平成ヒット曲史
2019/09/20

月9とミリオンセラー 平成3年の「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第3回は、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」です。

「月9」とは何だったのか


小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」

「ねえ、セックスしよ!」
 鈴木保奈美演じる赤名リカが歩道橋の上で言い放ち、その瞬間、「♪チャカチャチャーン」というギターフレーズが鳴り響く。その後も何度も語り草になったドラマ『東京ラブストーリー』の名場面だ。
 それはいわば、新しい時代の到来を告げるイントロだった。
 小田和正が書き下ろした主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」のCDシングルがリリースされたのは、ドラマの放送開始から約1カ月後の1991(平成3)年2月6日。発売1週間で100万枚を突破し、当時のシングルCD売り上げ記録を大幅に更新する270万枚の大ヒットとなった。
 それは「ミリオンセラーの時代」の本格的な幕開けだった。ドラマやCMのタイアップからダブルミリオン、トリプルミリオンなど以前とは規模の違う巨大なヒットが生まれ、音楽産業がかつてない活況を呈するCDバブルの時代だ。
 特に、CHAGE&ASKA「SAY YES」(91年、『101回目のプロポーズ』主題歌)や米米CLUB「君がいるだけで」(92年、『素顔のままで』主題歌)など、90年代初頭にはフジテレビ系の月曜9時に放送される、いわゆる「月9」ドラマの主題歌から社会現象的なヒットの数々が生まれた。
 なぜこれらの楽曲はここまで受け入れられたのか? 「月9」とは何だったのか?
『東京ラブストーリー』のキャッチコピーは「東京では誰もがラブストーリーの主人公になれる」。愛媛から上京しスポーツ用品メーカーで働くカンチこと永尾完治(織田裕二)、同僚の帰国子女・赤名リカ(鈴木保奈美)、そして同郷の関口さとみ(有森也実)の間で揺れ動く恋愛模様が描かれる。
 リカが暮らすのは3LDKの観葉植物に囲まれた高級マンションだ。オープニングでは、高層ビルが立ち並ぶ街の中を歩く群衆の姿が映し出される。ドラマを観て東京の暮らしに憧れた地方出身の視聴者も多かっただろう。
 そのためかその後に「トレンディドラマの代表格」と言われることも多い『東京ラブストーリー』だが、実は80年代に一世を風靡したトレンディドラマの王道作とは、その物語の描き方は大きく異なっている。『君の瞳をタイホする!』(88年)や『抱きしめたい!』(88年)などのトレンディドラマは、都会のオシャレなライフスタイルを軽いタッチで描いたラブコメディが中心だった。しかし、脚本家・坂元裕二の出世作となった同作で描かれるのは、すれ違いをストーリーの牽引力にした一途な純愛の物語だ。
 これらの作品を手掛けたフジテレビのプロデューサー大多亮は、自著『ヒットマン テレビで夢を売る男』(角川書店)の中で、『すてきな片想い』、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』を、「物欲的なトレンディから地味な純愛路線」に向かっていた時期の作品と位置付けている。
 1991年はバブル景気が終焉を告げ崩壊の足音が聞こえはじめた年だ。
 好景気の浮かれたムードはまだまだ残っていた。後に「バブルの象徴」とされるディスコ、ジュリアナ東京がオープンしたのも、この年の5月である。しかし、80年代とは時代のムードは確実に変わりつつあった。

「誰かが甘く誘う言葉にもう心揺れたりしないで」(「ラブ・ストーリーは突然に」)
「愛には愛で感じ合おうよ 硝子ケースに並ばないように」(「SAY YES」、ドラマ『101回目のプロポーズ』主題歌)

 2つの曲の歌詞も「純愛」というドラマの方向性と共振している。洗練された都会のライフスタイルやそこでの恋愛模様を描きつつも、光を当てるのは横文字の職業やデートスポットが象徴するきらびやかな消費の楽しさではない。むしろ、一途な愛だ。
 いわば「チャラい」から「エモい」へ。
「ラブストーリーは突然に」は、80年代から90年代へのそういう時代のムードの変化を象徴した1曲でもあった。

