生肉をヘッドホン代わりに……Aマッソ加納がコントに挑戦するきっかけとなった映画サークルでの日々
人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「トマトとミンチ肉」です。
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尊敬するある人にかけられた「サブカルチャーではなくカウンターカルチャーになりなさい。カウンターはいずれメインになり得る」という言葉が、私の心の琴線に触れた。
夢多き芸人の立場として、「B級」「サブカル」「アングラ」という何かしらのカルチャーにアンテナを立てた他者から配られるこれらの名刺に抱いていた感情への解をもらえたような気がしたのだ。
小さな劇場で好き放題やっていた頃ですら思っていた、「で、うちらって一体何してるんやっけ?」という不安。「アングラって言葉、なんか自分たちを俯瞰でみれてるようで気に食わんのよな、何者でもないくせに」とほざいていたのは埃まみれの地下ライブ小屋。メインに対して中指を立てながら、自分の居場所も心からは信じていなかったあの時。そのときの気持ちは間違っていなかったと思うけれど、なにも自分のスタンスの不明瞭さに戸惑う必要はなかった、とこの言葉を聞いてじーんとしてしまったのだ。
ただなぜ多くの人がそれらのジャンルに一種の心地良さを感じてしまうのかというと、やはり特別な芳香を放っているからだろう。ぼーっと道を歩いていると漂ってくることがある。自分が生み出すものとは関係なく、その香りに吸い寄せられてしまうのはもはや性といってもいいかもしれない。
数年前、新宿のK’s cinemaで行われていた「奇想天外映画祭」がまさしくそうだった。世界の奇作や珍作を集めた二週間ほどの映画祭で、私はそこで「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」を観た。
1978年にアメリカで公開された「B級映画をも下回るZ級映画」と評されるそのアメリカのホラーコメディ映画は、大きな殺人トマトが人間を襲うようになり、トマトvs人間の戦いが繰り広げられるという内容だった。巨大トマトが後ろから追いかけてくるシーンでは、平行移動するトマトの下の台車が丸見えで、撮影スタッフはカメラに見切れていた。なんの脈絡もなくヘリが墜落するシーンがあり、それは撮影中に起きた予期せぬ本当の事故だったらしいが、予告で引きがあるという理由だけで映画に盛り込んだらしい。徹頭徹尾、むかつくほどボケ倒している。あまりにも開き直った製作の粗さと、低予算ならではのチープな画作りが逆にウケ、一部の映画ファンの間でカルト人気を誇る映画になっていったのだという。
映画館を出て、思わず笑いながら「なんなん」と一人で呟き、映画通の友人に聞いてみても知っている人間は一人もおらず、またもう一度「なんなん」と吐いた。むかつく。なんやねんZ級て。んなもんあるかい。
作中のすべての不条理なギャグにハマったわけではなかったが、私は映画を見ている間ずっと「撮影、楽しそうやなあ」と思っていた。いいなあ、私もこんなアホ丸出しの映画撮ってみたいなあ。名作映画を観て没頭しているときにはそんなこと頭をよぎりもしないだろうから、観ている側にこんな風に思わせているというところまで含めて、一貫してバカなのが羨ましかった。きっと打ち合わせ中はみんなニヤニヤが止まらなかっただろう。映画を観た人から得た評価は、作り手の目論見通りだったかどうか。できることなら40年前に遡って監督にインタビューしたい。ヒットすると思っていましたか? どういう映画を目指していたんですか? トマトがツボなんですか? トマトを面白いと思ってるのはあなただけですよ?
