平成ヒット曲史
2020/03/20

安室奈美恵と山口百恵 平成9年の「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第9回は、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」です。

「最もCDシングルが売れた年」のナンバーワンヒット


「CAN YOU CELEBRATE?」

「イヤというほど自分と向き合う時間があったから、焦りや不安をコントロールできるようになれたし、今まで走ってこられたんだと思います。もし立ち止まることなく10代のままの速度で突っ走っていたら、どこかで息切れしてしまったんじゃないかな」(『Numero TOKYO』2018年9月号)

 1997(平成9)年10月22日、安室奈美恵は結婚を発表した。20歳になったばかりだった。すでに妊娠していること、翌年の1998年の1年間は産休として完全に活動を休止することも宣言された。
 彼女は後に、この転機、そして1年の休業期間をこう振り返っている。
 突然の発表だった。スポーツ新聞は号外を出した。人気絶頂期にある女性アーティストが、いきなり交際、結婚、妊娠、そして長期休養を発表することは、異例のことだった。ましてや1997年は安室が時代のアイコンとして華々しいスポットライトを浴びていた時期である。
 アルバム『SWEET 19 BLUES』が300万枚以上を売り上げ、「アムラー」が「新語・流行語大賞」のトップテン入賞となった1996年を経て、1997年2月19日にリリースされたシングルが『CAN YOU CELEBRATE?』だ。
 作詞作曲は小室哲哉。月9ドラマ『バージンロード』主題歌として、ドラマのプロデューサーだった栗原美和子の「小室流ウェディングソングを作ってほしい」[1]というオーダーのもと書き下ろされた。ドラマのオープニングでは出演した俳優たちと共に小室がピアノを弾き、安室が楽曲を歌い上げた。
 セールスはダブルミリオンを超え、1997年のオリコン年間シングルランキング1位となった。2020年時点で、この曲は女性ソロアーティストの歴代売上1位。安室にとっても、小室にとっても、そして所属していたレコード会社のエイベックスにとっても、CDシングルとしては最大のセールスとなっている。
 この年には音楽業界の好景気もピークに達しようとしていた。1997年のCDシングル生産金額は1039億円と過去最高を記録している。「最もCDシングルが売れた年」のナンバーワンヒットは、まさに90年代という時代を象徴する一曲となった。
 この年の大みそか、安室奈美恵は紅白歌合戦の紅組トリとして出演し、目に涙を浮かべながら「CAN YOU CELEBRATE?」を歌っている。
 そして1年後。安室は再び紅白歌合戦に出演し、同じ曲をもう一度歌った。
「自分に素直に自由に生きる。歌手、妻、そして母として生きていく姿は、私たち女性に大きな勇気を与えてくれました。この1年間、あなたの登場を多くの人たちが心待ちにしていました。おかえりなさい」
 司会の久保純子はそう紹介した。沢山の拍手に迎えられ、それを見た彼女が涙で歌えなくなる場面もあった。
 多くの人たちに、その光景は深く刻み込まれた。

山口百恵と安室奈美恵

 それから20年後の2017年9月20日。安室奈美恵は、40歳を迎えた誕生日の当日に、自身の公式ページを通じて引退することを発表した。
「最後にできる限りの事を精一杯し、有意義な1年にしていきたいと思ってます」
 そう綴られた引退発表の言葉の通り、安室奈美恵は、自ら引退日と定めた2018年9月16日までの1年間で、オールタイム・ベストアルバム『Finally』を発表し、5大ドームツアーを行い、大きなセンセーションを世に巻き起こした。ベスト盤は230万枚を超えるセールスを果たし、2017年と2018年のオリコン年間アルバムランキング1位を記録する。
 こうして、安室奈美恵は名実ともに「平成の歌姫」となった。
「最後は笑顔で! みんな元気でねー! バイバーイ!」
 2018年6月。約80万人を動員したラストツアーの最終公演、東京ドーム。最後のMCで安室はファンへの、スタッフへの感謝を語り、マイクを握ったまま高々と両手を掲げ、笑顔でステージを降りた。
 ちなみに、やはり人気絶頂期に結婚を発表して引退した「昭和の歌姫」山口百恵のファイナルコンサートでの最後の一言は「本当に、私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」だった。1980年10月の引退当時、年齢は21歳。あふれる涙に顔を濡らしながら「さよならの向う側」を歌い、白いマイクをステージの中央にそっと置き、静かに舞台裏へと去っていった。
 山口百恵と安室奈美恵。共に時代を象徴する2人の歌姫の去り際を比べることで、昭和から平成へと、社会が、そして女性の生き方がどう変わっていったかを考えることができるのではないだろうか。

