分だったとしても僕は文句を言わないだろう。

 そしてついに本編が始まった。冒頭からベージュの背広に同色のハットを被った中年が出てくる。これが寅さんだということはなんとなく知っている。音楽とともに「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い……」と口上を述べ、自信ありげな表情を浮かべていた。

 この『男はつらいよ お帰り 寅さん』は前作から20年以上空いていて、寅さんが出てくるシーンのほとんどが回想シーンであり、前作までの映像を使ったものだった。ただ、観ていると、この寅さんという男は毎度喧嘩をしているのだ。

 頻繁に近所の人と口論になり、優しい妹を泣かせることもしばしばあったりと、かなりの暴れっぷりである。高校生の甥っ子の恋愛に口を挟み「もうちょっと積極的になって、男を見せたらどうなんだい」などと言うが、甥っ子が「おじさんこそ好きな女の人に男を見せろよ!」と、なかなか好きな女性に積極的になれない寅さんに対して手痛い返しを浴びせると、寅さんは顔色を変え「なんだと? おじさんに向かってなんて口の利き方だ!」と声を荒らげ「このやろう!」と甥っ子のことを羽交い締めにするのだ。無茶苦茶にも程がある。

 大抵寅さんが誰かに対して説教する時は、自分のことは棚に上げて、というスタンスであり、自分が責められると逆上する。なんと理不尽な大人なのだ。

 こういうおじさんが親戚にいると、わかりもしないのに他の親戚の仕事に口を出したり「俺の知り合いに大きい会社の社長がいるから、そいつに言って仕事回してやるよ」などと、求めてもいない要らぬ恩を着せてくる。そのくせ正月のお年玉はポチ袋にも入れない千円で、親戚の家に突然来ては酒を飲み、酒に酔った勢いでまた要らぬことを言い散らす。こうして親戚中から面倒くさく思われるタイプのおじさんになるだろう。

 しかし映画の中で寅さんの周りの人は皆、傍若無人な寅さんに対しても優しく接し、寅さんが旅から帰ってくれば「お帰り寅さん!」と温かく出迎えるのだ。その姿を見て僕は、いつまでも甘やかしてる周りのアンタらも悪いよ。と思うのだった。

 面倒くさい親戚や周りの人に対して「あの人はああいう人だから」と諦めてしまうのも悪だ。面倒くさい人を正そうとすれば、より面倒くさいことになるのもわかる。だが、近しい人間がそうやって自分への被害が大きくならないようにと諦めてしまうと、面倒くさい人は自分が面倒くさいということに気付けず、そのまま別の場所に行って迷惑を振り撒くのだ。

 それはもはや責任を放棄してしまった周りの人間のせいでもある。寅さんとは、寅さんの周りの人間が責任を押し付け合うことで出来上がっていった悲しき怪物なのだ。

 さらに回想シーンで、どうやら名シーンとされている映像も流れる。寅さんの実家でメロンをみんなで切り分けて食べていると、そこに寅さんが帰って来るのだ。

 寅さんは「メロン美味しいか? じゃーお兄ちゃんもひとつ貰おうか」と言い、居間に座る。寅さんが帰って来るとは思っていなかった妹は、当然寅さんの分のメロンを残しているはずもない。気まずそうにしていると、寅さんが「俺のメロンがないって? 訳を聞こうじゃねぇか」と不機嫌になり、ついには「お前のたった1人の兄ちゃんだぞ! 勘定に入れなかったのをごめんなさいで済むと思ってるのか!」と激怒するのだ。そして最後は取っ組み合いにまで発展するという始末。

 理由が理由だけに呆れざるを得ない。僕はメロンごときで怒る寅さんと、寅さんをメロンごときでも気に入らなかったら怒ってもいいと思う人間に育ててしまった周りの人間にだんだん苛ついていた。

 しかし物語終盤、悩みを抱える成長した甥っ子が、ふと寅さんを思い出す。その寅さんは優しく、いつも甥っ子の相談に乗ってくれるのだった。不器用ながらも近しい人のために頑張る姿もあり、素直にはなれないが遠回しに愛や感謝を伝えることもある。甥っ子はそんな寅さんを思い、1人では抱えきれない悩みに押し潰されそうになりながら「帰ってきておくれよ、寅さん……!」と、男泣きするのだ。

 その涙を見て僕はようやく理解した。そう、寅さんが迷惑をかけたり喧嘩を繰り返していても周りがそれを許していたのは、寅さんの周囲にかける愛情と、その愛情を上手く伝えることのできない不器用さを知っていたからなのだ。

 その瞬間、まるで映画の中の人物のように、僕はさっきまで観ていたシーンを思い出す。旅から帰ってくる寅さんを「お帰り寅さん!」と温かく出迎える周りの人々の目は迷惑な人に向けるそれではなく、本当に帰ってきてくれて嬉しいといった目そのものだったのだ。

 そして最後のシーン。マドンナと呼ばれる、寅さんと出会った歴代のヒロイン達の映像が代わる代わる流れ、全員が「寅さん!」と呼びながら優しい笑顔を向けるのだ。

 あぁ、この人は愛されていたんだなぁ。そう思うと涙が溢れた。今日出会ったばかりのおじさんだが、そのおじさんに苛立ち、しかし人の温かみを感じていた。これこそが寅さんなのだ。そして泣きながら寅さんの周りの人と同じように「帰ってきておくれよ、寅さん……!」と心の中で叫ぶのだった。

 

 エンドロールが流れ、涙を拭い、映画が終わると、僕の左隣に座っていた70歳くらいのお婆さんが目を擦る僕に気付いた。比較的若い人が『男はつらいよ』を観にきているのが珍しかったのだろう。僕に微笑んだ顔を向けながら「寅さん好きなの?」と聞いてきた。僕はその人の方を向き「はい!」と答えた。

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次回の更新日は2020年9月11日(金)です。

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