僕の人生には事件が起きない
2020/09/11

ハライチ岩井がライブでの「プチョヘンザ」に感じる違和感

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による連載エッセイふたたび。「人生には事件なんて起きないほうがいい」、独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「ライブ」です。

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「ライブ」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 昔からなんとなく続けているものというのは、向き合ってちゃんと考えてみると、実はもう意味が無くなっていたり、破綻していたりする。しかし、意味を考えもせず、なんとなく続けてしまっている人が大勢いるので、無くならないのだ。

 音楽は人並みに好きで、好きなアーティストの曲をプレーヤーに入れて通勤時に聴いている。聴くのは邦楽で、洋楽はほとんど聴かない。

 洋楽を聴かない理由としては、英語がわからないからだ。そのアーティストが作る曲がどんなに良かったとしても、歌詞がわからないので好きになれない。

 例えばかっこいいと思っている英詞の曲があったとしても、歌詞を和訳すると「さつまいもホクホク~!」かもしれないのだ。歌詞が「さつまいもホクホク~!」かもしれない曲を「この曲最高にかっこいいんだぜ!」と人に言えるだろうか。すごく可愛いと思っている曲の歌詞が「お前の彼氏にいい女をあてがってやるよ~」かもしれないというのに、友達に勧められないだろう。

 たとえ歌詞を和訳できたとしても、日本語にするとその国独特の細かいニュアンスまでは伝わらないので、どうにもハマれない。それに高校の頃、歌詞の意味をすっ飛ばして「洋楽いいよ!」と言って勧めてくる友達に対して、昔からある、漠然とした「アメリカかっこいい!」と言っている印象を抱いていたのだが、それが今も続いている。

 ライブは本当に好きなアーティストのワンマンライブにしか行かないので、対バンライブや音楽フェスへは基本足を運ばない。そのくせ、自宅でアーティストのライブ映像を観るのは好きという在宅系である。

 しかし、音楽ライブの映像を観ていて僕は違和感を抱くことが1つある。それはアーティストがライブで度々使う「put your hands up!」という言葉だ。カタカナで「プチョヘンザ」などと表記されることがある。「両手を挙げろ!」という意味で、アーティストが観客を煽って盛り上げる時に使う言葉だ。

 僕はライブ中に聞くこの言葉に引っかかるところがある。

 本来プチョヘンザの意味でもあるライブ中に観客が手を挙げる行為というのは、曲を聴いて「この曲すごくいい! 最高だ!」と気持ちが高ぶり「この気持ちをどうすればいいんだ!」という自分を解放しきれない気持ちが積み重なっていって、それが最高潮に達した時「あーもう! ……プチョヘンザ!!」と爆発し、手を突き上げる。これが正しいプチョヘンザのはずだ。

 なので、アーティスト側から「プチョヘンザ!」と煽るのは「高ぶってやる行為をみんなでやろうぜ!」「疑似高ぶりをしようぜ!」という意味に等しい気がするのである。

 プチョヘンザというのはアーティストが観客を盛り上げてくれれば自然と行われる。アーティストが要求して観客がその通りにやった“疑似高ぶり”は、誰にアピールする行為だと言うのだ。

 本当ならば、観客はアーティストに「プチョヘンザ!」と言われたら「いや、お前が手挙げさせてみろ!」と返していいはずである。辛辣なようにも思えるが、アーティスト側はそう言われたら「そうか! まだそんな高ぶってないんだな! じゃーもっと高ぶらせてプチョヘンザさせてやるよ!」と言って次の曲に行けばいいのだ。

 お笑い芸人が舞台に出て「今からみんなで笑いましょう!」とは言わないだろう。なぜなら観客に「こっちは金払って観にきてるんだ! 笑わせてみろ!」と言われる可能性があるからだ。アーティストがそんな行為を恥ずかしげもなくやっていることに、僕は違和感を覚える。

 さらには、プチョヘンザというのは気持ちが最高潮に達した後やってしまう行為だが、その行為が必ずしも“両手を挙げる”というものではない人もいるだろう。高ぶったから手を挙げよう。と思っている時点でプチョヘンザではない。

 プチョヘンザは“両手を挙げる”という意味であるものの、そこから離れ、各々のプチョヘンザが存在するはずだ。人から引かれてしまうような変な動きになってしまってもいいし、奇声を発してしまってもいい。アイドルのライブで、曲中に客席の端で謎の奇妙な動きで乗っているおじさんがいることがある。あれが真のプチョヘンザなのだ。

 僕のプチョヘンザも“両手を挙げる”ではない。僕の場合おそらく“床に突っ伏して頭を抱えながら足をバタバタさせる”だ。好きな子からメールが来た時にベッドの上でやるアレである。もしくは“顔を両手のひらで覆って床をゴロゴロ転げ回る”かもしれない。

 そもそも“両手を挙げる”というプチョヘンザは日本人に合っているのだろうか。高ぶった時に手を突き上げるというのは日本人が自然にする行為なのかと考えたら、歌詞のわからない洋楽をかっこいいと言うのと同様、漠然とした海外への憧れからやっている行為のようだ。

 もし、日本人に染みついているプチョヘンザで一番しっくりくるものがあるとすれば、ライブ中高ぶって高ぶって、高ぶりが最高潮に達した時、抑えきれない気持ちとともに発せられる「よっ!」ではないだろうか。「よっ! ビートルズッ!」「よっ! レッド・ホット・チリ・ペッパーズ!」というのが日本人の自然なプチョヘンザだと思うのだ。

 ただそんなことを考える僕も、実際好きなアーティストのライブへ行った時は他の観客と同じように、手を突き上げたり振ったりしているのだ。

 しかし、それは決して高ぶった最高潮の後にやってしまっている行為ではない。手を突き上げるときに、手を挙げよう。という意識が確実にある。

 ではなぜやるのかと言うと、ライブで曲を聴けば楽しいし高ぶっていない訳ではないので、手を突き上げることによって、アーティストがそれを見た時に「あ、楽しんでくれてるじゃん!」と気付き、アーティスト側にもこのライブを楽しんでもらいたいからなのだ。

 そしてアーティストも高ぶることでより良いパフォーマンスができ、結果的に僕もそれを聴ける。そんな空間になってくれたらいいな、と思ってやるプチョヘンザなのだ。

 自分を思い返してそう気付いた時、ライブには“思いやりのプチョヘンザ”というものがあることがわかったのだ。

 海外アーティストが日本に来る音楽フェス。客席には歌詞の意味がわかっていない観客や、MCでアーティストが喋っている外国語が全くわからない日本人の観客もいる。

 しかし彼らも曲中に手を突き上げたり、アーティストのMCを聞いて頷いたり拍手したりするのだ。それは、海外アーティストがせっかく日本に来てくれたのだから、日本でのライブを楽しんでもらいたい。という気持ちからくる“おもてなしのプチョヘンザ”なのかもしれない。

 昔からなんとなく続けているものというのは、実はもう意味が無くなっていたり、破綻していたりすることがある。だが、それとは別に新しい意味が生まれていて、それでちゃんと成り立っていたりする。音楽ライブを考えることによって、僕はそんなことに気付いた。

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次回の更新日は2020年11月13日(金)です。

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