平成ヒット曲史
2020/11/20

消えゆくヒットと不屈のドリカム 平成17年の「何度でも」(DREAMS COME TRUE)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第17回は、DREAMS COME TRUEの「何度でも」です。

「ヒットの崩壊」のはじまり


「何度でも」

 ポップ・ミュージックの世界から、時代を彩る活気と勢いが少しずつ失われていく。
 ヒット曲が、世の中に見えなくなっていく。
 そんな“音楽不況”の時代が本格的に始まったのが、00年代後半のことだ。2005(平成17)年は、その幕開けとなる年だった。この年のオリコン年間シングルランキング1位は、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で主演した山下智久と亀梨和也が役名で歌った修二と彰の「青春アミーゴ」。年間売上は94.5万枚。前年に続き100万枚に到達した曲はなかった。
 音楽市場は右肩下がりで縮小を続けていた。そして「CDが売れない」ということが持つ意味合いは、単なるマーケット的な問題にとどまらなかった。
 拙著『ヒットの崩壊』の中で取材したビルボード・ジャパンのチャート・ディレクター礒崎誠二氏はこう語っている。

「いろいろな人にオリコンさんのランキングを見せて『どのあたりから曲を思い出せなくなりますか?』と訊いたことがあるんです。そうすると、世代にかかわらず、00年代の後半あたりから上位の曲が思い出せなくなっていくんです」

 なぜランキングからヒットの指標としての説得力が失われていったのか。その大きな理由は、この頃から音楽消費の傾向がセグメント化(細分化)していったことだ。
 ダウンロード型の音楽配信が広まり、特に携帯電話に向けた「着うた」や「着うたフル」の市場が着実に拡大していく中で、音楽の聴かれ方は多様化していた。ジャニーズ事務所所属のアイドルグループを筆頭にデジタル配信に楽曲を提供しないアーティストも多かったが、若年層の流行は、むしろ配信ランキングの方に反映されるようになっていた。
 2005年の「着うた」「着うたフル」年間ランキング1位は、O-ZONE「恋のマイアヒ」。インターネット掲示板2ちゃんねる上のFLASHムービーを発祥に、ルーマニア語の歌詞が「♪のまのまイェイ」など“空耳”に聞こえると一大ブームを巻き起こした楽曲だ。
 00年代後半は、カルチャーの流行がインターネットから生まれるようになっていった時代でもある。2ちゃんねるの書き込みから生まれた『電車男』がドラマ化・映画化され大きな話題を呼んだのも2005年だ。YouTubeがサービスを開始したのも2005年である。
 どちらも年間1位となった「青春アミーゴ」と「恋のマイアヒ」の対比は、いわば、ヒット曲を巡る状況が大きな曲がり角を迎えていたことを示しているとも言える。
 そんな2005年2月に、DREAMS COME TRUEはシングル「何度でも」をリリースしている。
 1988年の結成以来、数多くのヒットソングを生み続けてきたドリカム。シングルCDのセールスで言えばこの「何度でも」を上回る楽曲は他にも沢山ある。しかしこの曲がどのように受け入れられ代表曲となっていったかを紐解くことで、「ランキングからヒットが見えなくなった」平成という時代の後半の世相が見えてくるのではないか、と筆者は考えている。

苦悩の中で明日が見える曲を

 CDバブル真っ盛りの90年代、その最も華々しい場所でスポットライトを浴びていたグループのひとつがDREAMS COME TRUEだ。
 そして、そのヒット曲の数々は、当時の恋愛をめぐる心象を鮮やかに切り取っていた。
「うれしい!たのしい!大好き!」(1989年)や初のミリオンセラーとなった「決戦は金曜日」(1992年)など、初期の代表曲の多くは恋心が生まれる瞬間の高揚感を活き活きと切り取った楽曲だ。それらの曲の歌詞に登場する主人公のアクティブな描写は、女性が恋愛の主導権を握るバブル時代の恋愛事情ともシンクロしていた。「未来予想図II」(1990年)など、恋する相手と幸せな明日を思い描く曲も広く共感を集めていた。累計200万枚以上を売り上げグループ最大のヒットとなったのが「LOVE LOVE LOVE」(1995年)。シンプルな言葉遣いで、好きな人に愛する気持ちを伝えられないもどかしさや、恋する気持ちの切なさを歌い上げた1曲だ。
 こうして人気絶頂にあったドリカムは、しかし00年代初頭に苦境に陥る。きっかけは1997年にレコード会社を移籍し、全米進出の夢を実現すべくニューヨークに拠点を移したことだった。アメリカでの挑戦は思うようにいかず、国内での後ろ盾も失った。

「テレビ局からは閉め出されるし。ラジオでも我々の曲はかからない。そこで一度、ドリカムは完全に死にましたね」

 中村正人は後のインタビューで当時のことをこう振り返っている。2002年には自らの事務所とインディーズレーベルを設立。「まずはお詫びです。各社の担当の方に2年間謝り続けました」という日々を経て、2004年には再びメジャーレーベルに復帰を果たす。第一線に戻ってきたドリカムがTVドラマ『救命病棟24時』主題歌として書き下ろしたのが、「何度でも」だった。

 何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
 きみの名前 声が涸れるまで
 落ち込んで やる気ももう底ついて
 がんばれない時も きみを思い出すよ

 吉田美和が熱のこもった声でこう歌い上げる。これまで多くのラブソングのヒット曲を世に送り出してきたドリカムだが、「何度でも」は、聴く人を奮い立たせるようなメッセージソングだ。そこには医療ドラマ『救命病棟24時』制作陣からの要請もあった。中村はこう語っている。

「いつものドリカムは“恋から愛まで”のラヴソングが楽曲のコンセプトですが、『救命~』は違ってきます。どちらかというと、日常を過ごす方々の応援ソングのようになりますね。プロデューサーから頂くオーダーということもあります。”苦悩している医師や患者さんたちの明日が見える曲にして下さい”って」

 この曲がリリースされたのは2005年2月。当初から大きなセールスを打ち立てたわけではなかった。オリコン週間ランキングは最高位3位、この年の年間ランキングでは50位だ。
 しかし、ファンの支持が曲を押し上げた。
 ドリカムが4年に1度開催してきたベストヒットライブ『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND』では、2007年のファン投票によるリクエストで初めてこの曲が「うれしい!たのしい!大好き!」や「LOVE LOVE LOVE」などそれまでのヒット曲の数々を上回り1位を獲得する。その後もベストアルバムのファン投票、2011年、2015年の「ワンダーランド」のリクエストでも不動の1位を占める楽曲となっていく。
 長引く不況に沈み、自然災害に打ちのめされた平成後半の日本社会の中で、楽曲のメッセージがより強く求められるようにもなっていった。
 2011年3月、東日本大震災直後の1週間に全国のラジオで最もオンエアされた楽曲が「何度でも」だった。この曲で被災地を力づけたいというリスナーからのリクエストが各地のラジオ局に多数よせられたという。
 平成の30年間、J-POPのトップアーティストであり続けたDREAMS COME TRUE。しかしそのヒットメーカーとしての道筋は決して順風満帆だったわけではない。むしろ不屈のキャリアを築き上げてきた。そして、胸を躍らせるラブソングよりも「苦悩の中で明日が見える曲」として作られたこの曲こそが、ファンによって、そして世間によって、ドリカムの代表曲として“選ばれていった”のである。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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