行儀は悪いが天気は良い
2022/06/24

錦鯉やモグライダーも出演! 下積み時代に心の拠り所となったお笑いライブの思い出をAマッソ加納が語る

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人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「バスク」です。

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 大なり小なり夢をもつ大人が掲げる「死ぬまでずっと青春」という熱くて寒い目標は一旦置いておくとして、「あなたにとって青春とはなんですか?」と聞かれたら、なんと答える人が多いだろうか。汗を流して頑張った部活動、甘酸っぱい不器用な恋愛。友達とのドタバタ低予算旅行。語り明かした夜。

 喜怒哀楽どの感情に結びついている思い出であれ、青春というのはその過去を懐かしみ、「もうあの頃に戻ることはないだろう」と懐旧の情に駆られるものだ。私にも愛おしくて青い思い出はたくさんあるが、他の何よりも埃をかぶせまいと事あるごとに引っ張り出してしまう記憶がある。バスクだ。バスクは紛れもなく私の青春であり、あの頃の心の拠り所だった。
 
 
 
「バスク」は2013年から2017年までの約4年間、阿久津大集合(あくつだいしゅうごう)という芸人と私の二人で主催していたお笑いのネタライブだ。不思議なことに、今までの芸人人生で「出会えて良かった」と思える人の多くはこのライブに関わっている。

 当時はコンビとして事務所内でなかなか思うような結果が出せず、私はその負のエネルギーを全て巷の大喜利ライブにぶつけていた。都内で開催されている大喜利ライブに片っ端からエントリーして出場しては、仏頂面でマジックペンを握っていた。

 ある日出場した、区民は誰も利用していないであろう潰れかけの区民会館の会議室で行われた大喜利ライブ。そこで私は阿久津大集合、通称あくっちゃんに出会った。

 出場者十数人、お客さん数人という供給過多なそのライブは、決められた制限時間の中で大喜利を競うトーナメントシステムで、その決勝戦で私とあくっちゃんは戦った。

 坊主頭のあくっちゃんは声が大きく、少年バトル漫画の主人公が必殺技を繰り出すときのように回答を出した。手に持ったフリップを客席に向かって半回転させる直前、私にはあくっちゃんが「くらえ!」と言っているように聞こえた。まわりの出場者とはちがい体を大きく動かして回答していて、もはや椅子の上におとなしく座っていることが奇跡とすら思えた。空間を支配するような威力で放たれる回答は、圧倒的にバカで、そしてめちゃくちゃ面白かった。

 接戦の末、いよいよ勝負が決まろうかという大事な局面で、あくっちゃんは意味をなさないただの奇声に近い回答をし、結局僅差で私が優勝した。ライブ終了後、会館の横にある薄暗い喫煙所にいると、海外ロックバンドのTシャツを着たあくっちゃんがやってきて「ありがとうございました! めっちゃ面白かったっす!」と、舞台上と同じ声量で声をかけてきた。自意識をこじらせがちの若手芸人にはめずらしい快活な態度に感化され、私も「いやこちらこそ、めっちゃ面白かったです」と素直に感想を伝えた。

 あくっちゃんは「オレ吉本NSCの15期なんですけど、もともと西口プロレスにお世話になっていて、あ、今も、世界のうめざわさんって師匠の弟子なんすよ!」と、取っ散らかった経歴を述べた。こいつは直感で生きているな、と思った。

 連絡先を交換し、その後さまざまな大喜利ライブで共演しては開演前や終演後に言葉をかわす仲になった。あくっちゃんは私との雑談の間でも「あ~おもしれぇと思われてぇ~!」と、怖いほど欲望を包み隠さずに話した。それが羨ましいなと思うこともあれば、真面目な顔で「一回おっぱい揉ませてくんねえ?」と言ってくることもあって、こんなアホな奴と喋ってられるかと思っていた。

 私が事務所を辞めてフリーで活動することになった頃、すでに仲良くなっていたあくっちゃんは、「なんか困ったことあったら言ってな!」とメールをくれた。そして「おもしれぇ人だけ集めてバカおもしれぇライブつくらね!?」と誘ってくれた。「オレがかっけぇポスター描くから、加納は諸々頼むわ!」と言った。「ライブ名、バスクってどうかな?」と提案したら、意味も聞かずに「かっちょいーね!」と即座にOKしてくれた。スペインとフランスにまたがるバスク地方で話されるバスク語は、「どこからきたのか、何を言っているのか全然わからない言語」だと聞いたことがあり、この不親切さが自分のやりたいライブにぴったりだと思った。