けれど稚拙な撮影方法からは、懐かしい思い出の香りもした。そういえば、私が大学時代に初めて撮った映画も、画面の上からマイクの先っぽがずっと見切れていたし、カメラに映っている窓には、レフ板を持つ友達の姿がくっきりと映っていた。それがバカトマト映画のようにわざとであればZであっても「級」をもらえるが、学生映画はただ未熟なだけで到底観られたもんじゃなかった。とにかく必死だったことを覚えている。
入部した映画サークルでは、一年生はみんな初めての映画を撮るとき、「とりあえず同級生に負けなければいい」という、志の低い目標を持っている。私もその一人だった。先輩のような技術はないが、とりあえず同級生を出し抜きたい。だけど何を撮ればいいのか、どう撮ればいいのか全然分かっていない。その中で、春から積極的に先輩の撮影に参加して要領をつかみ出した奴が、「そろそろ一本撮ってみようかな」とまわりに声をかけはじめる。そしておそるおそる手伝ってくれる仲間を集め、下宿先のワンルームや公園で男女の会話劇のような短い映画を撮る、というパターンが多かった。
私は同級生の動きをみて、「勝つならロケ地だ」と思った。構成もカット割りもてんで分からないが、みんなが撮っていないような場所で撮影してやろうと考えた。私はアパートの部屋にこもり、脚本を書き上げた。古着屋の店長と店員のささやかな物語だった。
私はプリントアウトした脚本をかばんの中にいれ、作品に合うお店を探しに行った。梅田の古着屋街である中崎町をウロウロし、はずれのほうに気になるお店を見つけた。
長屋のような民家で、可愛い昭和レトロな服や小物を売っていて、店の奥には畳の部屋が見えた。店に入った瞬間、すぐに「ここだ」と思った。絶対にここで撮りたい。私は店内を物色しているふりをしながら、30代前半くらいであろうお店のおねえさんとお客さんのやりとりに耳をすませた。
会話の空気から物腰の柔らかそうな人だと安心した私は、お客さんがいなくなったタイミングを見計らい、レジの前にいたおねえさんに「あの、すいません」と声をかけた。「いらっしゃい」と優しく返すおねえさんに、「突然すみません、あの、わたし京都の学生で映画を撮るサークルなんですが、学園祭にだす映画の撮影で、もしよろしければ、こちらの、お店をお借りできないかなと、思いまして」と言った。
それを聞いたおねえさんは、「ああ」と言った。ああ? ああ、ってどういう意味? 多少驚かれることを想定していた私は、意外な返事に一瞬でひるんだ。「いや、あのほんとによければで、大丈夫なんですが……」
おねえさんは続けて、「この前もドラマの撮影で貸したとこでね」と言った。聞けば、ドラマや雑誌などの撮影でちょくちょく貸し出すことがあるらしく、こういう問い合わせには慣れているということだった。
プロに貸し出しているのなら断られるだろうなと思ったが、「15時オープンだから、10時から14時半までなら」という約束で、夏休み期間の三日間に店内での撮影を許可してくれた。おそるおそる貸出料を聞いたら「学生さんだから、大丈夫よ」と言ってもらった。
手伝ってくれる同級生数人と、テンションが上がりきった状態で撮影に臨んだが、実際は思っていたよりも何倍も難しかった。とにかく人が多くてスペースが狭い。店の陳列が動かせない。店前を通る車の音が入る。役者の女の子が想定外の福井訛り。早々に腹が減る。そして何よりエアコンがなかったのでめちゃくちゃ暑かった。
「あっっっっつ!!」カメラを担当してくれていた翔太がたまりかね、カットがかかった瞬間に大きい声を出した。私はみんなの士気が下がらないように、「もうちょっとやから、がんばろ」「終わったらアイス食べよ」と言いながら、なんとか初日の撮影を乗り切った。
その夜、店のおねえさんから電話がかかってきて「せっかく貸してやってるのに、店の文句を言うのはなんなんだ」とこっぴどく怒られた。どうやら店の奥で翔太の声を聞いていたらしい。もっともだと思い、次の日お詫びに菓子折りを持っていくと「そういうことじゃない」とまた怒られた。「なんやねん」と言いかけたがぐっとこらえ、私はそのせいで残りの二日、「撮影を巻いて終わらせる」ということだけに集中し、猛ダッシュで撮り終えた。
後日大学にある編集スペースで撮った映像を見返し、あまりの粗さに苦笑した。いいアングルもくそもなかった。完成したものを一応学園祭で上映したが、誰からもそれらしい感想はもらえなかった。しかし「わざわざ古着屋貸し切ってやったん? やるな」という、当初想定していた評価だけは得られた。私はサークル内でただ「行動力のある奴」になった。不本意だったが、「逃げ男」というひたすら逃げている男の映画を撮った祐介よりはましだと思った。祐介は「くだらねえだろ笑」とギャハギャハ笑っていた。祐介は初めから勝負を放棄しているように見えて、私は「くだらね~笑」と同調しながらも内心、ずっとそうやってろ、と思っていた。けれどみんな「逃げ男ってバカじゃねーの」「逃げ男ってなんだよ笑」「だっせー笑」「めっちゃサブカルやん」と、「逃げ男」の話ばかりしていた。
学園祭の後、私の行動力とお笑い好きだということを聞きつけた先輩から「コントのようなPVが撮りたいから協力してくれ」と言われ、撮影に参加したのが私の転機になった。曲はフィッシュマンズの「Go Go Round This World!」。「このミンチ肉の塊をヘッドホンに見立てて耳に当てて、笑顔で揺れてくれ」と言われた。意味はわからなかったが、先輩は真剣だった。私は冷たい生肉が耳に入っていく感触と、得体のしれないものに触れている感覚にぞわぞわした。撮影期間はずっと楽しくて、私もコントやろうかな、とぼんやり思った。この話を友人にした時、「フィッシュマンズで意味わからんPV撮るって、いかにもサブカルっぽいな~」と言われた。私は釈然としなかった。私の中で逃げ男とミンチ肉は全然違った。そもそもその先輩は自分の作品のことを「くだらない」なんて言わなかった。もちろんどちらも世に出ることはなかったが、私はこの二作品のことをことあるごとに思い出すだろうなと思った。
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加納愛子(かのう・あいこ)
1989年大阪府生まれ。2010年に幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。2020年デビューエッセイ集『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)が話題に。文芸誌で短編小説を発表するなど、いま最も注目を集める書き手の一人でもある。
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