平成ヒット曲史
2020/01/17

「失われた時代」と「生の肯定」 平成7年の「強い気持ち・強い愛」(小沢健二)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第7回は、小沢健二の「強い気持ち・強い愛」です。

時代のターニングポイントとなった1995年


小沢健二「強い気持ち・強い愛」

 平成とは、どんな時代だったのか。それが明らかになってきたのが1995年という年だ。
 戦後50年の節目となったこの年は、日本の一つのターニングポイントだった。バブル崩壊からもしばらく引きずっていた昭和の高度経済成長期のムードが立ち消え、社会の空気が一変した。
 きっかけになったのは阪神大震災と地下鉄サリン事件だった。1月17日に起こった阪神・淡路大震災の死者は6千人以上、負傷者は4万人以上。当時としては戦後最大規模の被害だ。そして3月20日、オウム真理教による事件が起こる。13人が死亡、負傷者は6千人以上を記録。都心の地下鉄で毒ガスを用いた同時多発テロ事件が発生したということも、その首謀者がテレビや雑誌にもたびたび登場し知名度の高かった新興宗教であったことも、世に大きな衝撃を巻き起こした。
 兵庫銀行が経営破綻し、戦後初の銀行破綻となったのも1995年だ。「不良債権」という言葉は、単なる経済用語としてだけでなく、不況に陥った日本が抱える前時代からの負の遺産を示すメタファーとして使われるようになった。
 この年を重要な転換点と位置づける社会学者も少なくない。大澤真幸は著書『不可能性の時代』の中で、戦後日本を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」と区分し、1995年を1970年から続く「虚構の時代」の終わりと論じている。この年に『終わりなき日常を生きろ』を上梓した宮台真司は、1995年を「社会の空洞化の始まり」と位置づける。
 そんな1995年。小沢健二は、ある種の“無敵”状態にあった。
 喩えるならスターをとったマリオのように、キラキラと輝く光を放ちながら世を颯爽と走り抜けていた。
 前年8月にセカンドアルバム『LIFE』をリリースした彼は、その多幸感に満ちたモードを引き継ぎ、次々と新曲を連発していた。
 この年に発表されたのは『カローラⅡにのって』『強い気持ち・強い愛/それはちょっと』『ドアをノックするのは誰だ?』『戦場のボーイズ・ライフ』『さよならなんて云えないよ』『痛快ウキウキ通り』という6枚のシングルだ。
 異例なハイペースで曲を発表し、音楽番組にもたびたび出演し、軽妙なトークを繰り広げていた。特に『HEY!HEY!HEY!』でのダウンタウンとのやり取りが注目を浴び、華奢なルックスもあいまって“渋谷系の王子様”としてメディアを席巻した。この年、小沢は紅白歌合戦に初出演を果たし「ラブリー」を歌っている。
 しかし、その狂騒は長くは続かなかった。
 翌1996年、小沢は、音楽性を一転させる。10月にリリースされたサードアルバム『球体の奏でる音楽』は全編ジャズコンボのアレンジによる静謐な一枚だ。そして1998年、シングル『春にして君を想う』をリリースした後、小沢は活動を休止。ニューヨークに拠点を移す。
 この頃から、彼は長らく人前から姿を消している。『Eclectic』(2002年)や『毎日の環境学: Ecology of Everyday Life』(2006年)といったアルバムのリリースはあったものの、インタビューなどのメディア露出はおろか、本人の居場所すら定かでない時期が長く続いた。
 つまり、小沢健二が「オザケン」として世間を賑わしていたのは、彼の長いキャリアの中のごく一部、ほんのわずかな数年間のことに過ぎない。
 さらに言うなら、セールス面においては、決して小沢健二はトップアーティストと言える存在ではない。
 1995年の年間シングルランキング1位は、DREAMS COME TRUEの『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』。2位には小室哲哉がプロデュースを手掛けダウンタウンの浜田雅功が歌ったH Jungle with tの『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~』。3位には福山雅治『HELLO』が続く。
 4位と5位はMr.Children『Tomorrow never knows』『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』。6位以下にはやはり小林武史がプロデュースを手掛けたMY LITTLE LOVERの『Hello,Again~昔からある場所~』、桑田佳祐&Mr.Children名義のコラボ曲『奇跡の地球』が続く。
 ドリカムは黄金期を迎え、小室ファミリーとミスチルがヒットチャートを席巻していた。この年の年間ランキングトップ10は全て150万枚以上のセールスを記録している。そんな中、『強い気持ち・強い愛』は年間92位。もっと売れた曲は他にも山ほどある。
 それでも、彼が残したインパクトは絶大なものがあった。

タモリが感嘆した「生命の最大の肯定」

 未曾有の天災と事件が相次ぎ、人々の価値観が大きく揺さぶられた1995年。小沢健二は「強い気持ち・強い愛」でこう歌っていた。

溢れる光 公園通り 新しい神様たちが パーッと華やぐ魔法をかける
ああ 街は深く僕らを抱く!
強い気持ち 強い愛 心をギュッとつなぐ

 小沢健二の楽曲には「神様」というキーワードが頻出する。たとえば『犬は吠えるがキャラバンは進む』(1993年、後に『dogs』に改題)に収録された「天使たちのシーン」にはこんな一節がある。

