「挨拶なんてどうでもいい」と思っていたAマッソ加納が痛感した、挨拶しないことの“カッコ悪さ”
人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、第22回のテーマは「楽屋雑記」です。
「お前が挨拶しないって噂になってる奴か」と言われたこともあるAマッソ加納さんが自戒を込めて語った、挨拶をすることの大切さとは? そして、挨拶なんてどうでもいい、と思っていたからこそ気づいた、挨拶しない人の“カッコ悪さ”の理由とは?
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ある後輩芸人と楽屋で初めて目が合った。数年越しの、と瞬間的に思ったということは、恥ずかしながら、そうなることをどうやら心のどこかで望んでいたということなのだった。
この経験は初めてではない。特に上下関係にきびしい事務所にいるわけではなく、体育会系の付き合いを鼻で笑うような風潮もある今では、よほど神経質な先輩芸人を除いて、後輩芸人が挨拶してこないことを咎める人は少なくなった。私も直接的な被害がない限り、後輩の言動に苛立って説教するなんてことはない。ただ、楽屋などの同じ空間にいるのに全く関わり合わない状態が続くと、確実に先輩側に「こちらに興味がないんだな」と思わせることにはなる。私にも、そう感じさせる後輩が何人かいる。
そんな後輩が、一度テレビの番組で共演すると、途端に態度を一変させてくることがある。何年も劇場の楽屋で一緒になっていたはずなのに、初めて目が合い、初めて心を開いた笑顔で「おはようございます」と言われる。ああ、この後輩にとってライブは「共演」にはカウントされないんだな、と微笑みをたたえているその目を見て思う。そして、共演した番組が好評だったことを知ると、今度は雑談までしてくるようになる。なんだかなあ、と思いながらも、その後輩が「絡んだら得をする先輩」と私への認識を変更させたことに、小さな勝利を感じている自分もいる。挨拶なんてどうでもいい、と思っていたはずなのに、心の奥で「でも、面白いと思われたい相手には挨拶するよな」というカッコ悪い感情を静かに抱いていたことに気づかされる。
そういう私も、ろくに挨拶しない若手の一人だった。上京してきた当時はよく「挨拶しろ」と怒られた。初めて会った先輩から「お前が挨拶しないって噂になってる奴か」とふっかけられたこともあった。
とある先輩には、劇場近くの路地裏で挨拶の練習までさせられた。「じゃあ私が歩いてるから、呼び止めて挨拶してみて」と言われ、先輩は急にスタスタと歩き出した。いやいや、前から来るやろ普通、なんで遠ざかる人をつかまえてまで挨拶せなあかんねん、自分が先輩やったらわざわざ呼び止められたのに挨拶だけやったらイヤやけどな、などと思っている間に、声をかけるタイミングを失ってしまい、ずいぶんと前へ行った先輩が、振り向きざまに「何してんねん!」とキレた。それはこっちのセリフじゃ、と思ったのが表情に出ていたのか、先輩の教育熱を急上昇させてしまい、納得が行くまで何度も「失礼します、ご挨拶よろしいでしょうか」からはじまる自己紹介を繰り返し練習させられた。
なぜ、そんな面倒なことになるまで挨拶しなかったのか。そう聞かれたら、「ナメていた」「自分を過信していた」「まわりに敬意がなかった」「だるかった」「こびていると思われたくなかった」など、いろんな理由が思いつく。もちろんその全てが該当していたが、つまるところ圧倒的に社会を知らなかったというのが一番の原因だった。だから本当の答えは、「挨拶すること(目を合わせること)のメリットを知らなかった」というのが正解かもしれない。
実力と運の強さを持っている者が優位であるこの業界ではなくても、社会にでると挨拶と敬語によって秩序の多くが保たれていることを身をもって経験する。挨拶することで、相手に無駄な敵意を持っていないことを表明できる。だから、挨拶のたった2秒でその秩序を手に入れられるのなら、さっさと済ませておいたほうがいい。
視野が狭く、ひとりよがりであった私がそのことに気づくにはだいぶ時間がかかってしまった。現在、身をもってその時間のロスを痛感している。
しかしながら、このように「目は口ほどに物を言う」という言葉を大部屋の楽屋ほど実感する場所もないだろう。芸人は人の感情を扱う職業ゆえか、自分の気持ちに素直な人間が多い。だから目から得られる情報がとても多い。