笑顔で終わりたい

 安室奈美恵のデビューは1992年。当時はグループ「SUPER MONKEY’S」の一員だった。メンバー共通の夢は「故郷の沖縄でコンサートをやること」。それが叶ったのが、「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」名義で活動するようになった1995年12月のことだった。
 だからこそ、安室が引退前日の2018年9月15日、ファンと過ごす最後の場所に選んだのも沖縄だった。場所は初の沖縄凱旋ライブと同じ宜野湾市の沖縄コンベンションセンター。ラストツアー最後のMCの一言と同じく、「笑顔で終わる」というのが、彼女にとって大きなポイントだった。

「歌で、笑顔で終わりたいなという場所が、沖縄だったのかな。笑顔で始まった場所でもあるので」(NHK『おはよう日本』2018年9月10日)

 小室哲哉の初プロデュース作『Body Feels EXIT』がリリースされたのは1995年10月。小室は「出会った頃の奈美恵ちゃんは、今よりももっと、ほんとうにあまり喋らない子でした」(『FRaU』2017年12月号)と、当時を振り返っている。
 売れっ子プロデューサーとして世を席巻していた小室だったが、安室を一目見た時から、歌とダンスに、そしてその佇まいに圧倒的な魅力を感じていた。ムーブメントの中心を担う人に出会ったという確信があった。プロデュースをするにあたっても、自分の色に染めるのでも、深く語り合って彼女の内面を掘り下げるのでもなく、その姿から想像した女性像を歌にした。小室はこう語る。
「才能を引き出してもらったのは僕の方だと思っています。奈美恵ちゃんがいたから書けた曲ばかりで。彼女自身に、インスパイアをもらった部分がとても大きいんですね」(同)
 一方、スターダムを駆け上がっていったこの頃を、安室は「次々と与えられるものに必死で応えていく、まるで修行のような日々」(『Numero TOKYO』2018年9月号)と振り返る。
 追い求めていたのは、可愛いよりもカッコいい女性像だった。デビュー前からの憧れはジャネット・ジャクソン。「周りが大人ばかりだったので『子ども扱いされたくない』と思っていた」(「SPUR」2018年9月号)という環境の中、他者に媚びたり可愛さや色気やセクシーさをアピールすることよりも、ジャネット・ジャクソンのように、強く、とんがった、カッコいい女性であろうとしてきた。そのせいもあってか、SUPER MONKEY’S時代から男性ファンよりも女性ファンのほうが多かった。
 安室奈美恵が体現してきた、強く、自立した「カッコいい女性像」に、同世代や年下の女性たちが憧れ、夢中になった。

30歳で更新した「カッコいい女性像」

 しかし、安室自身が女性として、アーティストとしての本当の意味での自立を獲得したのは、もっと後のことだ。
 安室は10代の頃をこう振り返っている。

「あの頃は、敷かれたレールが目の前にあった。だからその上をとにかく真っすぐ歩いていくという……他人事みたいな部分がありました」(「VOGUE JAPAN」2018年10月号)

 転機になったのは、自分と向き合った1年の休業期間。そして小室プロデュースを離れセルフプロデュースの体制になった2000年代以降の音楽活動だ。当初は迷いもあった。何をすれば正解なのかわからない。作詞に挑戦したこともあったが、しっくりこなかった。
 その中で大きなターニングポイントとなったのはラッパーのZEEBRA、m-floのVERBAL、音楽プロデューサーの今井了介と組んだスペシャルユニットSUITE CHIC(スイート・シーク)としての活動だった。アルバム『WHEN POP HITS THE FAN』(2003)は、本格的なR&B、先鋭的なヒップホップの方向性で新境地を開拓した一枚だ。
 本作以降、「安室奈美恵」名義に戻った彼女は、貪欲に音楽的な挑戦を繰り返していく。Nao’ymtなど信頼する音楽プロデューサーと共に同時代の海外のR&Bやヒップホップやダンス・ミュージックのエッセンスを旺盛に取り入れるようになった。こうして制作された『Queen of Hip-Pop』(2005年)は大きな評価を集め、そして『PLAY』(2007年)で7年ぶりのオリコンアルバムランキング1位を獲得する。
 このとき、安室は30歳となっていた。この時期を彼女はこう振り返る。