 あくっちゃんが呼びたい芸人の基準は明快だった。「面白くて気の良い」奴だ。私に芸人を紹介するとき、あくっちゃんはよく「すげえ良い奴らだからさー!」と言った。そして実際に出てくれた同期や後輩芸人は、「真空ジェシカ」「ガクヅケ」「ギチ」「カナメストーン」「サッチ」「猫塾」など、本当に面白くて気の良い芸人ばかりだった。渾身のネタを下ろしてくれ、舞台で爆笑をとった上に「呼んでくれてありがとう」と言って帰っていった。あくっちゃんの人を見る目は、誰よりも信頼できた。

 さらにどこで知り合ったのか、とてつもなくいぶし銀な兄さん達を連れてきたりした。あくっちゃんの意向で、バスクでは必ず芸人それぞれが望む出囃子曲を用意した。曲が鳴る中、あくっちゃんが影マイクで格闘技のリングアナウンサーのようにコンビ名を叫ぶ。新人が出場するライブにしか出ていなかった私は、そこではじめて、かまやつひろしの「我が良き友よ」でセンターマイクに向かう「錦鯉」さんや、クラシックの交響曲で軽やかに出て行く「モグライダー」さんなどに出会い、「シブい」の意味を知った。他にも、平気で何十分も暴れまわる「虹の黄昏」さん、「アンドレ」さん、強さと華の「メイプル超合金」さん、脳が狂うようなコントの「ローズヒップファニーファニー」さん、「ななまがり」さん、痺れる魔法のような漫談をする「街裏ぴんく」さんや「殿方充」さん、「ユンボ安藤」さんなど、他のライブでは決して出会えなかった、自分の笑いに信念を持った芸人ばかりだった。小さな劇場だったが、客席と舞台の熱気は回を重ねるごとにどんどん高くなっていった。舞台袖は他の芸人のネタを見たい芸人でぎゅうぎゅうで、ライブ後半には楽屋はすっからかんになった。私もコンビで好きなネタを好きなようにやった。楽しかった。他のライブではお客さんに伝わらなかったネタも、バスクでは伸び伸びやれた。みんなも「バスクには一番好きなネタを持ってくるって決めてる」と言ってくれた。

 打ち上げではみんなベロベロになり、朝まで騒いでいた。こんな時間がずっと続けばいいのにと思った。そして信じられないことに、誰ひとりとして売れていなかった。

 ライブが軌道に乗り、出演者を発表する前に100席のチケットが完売するようになった頃、いつものように喫茶店で出演者を決めていると、あくっちゃんが「さらばさん呼びたい!」と提案してきた。すでに賞レースの決勝に何度も進出し、テレビでも活躍していた「さらば青春の光」さんのことだった。私は「売れてる人呼ぶんはちゃうやろ」と、難色を示した。あくっちゃんはいつものように「なんで? おもしれーじゃん」とまっすぐな言葉で言った。頑固な私は「売れてる人呼ぶんやったら私は出えへん」と言い、「そういうのどっちでもよくね?」と、納得のいっていないあくっちゃんと喧嘩をして別れた。腹が立った私はライブ当日、バスクを休んであてつけのように別のライブに出た。

 その日もバスクはいつもと変わらず大盛り上がりだったようで、私は自分の小さなこだわりがなんの価値もないと言われたようで悔しかった。しかし気づいていた。自分がつくったライブを美化し、存在意義を勝手に定義していたのは私だけで、あくっちゃんはずっと「面白くて気の良い」芸人を求めていただけだった。

 しばらくして、バスクに出てくれている芸人が一組、また一組とテレビに出始めるようになった。忙しい中でも収録終わりに駆けつけてくれる人もいたので、いつもやっている劇場ではお客さんが入りきらなくなってきた。

「少し大きい会場でやろうか」ということになり、倍ぐらいの客席数の会場でライブをすることになった。客席には、今まではいなかったような、テレビで芸人を知って見に来てくれたお客さんもいた。ライブは盛り上がったが、広い会場の中ではいつもの血がたぎるようなクラクラする熱気は感じられなかった。誰かがぽつりと、「なんか今日バスクっぽくないな」と言った。

 私は、ああ、もしかしたらもう終わりなのかもしれないと思った。私の中で、バスクは客観性を持ってはいけなかった。「またタイミング見てやろう」と言って終わったが、それ以来バスクは開催しなかった。

 環境が変わり、いろんな仕事をさせてもらえるようになった今でも、ラジオや取材の中でふと「バスクの時は、」「バスクとは違って、」と言いそうになる。それはとても情けなくて、かっこ悪い。私はまた、あのライブの熱量を超えてやろうと、今日の仕事に力がはいる。私は青春に勝たなければいけない。と思っていたら、あくっちゃんから「バスクみたいな『バスケ』っていうライブやってもいい!?」と連絡がきて、体の力が抜ける。

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加納愛子(かのう・あいこ)
1989年大阪府生まれ。2010年に幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。2020年デビューエッセイ集『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)が話題に。文芸誌で短編小説を発表するなど、いま最も注目を集める書き手の一人でもある。

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