とある先輩に挨拶をすると、いつもは「おはよう!」と元気よく返してくれるのに、小さく「うぃす」と言ったのみで、一瞬でちがう方向を向いた。ああ、今日は新ネタを下ろすんだな、とわかる。手持ちのネタをおろす芸人の呑気さと、新ネタをおろす芸人の緊張感はじつに相性が悪く、目を合わせる時間もずいぶん変わる。反対に、「おはようございます!」と言ったあとにまだじっとこちらを見ている後輩は、単純に私にハマりたいと思ってくれているか、なにか大きな仕事が決まって誰かれ構わず褒めてほしいか、もしくはこちらに聞いてほしいトークがある。ネタが終わった芸人が少しだけ充血した目を下に向けて入ってくると、スベったんやな、と察することができるし、ある芸人同士が映画の話をしていて、それを遠目にチラチラ見ている芸人は、自分もその映画を見たので話に加わりたいと思っている。相方が誰かと楽しそうに話している様子にもう一方が見向きもしないコンビは笑えないほうの不仲で、睨んでいる場合は、笑いにできるほうの不仲だ。解散してピンになった芸人は、コンビの時よりしっかり目を見て挨拶してくるようになる。一人で生きていくために、助けてくれる仲間を増やさないといけないと本能で思うのかもしれない。
芸人の楽屋に絞って「視線」を研究してくれる人がいたら、その結果に基づいた心理テストを作成してほしい。ライブのトークコーナーで扱えば何時間でも盛り上がることができそうだ。
楽屋の視線にまつわる思い出で、もう一つ覚えていることがある。数組の芸人を集めてネタライブを主催したとき、仲間から「Bさんがネタできるライブを探してて、出してもらっていい?」と頼まれた。その先輩は大阪から上京したばかりで東京に知り合いが少なく、賞レースを控えているのに出られるライブが少なくて困っているということだった。その時ライブの出演予定の組数は上限に達していたが、芸歴も離れた先輩の頼みということで、私は少し迷ってOKを出した。
当日その先輩は、入り時間よりも大幅に遅れて来た。ライブも中盤を過ぎた頃、出演者でごった返していた楽屋のドアを開けて、慣れない劇場に警戒心でもあるのか訝しそうな顔で入ってきた。私は近寄って「おはようございます」と言った。が、続けて名前を名乗ろうとしたとき、こちらには目もくれずに通り過ぎて、唯一顔見知りだった後輩芸人に「この中で俺より先輩って誰?」と聞いた。その後輩が「Cさんです」と伝え、「どの人?」「あの人です」と小声でやり取りすると、自分より先輩だと知らされたその芸人にだけ挨拶に向かった。私は猛烈に腹が立った。頼まれたから出してやったのに、しかもネタ順も先輩がやりやすいように気を遣ってやったのに、なんだその態度は。ありえない、と憤慨した。私は、「頼むからスベってくれ」と思った。この出演者の中で一番派手にスベりますように、と祈った。
願いが通じたのか、本当にその先輩は、誰よりもスベった。もう気持ちのいいくらいの鮮やかなスベり方であった。袖で見ていた私は、主催としては良くないが「ざまあみろ!」と思った。そして、ネタが終わって舞台袖にハケてくるときの例の充血した目と冷や汗を記憶に焼きつけてやろうと思った。しかしその先輩は、あろうことか顔色ひとつ変えずに飄々とした顔で袖に戻ってきた。そしてそのままかばんを持って、するっと帰っていった。こんなところで芸歴だすなよ、とまたむかついた。
しかしその先輩のおかげで、より明確になったことがあった。その日、その先輩がやったネタが、ライブではめちゃくちゃスベっていたが、面白かったのだ。正確には、面白いと感じることができたのだった。邪険にされてあれだけむかついていたのに、私は限りなくフラットな状態でネタを見て、「面白い芸人」だと思うことができたのだった。怒りの感情で笑い声こそあげなかったものの、これはかなり大きな出来事だった。「切り離して考えることができる私はなんてプロフェッショナルなんだ」と誇らしい気持ちにもなるし、なにより笑いが自分の中で、揺らぐことのない確かなものだと気づくことができた。
その後も、その先輩と別のライブで会うたびにむかついたが、必ず袖でネタを見るようにした。やっぱり面白かった。なんなら声を出して笑うこともあった。笑いながら「スベれ」と願った。ウケててむかついた。今日はウケたからご機嫌で帰るんだろうな、と想像するだけでむかついた。むかつきながら笑った。へんな職業、と思った。
いまだに、誰か先輩にむかつくことがあると、袖の一番見やすい場所に陣取って神経を研ぎ澄ませてその人のネタを見る。笑っていると、それだけで笑いに忠誠を誓えているかのような気持ちになる。隣で後輩が同じように笑っている。ネタが終わったあと、すぐにその先輩の悪口を言うと、後輩は信じられないと言ったように、瞳孔を開かせて驚く。その目を見るのが、私は大好きである。
(Aマッソ加納愛子さんのエッセイの連載は毎月第4金曜日にブックバンで公開。加納さんの芸風とは一味違った文章をお楽しみください)
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加納愛子(かのう・あいこ)
1989年大阪府生まれ。2010年に幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。2020年デビューエッセイ集『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)が話題に。文芸誌で短編小説を発表するなど、いま最も注目を集める書き手の一人でもある。
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