平成ヒット曲史
2021/01/15

震災とソーシャルメディアが変えたもの 2011(平成23)年の「ボーン・ディス・ウェイ」(レディー・ガガ)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
第19回は、レディー・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」です。

音楽の力が問い直された1年


「ボーン・ディス・ウェイ」

 2011年3月11日、午後2時46分。未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、平成という時代の最も大きな転換点となった。
 2万人を超える死者と行方不明者。深刻な放射能汚染となった福島第一原子力発電所の事故。社会を大きく揺るがした災害は、音楽やエンタテインメントにとっても、そのあり方が問い直される契機となった。
 震災直後はCD発売、ライブ公演の延期や中止が相次いだ。テレビも報道一色になり、CMも自粛。アニメキャラが「♪ポポポポーン」と歌うACジャパンの公共広告「あいさつの魔法。」が繰り返し放送された。その後の調査でも多くの人が「震災直後は音楽を聴く気分にならなかった」と証言している。「不謹慎」という言葉と共に、エンタメ全般に自粛ムードが広がった。
 一方、震災からしばらく経つと「今、音楽に何ができるのか?」という声も聞かれるようになった。多くの歌手やタレントが坂本九の「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」を歌うCMが話題となり、昭和の時代を彩ったヒット曲が、不安に満ちた人々の心に寄り添う“癒やし”として機能した。一方、復興支援ライブやイベントの開催など、売上を義援金として寄付する支援の動きも広まった。被災地に足を運びボランティアとして支援活動に参加するアーティストも少なくなかった。
 復興支援のチャリティーソングも多く作られた。桑田佳祐を中心に福山雅治やPerfumeなどが集った“チーム・アミューズ!!”は「Let’s try again」を、EXILEは「Rising Sun」を、AKB48は“震災復興応援ソング”として「風は吹いている」を発表。他にも沢山のアーティストが震災を受けて書き下ろした新曲を発表した。
“震災復興大型音楽番組”としてスタートした『音楽の日』(TBS系)を筆頭に、当時の音楽番組からは繰り返し「ひとつになろう」「日本を元気に」というメッセージが伝えられていた。ここで使われた「ひとつになる」という言葉は、非常時における「総動員」に近しい意味を持つ。チャリティーには音楽の持つ経済的な“動員力”を復興に役立てるという側面が色濃くあり、そういった文脈の中でも「音楽の力」や「歌の力」という言葉が使われていた。
 また、原発事故を受け、斉藤和義が自身の楽曲「ずっと好きだった」を替え歌にして批判の意図をこめてネットに発表した「ずっとウソだった」も大きな話題を集めた。
 振り返ってみると、2011年は、ポップソングに“社会性”が求められた1年だったと言える。
 日本だけでなく、世界全体も大きな変化のうねりの中にあった。2011年はチュニジア、エジプトなどで「アラブの春」と呼ばれる反政府運動や騒乱が巻き起こった1年でもある。こうした動きを後押ししたのが、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアだった。限られたマスメディアだけでなく、個人が即時性の高い情報を瞬時に拡散し、多くの人を動員することで、現実社会に変革をもたらすことが可能になった。
 ソーシャルメディアがもたらした情報環境の変化は、その後、10年代を通じて社会に影響を与え続けることになる。

マイノリティを名指しで肯定する

 こうした2011年の時代性を最も象徴する1曲が、レディー・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」だ。
 震災直後に彼女は、真っ先に被災者を支援するべく動いた。自身の公式ホームページ上で「WE PRAY FOR JAPAN/日本の為に祈りを。」と書かれたオリジナルのチャリティー用ブレスレットを販売し、その収益を含む300万ドルを寄付。6月には、原発事故により海外アーティストの来日キャンセルが相次ぐ中、MTVが開催した被災地支援イベントに出演するため来日。10日間の滞在で多くのメディアに出演し、政府からの感謝状も送られた。震災の記憶と共に、緑色の髪をしたこの時期の彼女の姿を覚えている人も少なくないだろう。
 そして、レディー・ガガはソーシャルメディアがどういうものであるかを誰よりも先に把握し、その影響力を活用することで頭角を現した最初のスターだった。
 2008年にデビューし、奇抜なファッションと度肝を抜くパフォーマンスで一躍ポップ・アイコンの座に上り詰めた彼女は、2011年当時のツイッターのフォロワー数世界1位。ソーシャルメディアにバズを巻き起こし話題性を独占するプロモーションも、自らを「マザー・モンスター」、ファンを「リトル・モンスター」と称してファンダムの結束を図る手法も、先駆的なものだった。
 結果、海外のポップカルチャーに興味を持つ層が少しずつ減っていった平成の日本においても、レディー・ガガは例外的に“誰もが知っている同時代のスター”としてメディアを賑わせた。この年にアップルが発表したiTunesの年間ダウンロードランキングで「ボーン・ディス・ウェイ」は1位を獲得。この曲が表題曲として収録されたアルバムはCDでも60万枚以上を売り上げ、オリコン発表の年間アルバムランキングでも嵐、AKB48、EXILEにつぐ4位となっている。
 そして、何より大きいのは、この曲の持つメッセージ性だ。歌詞には、様々なマイノリティやクィアを名指しで肯定する言葉が歌われている。

ブラックでもホワイトでも、ベージュでも
チョーラ(混血)の家系でも
レバノン人でも東洋人でも
障害のせいで仲間はずれにされても、
いじめられても からかわれても
自分自身を受け入れて、愛してあげよう
だって それがあなたなんだから
たとえゲイでも ストレートでも バイでも
レズビアンでも トランスでも 間違ってなんかいないのよ
私は正しい道を歩んでいるわ、ベイビー

 デビュー当初から常にマイノリティ側の人間であることを公言し「ゲイ・カルチャーをメインストリームに注入したい」と語ってきたレディー・ガガにとって、「ブラックでもホワイトでも」「ゲイでもストレートでもバイでもレズビアンでもトランスでも」と人種とジェンダーのマジョリティとマイノリティを等しく称揚するこの曲は、表現したいことのど真ん中にあるテーマを歌ったものだろう。
 震災を機に「音楽の力」が問い直された2011年。しかし、その力とは、結局のところ何だったのだろうか――。経済的な支援に役立つ動員力のことだったのか。人々の心に寄り添い感動や癒やしを与える情動の作用のことだったのか。「日本を元気に」というような情緒的だが薄っぺらいキャッチフレーズからはその内実は伝わってこない。
 しかし、レディー・ガガが歌ったこの曲は、奇矯な出で立ちや振る舞いばかりが注目されていた彼女が、人々の価値観に訴えかけ、そのことで社会に変革をもたらすリアルな「力」を初めてまっすぐに込めたヒットソングだった。
 もちろん、何かがすぐに変わったわけではない。しかし、10年代は「多様性」という言葉が市民権を持つ時代になった。LGBTQや性的マイノリティを取り巻く環境も少しずつ変わっていった。そうした状況を振り返った時に、改めてそのことに気付くはずだ。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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