「SUITE CHICでの活動や、あの時期の出会いを通じて、『こうやって音楽を楽しむんだ』というのを再確認して、再び安室奈美恵と名乗ったとき、無意識にSUITE CHICの楽しさをそのまま引き継ぐことができたんです」(「VOGUE JAPAN」2018年10月号)

 テレビの音楽番組にはほとんど出演せず、活動の軸をコンサートに置き、ダンスと歌に徹するパフォーマンスを繰り広げるようになっていったのもこの頃からだ。MCを一切挟まず2時間ぶっ通しで歌い踊る姿には圧倒的な説得力があった。
 誰かに敷かれたレールの上ではなく、自ら決めて選んだ道を歩み、パフォーマンスで魅了する。そのプロフェッショナルな姿勢や生き方を通して、以前とは違う意味で彼女は同世代や年下の女性の憧れとなっていった。
 安室は自らの人生の転機を30歳だったと語っている。

「30代が、もう本当に素晴らしく楽しい10年間だったんです。いろんなことが自由にできて。だから、ここから先はこの最高の10年をもとに歩いていけると感じているんです」(「VIVI」2018年8月号)

 平成という時代の「格好いい大人の男」の像を提示した奥田民生が30歳で「イージュー★ライダー」を書き下ろし「僕らの自由を」と歌ったのと同じように、平成という時代の「カッコいい女性」の像を提示してきた安室奈美恵も、やはり30歳で「自由」と「自分らしさ」を手にしていた。
 この連載で繰り返し書いているように、平成とは「自分らしさ」の時代だった。自己犠牲が美徳とされた昭和の価値観が少しずつ解体され、それぞれ個人の主体性が獲得されていく30年だった。
 そういう意味でも、安室奈美恵は「平成の歌姫」だった。

人生に寄り添う歌

 30代半ばになり、安室は引退を意識するようになっていった。
 終わりをイメージしていたのは10代の頃からだったという。ただ、本気で考えたのはデビュー20周年を迎えた2012年のことだ。5大ドームツアーが実現し、デビュー当時から思い描いていた「引退するときは大きなコンサート会場で引退コンサートをする」という夢も形になろうとしていた。
 当時のマネージャーには「ドームツアーが終わったら引退」という話も告げていた。しかし結果的に引退することは叶わず、25周年の2017年にそれを定めた。

「その時はすべてをもう本当にやり尽くした、自分の思いのたけも、やれること全てやり尽くしていたので、引退できないって知った時に『ああ、どうすればいいんだろう』って。もう燃え尽きてしまっていたので」(NHK「安室奈美恵 告白」2017年11月24日)

 引退後に放映された特別番組では、引退を決断する理由の一端も明かされていた。2011年頃に歌手としての生命線である声帯を損傷していたという。

「ファンの皆さんの中に『いい状態の安室奈美恵』を思い出として残してほしい。一つのゴール地点はそこだったりしたので。ちょっと声帯もいろいろ壊してしまって。そういう不安もあったりはしていたので。そろそろ声帯も限界なのかなとか。声がうまく出ないなとか。そういうこともあったりしていたので」(NHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 第4回『安室奈美恵 最後の告白』」2019年1月20日)

「CAN YOU CELEBRATE?」は結婚式の定番曲だ。もともとウェディングソングを意図して書き下ろされた曲でもある。しかし、こうして安室の歌手としてのキャリアを振り返った上で考えてみると、より深い意味を歌詞から読み解くことができるのではないかと筆者は考えている。
 安室はこの曲について、こんな風に語っている。

「20代、30代、そして今。この歌は、歌う年齢によって、歌詞の重みも違って感じるし、ジーンとくる言葉もそのときどきで異なっていて。きっとこの先の40代、50代も、自分の成長や経験とともに、聴くたびに新しい発見のある曲じゃないかなと思う」(「andGIRL」2018 年8 月号)

 歌詞には、こんな言葉がある。

遠かった怖かったでも 時に素晴らしい
夜もあった 笑顔もあった どうしようもない風に吹かれて
生きてる今 これでもまだ 悪くはないよね

「最もCDシングルが売れた年」のナンバーワンヒットは、人生に寄り添い、共に荒波を乗り越えていく曲でもあった。

[1]「CDでーた」1997年3月5日号

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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