行儀は悪いが天気は良い
2022/04/22

Aマッソ加納愛子の小学生時代の思い出 子どもの頃しか使えなかった魔法の言葉

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人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「魔法をかける」です。

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 私たちには、子どもの頃しか使えなかった魔法の言葉がある。「ことな」だ。

「じゃあ私が泥棒でそっちが警察なことな」「じゃあ今から白線だけしか踏んだらあかんことな」「黒いとこにはみ出したらワニに食べられることな」「じゃんけんで勝った人から好きなポケモンになれることな」「バリアしてる間はタッチできひんことな」

 誰かが「ことな」の魔法をかけると、みんなの前にそれまで見えなかったものが次々に出現する。ワニも、ミュウツーも、最強の結界だって。あの頃は誰もが魔法使いだった。

「ことな」はつまり「今から~というつもりで言動をしよう」というファンタジーへのお誘いであるが、大人になると、このお呼びがかからなくなる。その代わりにぬるっと現れるのが、「体(テイ)」という何ともいやらしい言葉だ。「ことな」も「テイ」もかわいい音で構成されている似たような意味の言葉であるのに、使われるシチュエーションはまるで異なる。「今回の件なのですが、先方に聞かれても知らなかったテイでお願いします」「一旦そのテイで話を進めておいてもらえますか」テイは、ものごとを取り繕うための装置にすぎず、愛されることなくただ放たれている悲しみがある。日陰者の「テイ」が愛くるしい「ことな」の親戚だなんて信じられない。「ことな」もきっと「対外的にわたくしとは関わりのないテイでお願いします」と言っている。

 しかし、嘘も方便テイも方便。仕事をする上でテイがなければ困る場面も多い。結局私もテイには日頃からお世話になっている。そうして今日も恥ずかしげもなくテイテイ言っている私の元に、かつてのピカチュウから連絡が来たりする。「このたび無事に第一子が生まれました!」ゼニガメの私は破顔して、「おめでとう!」と送る。彼女はこれから母親になる。もちろん母親のテイではない。ドッジボールが得意で、おかあさんごっこを嫌がるような男勝りな子だった。時は大きく流れている。
 
 
 私が特に「ことな」と蜜月だったのは、ポケモンごっこブームから3年が経った6年生のときだ。在籍していた6年4組は、全国のどこにでもあるような可愛い「ことな学級」だった。

 野球のうまい慎太郎の「いたずらことな」は束の間クラスメイトの目を輝かせた。チョークの粉で真っ白になった黒板消しを、椅子に立って教室のドアの一番上に挟み、ピョンと飛び降りながら「先生が開けるまで、みんな喋ったらあかんことな」と指令を出した。人気者の「ことな」の魔法は、絶大な効力がある。慎太郎は一瞬でクラスに沈黙を連れてきた。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、廊下から先生が歩いてくる足音が聞こえると、教室の沈黙はさらに大きくなった。みんなが固唾を呑んで見守る中、普段とは違う気配を感じた担任の先生がゆっくりドアを開けると、挟んであった黒板消しが先生の頭上に落下した。当たった衝撃でチョークの粉が舞いあがる中、沈黙はたちまち大爆笑に変わる。それを受けて、先生が「お~い! お前ら~!」と片手をあげると、さらに笑いは大きくなった。高身長の先生は、頭を真っ白にしながら「気づかなかったテイ」で無邪気な教え子の「ことな」を死守していた。次の日、噂を聞いた隣の3組が同じように黒板消しをドアに挟んでいるのを見て、みんな揃って腹を立てた。「ことな」にもちゃんと道義はある。

 山口は見事な「サイレントことな」だった。国語の授業中、先生が教科書に載っている興味のそそられない小説を音読していた。みんなは読まれているページを開き、静かに文字を目で追っていた。その中でひとり、一番前の席に座っていた大輔だけが、なぜか教科書の一番後ろのページに載っている「さまざまな外来語一覧」を見ていた。大輔の右隣に座っていた山口はそれに気づき、笑いをこらえながら、同じページを開いた。山口はそのまま、先生の目を盗んで後ろを見ながら、大輔と自分の教科書を指差した。その視線はまさに「みんなもこのページ開くことな」だった。それを受け取った後ろの席の子も、またその後ろの子も、同じようにそのページを開き、あっという間にクラス全員が「さまざまな外来語一覧」を見ている状況になった。

 こらえられなくなった女の子が笑ったせいで、先生がクラスの異変に気づいた。「なんや」と言うと、察しの良い数人が教科書を先生のほうに反転させ、みんなもそれに倣って開いているページを次々と見せた。先生は驚いて「どこ見てんねん!」と言い、めずらしく声を出して笑った。そしてニヤニヤしながら「誰や最初にやりだしたやつ」と聞くと、みんな口々に「大輔です」「大輔」「大輔」と申告した。先生は「大輔おまえ~!」と嬉しそうに言った。