タイアップの本質

『東京ラブストーリー』の発明は、主題歌を劇伴に使ったことにもあった。
 それまでのテレビドラマでは主題歌と挿入歌には明確な線引きがあり、主題歌が劇伴として使われることは少なかった。しかし『東京ラブストーリー』では、オープニングだけでなく、劇中でもピアノやシンセサイザーでサビのメロディを奏でるインストゥルメンタルのバージョンが何度もリフレインされる。そして毎話の終盤、クライマックスのここぞという場面でイントロのギターフレーズが鳴り響き、歌が始まる。

あの日あの時あの場所で君に会えなかったら

 すれ違うリカとカンチの心情を代弁するようなサビのフレーズは、視聴者の心に文字通り焼き付いた。
大多の主題歌に対してのこだわりはとても強かった。最初に小田和正から届いた曲が自らの意図とは違っていたことから、大多は意を決して書き直しを依頼している。その経緯を、大多と小田はそれぞれこんな風に語っている。

実は、小田さんが最初に書いてくれた曲が、ボクのイメージと違っていたので、正直に話したんです。そしたら、小田さんが『そうか、そういうことで女のコを泣かせたいのか』とわかってくれて、『じゃ、これでどうだ』と作ってくれたのがあの曲なんです。(「週刊現代」1991年7月6日号)

いろいろ聞いたら、「じつは、『Yes-No』の延長線上にあるような曲がほしかったんですが、これでも十分いいです」という返事が帰ってきたわけですよ。そのときに、「なんだ、本当に欲しかったのは、これじゃないんじゃん」と思って、「じゃあ、書くよ」と言ったんだよ。(『「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない』)

 ドラマのストーリーや登場人物の心情に寄り添って書き下ろされた主題歌が、劇中のここぞという場面で流れる。そのことで物語と音楽に強い結びつきが生まる。それがヒットの原動力となった。
 たとえばRADWIMPS「前前前世」(2016年、映画『君の名は。』主題歌)や、米津玄師『Lemon』(2018年、ドラマ『アンナチュラル』主題歌)など、劇中で主題歌が使われヒットした例はその後も多い。
 90年代はタイアップ全盛期だ。その中には露出の効果だけを狙いストーリーと歌詞に関連が薄いものも少なくなかった。しかし『東京ラブストーリー』と「ラブ・ストーリーは突然に」のタイアップには、より本質的なクリエイティブの結びつきがあった。

3連符の魔法

「ラブ・ストーリーは突然に」のは、イントロにも大きなポイントがある。この印象的なギターのカッティングを弾いたのは佐橋佳幸。アーティストからの信頼も厚く数々の名曲に携わるセッションギタリストの第一人者である。

よく「チャカチャン♪」って言われるんですけど、本当は「チャカチャチャン♪」って3連符で弾いています。(「ギター・マガジン」2016年1月号)

 佐橋はこう解説する。
 後にいきものがかりの水野良樹が「一発のストロークだけで世界が変わった」とこのイントロを紹介した際も、(『関ジャム 完全燃SHOW』2017年2月19日放送回)、「チュクチューンではなく、チュクチュチューンなんですよ」とストロークを解説している。
 このイントロは強いこだわりを持って生み出されたものだった。小田はオフコースを解散しソロ活動を始めた89年に佐橋と出会い、それ以来、常にレコーディングに参加するなど2人は強い信頼関係で結ばれている。この曲の制作背景を2人はこう振り返っている。

小田 あれは泊りがけでレコーディングして、夜飲んで「ああでもない、こうでもない」って話してて。
佐橋 そうでしたね。レコーディングが終わってちょっと飲みが入ってから、小田さんが「イントロがさぁ……」って言ったからやり直しにいったんですよ、僕。(中略)小田さんいつもイントロイントロ言ってるんだもん。
小田 イントロは大事だからねぇ。やっぱり名曲ってイントロがすごく語るんだよな。(「アコースティック・ギター・マガジン Vol.9」)