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように

『LIFE』はソウル・ミュージックの影響下にあるアルバムだ。きらびやかなホーンセクションやストリングスを配し、軽やかで楽しげなメロディを歌うポップソングが詰まっている。
 その方向性は、単なる音楽のスタイルとしてだけではなく、ゴスペルに由来するソウル・ミュージックの宗教性とも深く結びついていた。『LIFE』や「強い気持ち・強い愛」などのシングルの歌詞には「生の肯定」というテーマが表現されていた。
 たとえば、やはり1995年にリリースされた『さよならなんて云えないよ』には、こんな歌詞がある。

左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

 かつて『笑っていいとも!』に小沢がゲスト出演した際に、タモリはこの一節を「生命の最大の肯定」と語り、絶賛している。「強い気持ち・強い愛」にもそうしたテーマを思わせる言葉がある。

長い階段をのぼり 生きる日々が続く
大きく深い川 君と僕は渡る

 不況の中で不安が前景化し、多くの「死」が人々の記憶に強く刻み込まれた1995年、音楽の中で高らかに「生」を肯定したのが小沢健二だった。だからこそ、彼の存在は、時代の中で特別な輝きを放っていた。

二つの「今」に挟まれた25年

 そして2019年、小沢健二は「強い気持ち・強い愛」と呼応するようなモチーフを持つ楽曲を発表する。13年ぶりのアルバム『So Kakkoii 宇宙』の幕開けを飾る「彗星」だ。歌い出しにはこうある。

そして時は2020 全力疾走してきたよね
1995年 冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね

 長らく沈黙を守っていた小沢健二が13年ぶりのコンサートツアー「ひふみよ」でライブ活動を再開させたのは2010年のことだった。2014年には最終回を目前にした『笑っていいとも!』のゲストとして16年ぶりのテレビ出演。2017年には19年ぶりのシングル『流動体について』をリリースし、フジロック・フェスティバルへの初出演も実現する。
 アルバムは、こうして小沢健二がゆっくりと時間をかけ音楽シーンの最前線に「戻ってきた」軌跡を踏まえた作品だった。ソウル・ミュージックをベースにしたポップスという作風も『LIFE』の時期に通じるもので、特に「彗星」の軽快で饒舌な曲調は、「強い気持ち・強い愛」を彷彿とさせる。
 なぜ、小沢はこの曲で「1995年」と「2020年」を対比させたのか。
 筆者が取材を担当した『AERA』2019年11月18日号のインタビューでは、楽曲の制作段階で彼が生活の拠点をニューヨークから東京へと移し、息子が日本の学校に通うようにもなったことを告げ、こう語っている。

「当時自分が生きていた日本と今の日本の対比がすごく面白い。その間にみんなが生きてきたことをすごく感じたんですよね。だから、歌詞になってるのは1995年と2020年だけど、本当はその間のことを歌いたいし、捉えたい。日本に住むようになって、僕が住んでいなかった知らない日本の何を書けばいいのかが自然に生まれてきたんです」

「彗星」と「強い気持ち・強い愛」の歌詞には、共に「今」という言葉がキーワードとして登場する。
 この2曲は、共に「長い人生の中で、ほんのわずかに訪れる完璧な瞬間」のようなものをモチーフにしている。まばゆい光に包まれるような、その記憶だけを抱えてずっと生きていけるような、すべてがむくわれるような瞬間のイメージだ。それが祝福の響きに満ちたサウンドに結びついている。
 ただ、「強い気持ち・強い愛」の歌詞が「長い階段をのぼり 生きる日々が続く」と今から未来を見据えた描写になっているのに対し、「彗星」は「今遠くにいるあのひとを 時に思い出すよ」と、今から過去を振り返る言葉が歌われる。
 つまり、二つの曲が描く「今という完璧な瞬間」の間には1995年から2020年までの25年が挟まれていることになる。「平成」という時代のほとんどだ。
 では、その間にあったことを、どう捉えているのか。筆者の問いに小沢はこう答えた。

「それは一言では言えないです。僕はその間、漠然と生きてきたわけじゃないので。すごく面白いものを見たと思っているけれど、一言では言えないですね」

 世間的には沈黙期にあった00年代の小沢は、グローバル資本主義の中心地たるニューヨークで華やかなパーティーライフを送っていた。その一方で、中南米やアフリカなど世界各国を巡り、南米の市民デモに参加するなど社会の歪みを現場で目の当たりにするような日々も過ごしていた。季刊誌『子どもと昔話』に連載されていた小説『うさぎ!』には、そうした体験を通して深めていった彼の思索が刻み込まれている。

2000年代を嘘が覆い イメージの偽装が横行する
みんな一緒に騙される 笑

「彗星」ではこう歌われる。
 彼が綴った2000年代の「嘘」とは何か。その間の日本に、何が起こっていたのか。
 不況が前景化した90年代後半から、日本の状況をあらわす言葉として「失われた10年」という言葉がよく使われるようになった。その後「失われた20年」に引き伸ばされた。平成が終わる頃、それは「失われた30年」となった。
「平(たいら)になる」と書いて「平成」。そのほとんどは「失われた時代」であり「社会が空洞化していく時代」だった。

「全力疾走してきたよね?」

 2020年、小沢健二はそう問いかけている。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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