平成ヒット曲史
2020/12/18

ヒットの実感とは何か 2010(平成22)年の「ありがとう」(いきものがかり)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第18回は、いきものがかりの「ありがとう」です。

ヒットの基準があやふやになっていく時代


「ありがとう」

「2006年はまだCDも売れていたし、それを中心としたシステムがまだ維持されていた。そこでスタートすることができたのは幸せだったと思います。CDバブルの本当に最後の残り火があるときにデビューできたのは運が良かったことだと思うんです」

 いきものがかり・水野良樹は、自らのキャリアをこう振り返る。メジャーデビューシングル「SAKURA」がリリースされたのは2006年3月15日。神奈川県の厚木や海老名を拠点に路上ライブから音楽活動を始めたグループは、CMタイアップや『ミュージックステーション』への出演も経て、一躍全国的な知名度を獲得する。
 華々しいスタートだ。その後もリリースされたシングル曲にはほぼ全てアニメやドラマやCMのタイアップがつき、幅広い層に支持を広げていった。
 制作体制も充実していた。グループはボーカルの吉岡聖恵、ギターの水野良樹、山下穂尊の3人組。弾き語りに近い形で作詞作曲された楽曲は、亀田誠治や島田昌典や本間昭光などJ-POPシーンを支えてきた屈指のプロデューサーたちによって編曲され、プロフェッショナルなサポートミュージシャンの演奏と共にパッケージングされていた。
 水野が言う「まだ維持されていたシステム」とは、発掘した新人アーティストに潤沢な制作費を注ぎ込み、宣伝にも力を入れ、新たな世代のヒットソングを生もうと意気込むメジャーレコード会社の方法論のことでもあった。そして彼が「幸せだった」「運が良かった」と振り返るように、その後長引くCD不況と共に、そうした体制は徐々に失われていくことになる。
 00年代後半は「CDを買う」ということと「音楽を買う」ということの持つ意味合いが徐々に乖離していった時代でもある。
 2006年10月にはAKB48が「会いたかった」でメジャーデビューを果たしている。当時はまだグループが秋葉原の常設劇場で毎日公演を行い、「会いに行けるアイドル」をキャッチコピーとして活動していた頃だ。
 劇場やライブの現場で握手会や撮影会などのイベントを行い、コアなファンがそれに参加するために複数枚のCDを購入する「AKB商法」は当時から行われていた。グループが人気を拡大した2009年からは、シングル曲を歌う選抜メンバーをファン投票によって決定する「AKB48選抜総選挙」が開催されるようになり、直前に発売されるシングルCDにその投票券が封入されるようになった。
 いきものがかりは、その後も2008年に「ブルーバード」、2009年に「YELL/じょいふる」など好セールスのシングルを次々と世に送り出し、2008年には紅白歌合戦への初出場も果たすなど、順風満帆の道程を歩んできた。
 しかし、それは同時に「ヒットの基準があやふやになっていく時代」の数年間でもあった。AKB48の躍進。国民的アイドルとなった嵐。新たな人気者がマスメディアを賑わす一方で、音楽シーンの細分化はさらに進んでいた。10代の流行はケータイの着うた/着うたフルの配信ランキングに表れるようになっていった。毎週のシングルCDランキング上位はアイドルが占めることが多くなり、声優やアニソン歌手の歌うキャラクターソングがランクインすることも珍しくなくなっていった。ロックバンドはこの頃から拡大の一途を辿る野外フェスを主戦場に活動するようになっていった。
 オリコン発表のシングルCDランキングが「世代を超えて誰もが知っている流行歌」の指標ではなく、それぞれのカテゴリのファンの購買行動の結果となっていった。それが、平成後半の時代に起こったことだ。
 そんな中、孤軍奮闘するかのように、世代やカテゴリを超えて歌を届けることを目指していたグループが、いきものがかりだった。水野は著書『いきものがたり』でこう記している。

「いつだって歌は『ミュージックシーン』という小さな世界に投げ込まれるのではなく、『社会』という大きな世界に投げ込まれる。世の中という大海に、裸のまま飛び込んで、どんな波に歌が飲まれていき、どんな波に歌が乗っていくのか。どこへたどり着くのか。いつもそれを楽しみにしながら、自分は歌を書いているのかもしれない」

誰かの日常の暮らしの中に息づく歌を

「ありがとう」は2010年3月に放送がスタートしたNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌として書き下ろされた一曲だ。
 担当プロデューサーたっての指名だった。しかしデビュー以来ハイペースでシングルのリリースを重ねてきたグループは疲弊し、ソングライターの水野は「全てを出し切ってしまったんじゃないか」という不安の中で制作を進めていた。水野も山下も最後まで楽曲の出来に確信が持てなかったという。
 しかし番組は朝ドラとしては久々となる好視聴率を記録し、その人気と共に楽曲は徐々に浸透していく。2010年5月5日にリリースされたシングルは、自己最高位タイのオリコン週間初登場2位を記録。この年にいきものがかりが行っていた全国ツアーでも各地で大きな反響を呼び、いつしか「ありがとう」は大ヒット曲として世間に浸透していった。
 結果、この曲はAKB48と嵐がTOP10を独占した2010年のオリコンCDシングル年間ランキング(AKB48が4曲、嵐が6曲)で33位となっている。
 ただ、水野にとっては「ありがとう」のヒットを本当に実感したのは、セールスの数字でも、ライブでの歓声でもなく、自宅近所のチェーン店の弁当屋でひとり惣菜を選んでいたときに耳にした若い夫婦の会話だったという。著書『いきものがたり』の中ではこう記している。

「不意に『ありがとう』が店内の有線から流れた。
『あ、これ、ゲゲゲの曲だ。私、この曲好き』
 奥さんがそう言うと、それに旦那さんが応える。
『あぁ、いい曲だよね。ありがとうって伝えたくて〜』
 旦那さんが、鼻歌を歌う。奥さんが、笑う。
 もちろん隣で惣菜を選ぶ浪人生のような風体の男がその歌の作曲者だとはふたりとも気づいていない。日常の何気ない夫婦の会話が、ただ、そこにあるだけだ。
 それが、やけに嬉しかった」

 このエピソードは、音楽を巡る状況が大きく変化していった平成の後半における「ヒット曲の本質」のようなものを示唆している。
 音楽業界全体が縮小を続け、ヒットチャートが徐々に形骸化していった時代。CDのセールスが、ある種の人気投票のようになっていった時代。そんな中で、「ありがとう」という曲は、歌だけがひとり歩きをして、市井の人が口ずさみ、誰かの日常の暮らしの中に息づいていることを実作者が体感できるような数少ない「ヒット曲」だった。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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