 1拍を3等分したリズムである3連符は、そもそも、この曲の成り立ちそのものでもあった。小田がアイディア段階で書き留めていた曲の仮タイトルは「3連の嵐」。サビのメロディは、すべて3連符(正確には2拍3連)のリズムで成り立っていた。「あの日あの時あの場所で」(あのひ・あのと・きあの・ばしょで)という歌詞も、そのリズムを最大限に活かして書かれたものだった。

あの曲はサビが全部、3連符でできてるんだけど、いつか3連符で曲を書こうというアイデアがあったわけ。よし、じゃあ、ここのサビで使ってみようと。印象的だからね、タタタタタタって。それで、これはぴったり3連符にあわせないと力がフルに発揮できないだろうなと思ったの。せっかくの3連符だから、ぴったりくるフレーズを探さなくちゃいけないと。(『「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない』)

 イントロに、そしてサビにも「3連符の魔法」があった。それが「ラブ・ストーリーは突然に」という曲の大きな魅力になっていたのだ。

『クリスマスの約束』とスタンダードソングの時代

 小田和正はその後も第一線で活躍を続け、2002年にリリースされたベストアルバム『自己ベスト』は2004年12月に累計売上200万枚、2010年11月に300万枚を突破するロングセラーとなっている。
 00年代以降の日本の音楽シーンにも彼は大きな影響を与えている。その象徴は、2001年に初めて放送され、その後クリスマスシーズンの恒例となった音楽番組『クリスマスの約束』(TBS系)だろう。
 番組のコンセプトは「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること」。ホストとして企画段階から携わった小田は、SMAP、福山雅治、桑田佳祐、松任谷由実、宇多田ヒカル、桜井和寿、山下達郎の7組に、自ら選んだ曲を一緒に歌ってくれないかという出演依頼の手紙を送る。自らの強い思いを込めた直筆の手紙だ。
 しかし結局は誰の出演も叶わず、初年度の番組は小田が1人で全曲を歌うという形で放送される。しかし小田のもとには福山雅治や山下達郎、桜井和寿から返事が届いていた。そして2003年には初めてのゲストとして、ゆず、財津和夫、スターダストレビューの根本要、桜井和寿が出演。その後も後も毎年番組は回を重ね、数々のゲストが出演を果たしている。
『クリスマスの約束』は単なる音楽番組というよりも、小田を中心に世代を超えた面々が歌や演奏を共にし、互いの曲を歌い、認め合う場となった。第一線のアーティストが同時代の他のアーティストの楽曲をカバーするというのも、それ以前にはなかった動きだ。
 小田はいくつかのインタビューで、『クリスマスの約束』のアイディアの背景にグラミー賞への憧れがあったことを明かしている。その構想自体はオフコース時代の80年代からあったという。

もしそのアーティストのことをいいと思っているのなら、「伝えてあげたほうがいいな」って思ったんだよ。そのほうが自信にもなるだろうし。でも『クリスマスの約束』に関しては、アメリカのグラミー賞が、とってもうらやましかったのもあるかな。授賞式で、みんなスタンディングオベーションで受賞者を称えるじゃない? 本当は悔しいのに、それを耐えて拍手してるというね。自分が現役でいるうちに、自分の関わっている音楽の世界で、そういうことが少しでもできたらな、という。そういうことでああいう番組をやったんでね。(『小田和正インタビュー たしかなこと』)

 グラミー賞は歴史ある世界最大の音楽の祭典だが、それを単なる賞レースの授賞式ではなく「同時代を生きるアーティスト同士が認め合う場」と受け止め、そういう場を日本に作ろうとしたのが小田和正だった。
 90年代と00年代のJ-POPの違いを表すキーワードのひとつに、「スタンダードソング」かどうかというものがある。詳しくはこの連載で後に触れることになるが、00年代は小田による『クリスマスの約束』が先駆けとなり、カバー・ブームが起こった時代だった。同時代のヒットソングが歌い継がれスタンダードソングに育っていく時代だった。その一方、90年代にも数々のヒット曲が生まれたが、その多くは時代と共に消費され、それを長く歌い継ごうという動きは生まれなかった。
 90年代の「ミリオンセラーの時代」の幕開けを飾った小田和正は、そういう意味で、その後に訪れる00年代の「スタンダードソングの時代」を用意した立役者でもあったのだ。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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