「どこ読んでんねん」
「……かすてら」

 今度は先生は手を叩いて笑った。大輔は一躍「クラスに面白いノリを流行らせた奴」として評価された。私は笑いながらも「山口の功績も称えてあげてほしい」と思っていた。私の中で山口は立派な「ブームの火つけ役」で、大輔は「ただの変なバカ」だった。

 女の子も負けてはいない。マコちゃんの「ハードことな」は私たちを逞しくした。喧嘩の強いお兄ちゃんの影響からか、マコちゃんはよくプロレス技をかけてきた。「ここにロープあることな」は、今まで出会った「ことな」の中でダントツいかつかった。プロレスを見たことがないクラスメイトに「大丈夫痛くない痛くない」と優しい歯医者のように声をかけ、腕を体に絡ませていた。私もその対象になったが、どの技ももれなく当たり前のように痛かった。さらにマコちゃんは通りかかった花壇の前で止まり、「愛子とあいぴーは今から花と会話できることな」と、今考えてもおそろしい無茶振りもしてきた。私とあいぴーは頭をフル回転させて花に喋りかけ、マコちゃんが笑うまで土まみれになってエチュードを続けた。

 クラスを巻き込むいろんな「ことな」に比べて、私とあいぴーの「ことな」は不確かな、そして求心力のないささやかなものだった。それは、儀式だ。あの頃私たちは体の内から湧き上がる理由のわからない儀式欲に支配されていた。

 二人で通っていた通学路沿いに建っているとある民家の前に、大きな石があった。私たちはいつからか、何のご利益もないその石の前に立って一礼するようになった。一礼した後は、静かに石の上に乗り、静かに下りる。それを二回繰り返す。一人がやっている間はもう一人はそばで見守る。その一連の流れを「朝の儀式」と呼んだ。

 帰り道は、朝とは違うルートを通った。狭い路地裏を通り、ある民家の裏に脆くなっている壁を見つけ、指で触ってみると壁の表面がボロボロと剥がれた。私たちはその日から、下校のたびに少しだけその壁を指で剥がした。それを「夕方の儀式」と呼んだ。

 最大の儀式は、トントンさんへの挨拶だった。

「体育の授業中、こっそり体育館の勝手口の鍵を開けておけば、放課後も忍び込んで遊ぶことができる」ということに気づいた私たちの間で、「お忍び体育館」がブームになった。体育館の中には、授業中には使わせてもらえないトランポリンやターザンのようにぶらさがれるロープがあり、放課後はそれらで遊びたい放題だった。普段は30人ほどで使用する広い場所をたった数人で使えることと、いつ見回りの先生に見つかって怒られるかわからないというスリルに、みんな興奮を覚えていた。

 放課後、あらかじめ鍵を開けておいた勝手口のドアを開くと、ひんやりとした静かな空気が体育館全体を包んでいる。高い窓から西日が差し込み、昼間とは違う色合いになった室内にはどこか神聖な空気を感じた。そのとき、天井のどこからか「トントン」という音が聞こえた。私たちはびくっとして見上げたが、何かが動いた様子はなかった。他の友達は気にせずにそのままトランポリンで遊び始めたが、私とあいぴーは、もしかしたら体育館にはトントンさんという神様が住んでいて、お邪魔するときには許可を取らないといけないのではと話し合った。そして次の日から、体育館に入ると真っ先に私とあいぴーは正座をして手をつき、「トントンさん、今日も遊ばせてもらいます、よろしくお願いします」と挨拶した。しかし一緒に来た他の友達に「トントンさんに挨拶しなあかんことな」とは言わなかった。自分たちでつくったはずのトントンさんの存在を心から信じこんだ私たちは、「ことな」を少し超えていた。そして、不思議なものや目に見えないものに畏敬の念を抱くことは、他の人に強要するものではなかった。確かにトントンさんはそこにいると思った私たちだけが、トントンさんに許されるのだった。その後、ドジな男子が鍵を開ける瞬間を先生に見つかり、この体育館遊びに終止符が打たれた。遊びに参加していた生徒はこっぴどく叱られたが、私は「でもトントンさんにはちゃんと挨拶していました」と言い訳するのを我慢しながら、黙ってうつむいていた。
 
 
「じゃあ俺が銀行強盗やるから、おまえ客やってな」
「コント! 森の妖精!」
「ホイップクリームの滝があるの知ってます?」
 
 
 子どもでいられる時間は短いが、もしかしたら「ことな」の魔法が解けていることに気づかない人間が、知らないうちに芸人になってしまうのかもしれない。

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加納愛子(かのう・あいこ)
1989年大阪府生まれ。2010年に幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。2020年デビューエッセイ集『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)が話題に。文芸誌で短編小説を発表するなど、いま最も注目を集める書き手の一人でもある。

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