僕の人生には事件が起きない
2018/12/28

ほとんど後輩と連まないハライチ岩井が仲良くしていた「ぽっちゃり男」

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お笑い芸人・ハライチの岩井勇気による初めての連載エッセイ。お笑いのこと、ラジオのこと、アニメのこと、この世界のこと……独自の視点で日常に潜むちょっとした違和感を綴ります。今回のテーマは「トシボーイ」です。

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第8回「トシボーイ」


イラスト:岩井勇気(ハライチ)

 僕がお笑い芸人を始めて12年程になり、12年も同じ仕事を続けていると当然後輩というものができる。しかし僕のやっているハライチというコンビはあまり後輩と仲良くする、俗に言う後輩と“連(つる)む”コンビではない。僕らは20代前半で運良くテレビに出ることができた。20代前半にいろんな番組に出て仕事をしていると、自然と絡む芸人は先輩芸人ばかりなのだ。どの仕事現場に行ってもハライチが一番後輩。なので、その頃から後輩芸人と一緒に仕事をする機会というのは殆どなかった。

 気付けばハライチは、後輩とあまり連まないコンビになっていた。

 しかし殆ど後輩と関わりを持たない中にも、少数ではあるが仲のいい後輩はいる。たとえばデラスキッパーズという漫才コンビのトシボーイだ。このトシボーイという芸人は、年齢が僕の1つ下のぽっちゃりした男で、コンビでの役割は世にも珍しい“ネタ作りに参加していないボケ”だ。

 お笑い界でボケでありつつネタを作っていない人間は、ならず者とされている。ネタの中でどんなにボケていても、“ボケさせられている”でしかない。そんなならず者は他の能力で補うしかないのだ。例えば演技力が凄い、1発ギャグをたくさん持っている、コミュニケーションに長けている、顔がカッコイイ。そういう能力があれば、いくらボケでネタを書いていなくても、コンビの一員としての役割はある。しかしそれらを何も持ち合わせていないのが、トシボーイという男だ。

 通常ならお笑い界は、そんなトシボーイにお笑い芸人ビザを発行する訳がないのだが、恐らく何かの手違いで管理局が発行してしまったのだろう。なのでトシボーイは堂々とお笑い芸人を名乗ることができるし、舞台でネタをすることも許されている。ライブ会場も楽屋口から入ることができるし、芸人同士の打ち上げにも参加できる。お笑い好き女子に「芸人さんなんですか~?」と言われた時、「そうだよ~」と言って堂々と芸人ビザを見せて、お持ち帰りする事も容易(たやす)いのだ。

 しかし、このトシボーイがどうにもできない奴だった。とりあえず率先して喋るタイプではないし、気の利く後輩の動きができるタイプでもない。基本的にぬぼーっとしていてしゃべり方ももたもたしているので、身長は低いのに雰囲気だけ大男だな、といつも思っていた。感情もあまり表に出てこない。喋っていても喜び、怒り、悲しみと言った感情は感じ取れず、唯一確認できたのはご飯を奢ってあげた時の「オイシイ」だけだ。牛の方がまだマシなんじゃないかと思う時もあった。

 後輩の動きができなくても、ご飯を奢ってもらった後これさえ言っておけば全てが許される魔法の言葉「ごちそうさまでした」ですら言い忘れることがある。財布にまったくお金が入ってない状態で遊びに来て、帰りに1000円貰って帰る。カタコトの外国人でもできるコンビニのバイトを2か月でクビになる。そんな芸人だ。

 とにかく一緒に居て何も生み出さないので、ある日「1か月後に俺の誕生日がある。お金がかかっていなくていい。何でもいいからトシボーイなりのプレゼントを持ってきてくれ」と言った。「ごちそうさまでした」を言い忘れる後輩芸人でも1年に1度、誕生日にプレゼントを持ってくる後輩であれば「可愛いやつだな」と思える気がしたからだ。そして1か月後、僕の誕生日当日にトシボーイは“全くのスルー”と言う偉業をやってのけた。僕はもはや嫌われているのかとさえ思った。後日、本人に確認したところ、すっかり忘れていたらしい。

 その1年後、日頃あまりにも粗相がひどいので、僕は同期の芸人と一緒に飲みの場でトシボーイに怒った。その真っ最中、トシボーイは店員さんを呼び止め自分の生ビールを注文したのだ。その姿に僕ら2人はさらに激怒した。散々怒られ、トシボーイも相当反省した様子で店を出ると、帰り際トシボーイが僕に紙袋を差し出し、「岩井さんこれ。誕生日プレゼントです。おめでとうございます」と言ってきたので「絶対このタイミングじゃないだろ!」と声を張り上げた覚えがある。ちなみにその時貰ったプレゼントは『ネクタイを入れるケース』という、訳の分からない物だった。

 そんなトシボーイの組んでいるデラスキッパーズというコンビに転機が訪れた。名古屋でラジオ番組のレギュラーが決まり、東京を離れ名古屋を拠点に活動することになったのだ。とんとん拍子に話は進み、デラスキッパーズは名古屋に移り住んだのだった。

 デラスキッパーズが名古屋に拠点を移し、当然トシボーイとも遊ばなくなった。

 そんなある日、僕は自転車を買った。通販サイトで少し骨太の、タイヤの太い自転車を見つけ、それを気に入って買ったのだが、いざ自宅に運ばれて間近で見ると、サイトで見た時よりガッシリとしていて、意外な大きさに驚いた。その衝撃は昔初めて間近で土佐犬を見た時に、犬と言うより獣だと感じ、本能的に“殺される!”と頭をよぎった恐怖の感覚に近かった。

 新しく自転車を買ってからは自宅の周りの店に自転車で行っていたが、一度仕事の現場に自転車で行ってみようと思ったことがあった。現場も2、3キロ圏内と割と近かったのと天気も良かったので意気揚々と出発した。

 しかし、都内の道というのはとにかく坂が多く高低差が凄い。長い下り坂の後には必ず上り坂があるし、下り坂は上り坂でもある。楽な下り坂も帰りは登らなくてはいけないのだ。2、3キロの道のりでも僕の足は悲鳴を上げ、息は上がり、気がつけば汗だくで上り坂を歩きながら自転車を押していた。

 もう仕事へは自転車で行くまい、と後悔していた時、僕はある事を思い出した。それは、昔目黒に住んでいたトシボーイが浅草でバイトをしていた頃、行き帰りの交通費がないからと言って15キロもの道のりを毎日自転車で通っていた事だ。今自分は2、3キロの道のりでさえこの高低差に音を上げている。しかしあのトシボーイは15キロもの道のりを毎日通っていた。時には雨の中ずぶ濡れで帰ってきた時もあった。

 何もできないと思っていたトシボーイにこんなにも根性があったのか。自転車に乗ってみることでトシボーイの凄さを思い知らされた。フォレスト・ガンプの意外な能力に周りが驚かされていた時のようだと思った。

 僕に15キロの道のりを毎日自転車で往復する根性はない。しかしそれがトシボーイにはある。今、デラスキッパーズは名古屋でラジオ番組のレギュラーを頑張っている。持ち前の根性で名古屋のスターになって帰ってきてもらいたいものだ。その時に名古屋から自転車で帰ってきたら笑うだろうな、と思った。

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次回の更新予定日は1月11日(金)です。

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