平成ヒット曲史
2021/03/19

アイドルの時代、踊る時代 2013(平成25)年の「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)【柴那典 平成ヒット曲史】

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平成とは、どのような時代だったのか――。
その手がかりを、各年を象徴する曲に探る「平成ヒット曲史」。
プロデューサーの時代、タイアップ全盛、「自分らしさ」、史上一番CDが売れた年……ヒット曲は諸行無常の調べ。音楽ジャーナリストが、ポップ・ミュージックを通して“平成”という時代に迫ります。
最終回は、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」です。

踊るヒット曲の誕生


「恋するフォーチュンクッキー」

「“恋チュン”踊れば、嫌なことも忘れられる」

 2013年8月21日にリリースされたAKB48の32枚目のシングル「恋するフォーチュンクッキー」には、こんなキャッチコピーがついていた。
 この曲は、シングル曲への参加メンバーをファン投票で決めるAKB48の恒例行事「選抜総選挙」で指原莉乃が1位を獲得したことを受けて作られた曲だ。そこには、最初から「みんなで踊る」意図が込められていた。
 初のセンターをつとめることになった指原は、総合プロデューサーの秋元康から「次の曲は音頭に決まりました」とメールがあったというエピソードを明かし、その第一印象をこう語っている。

「正直な話をしていいですか? 最初にこの曲を聴いた時は、超イヤだったんです。スローテンポだし、疾走感がない。ぜんぜんいい曲とは思えない!」[1]

 いわゆる“ディスコ歌謡”ナンバーのこの曲は、ライブ会場で掛け声を入れて盛り上がることを想定したそれまでのAKB48のアイドルポップス路線とは一線を画する曲調だった。それゆえ当初はファンの間で違和感を表明する声もあったが、それ以上に、この曲のおおらかで親しみやすいメロディ、70年代のフィリー・ソウルを彷彿とさせるダンサブルな曲調が大きな評判を巻き起こした。近田春夫は「週刊文春」の連載「考えるヒット」で「未来永劫、残り続ける“マスターピース”になるだろう」と絶賛。他にも多くの人がこの曲を好意的に受け入れ、結果としてファン以外にも広く浸透していった。指原は続けてこう語っている。

「この曲が今までにないかたちで、世の中に広がっていくのを感じました。その結果、私の心境はがらっと変わります。『この曲、超いい曲じゃん!』」

 この曲がそれまでと違う波及力を持って広まっていった理由は、パパイヤ鈴木が担当したシンプルな振り付けとミュージックビデオの仕掛けにもあった。7月には楽曲のリリースと公式MVの公開に先立って、AKB48の劇場や関連スタッフたちがこの曲のダンスを踊る「STAFF Ver.」がYouTubeに公開される。オフィシャルブログにはこんな文章が綴られていた。

「恋するフォーチュンクッキーは、老若男女、どこでも、誰でも簡単に踊れる『踊ったもん勝ち』のダンスです。学園祭、お誕生日会、町内会・・・様々な場所で、皆さま是非とも楽しく踊ってみて下さい」

 これが一つのきっかけになり、各地で「踊ってみた」動画が投稿された。ファンだけでなく、サイバーエージェントやサマンサタバサや日本交通などの企業、佐賀県や神奈川県などの自治体も含めて様々な人たちがこの曲を踊り、そのことによって「恋チュン」は瞬く間に社会現象化していった。

 秋元康は、後に音楽教養番組『亀田音楽専門学校 シーズン3』(NHKEテレ、2016年1月29日放送)に出演した際、番組のホストをつとめる亀田誠治のインタビューに応えてこう語っている。

「クラブに行って、みんながバラバラに音楽にノッているのを見て『俺たちの時代と全然違うな、俺たちの時代はみんな同じ方向を向いて、同じ振りで踊ってたな』と思ったんです。あれをやりたい。あの楽しさを今の子たちに教えたい。みんなが一緒に揃うと面白いよっていうのが『恋するフォーチュンクッキー』です。だから、ああいうディスコサウンドをやりたかった。『一緒に何かをすること』が歌の持つ役割になったのかもしれないですね』

 こうしたタイプのヒット曲が生まれたのは日本だけではない。2013年11月にリリースされたファレル・ウィリアムスの「ハッピー」も、ダンス動画の投稿がムーブメントを巻き起こし世界各国でチャート1位を記録している。2010年代初頭はYouTubeとSNSをきっかけに各地で“踊るヒット曲”が生まれた時代だ。「恋するフォーチュンクッキー」はその代表だった。
 ちなみに、2010年代は、AKB48によってヒットチャートが“ハック”された時代でもある。シングルCDに握手会への参加券や選抜総選挙への投票券を封入することによって、一人のファンが複数枚を購入することが常態化した。それによって、2011年から2019年までのオリコンの年間シングルCDランキングでは、ほぼ全ての年において1位から5位までをAKB48や関連グループが独占する結果となっている。
 そんな中で、曲自体がブームを巻き起こし社会現象化した数少ない例、すなわちAKB48の“本当のヒット曲”のひとつが「恋するフォーチュンクッキー」だったのである。

『あまちゃん』と「アイドル戦国時代」

 人気絶頂期にあったのはAKB48だけではない。2013年は「アイドル戦国時代」と呼ばれた女性グループアイドルのブームがピークに達した年だった。2010年代に入ると、ももいろクローバーZやでんぱ組.incがブレイクを果たし、他にも数々のグループが人気を拡大。アイドルシーンは群雄割拠の様相を呈した。
 2010年代初頭のアイドル戦国時代にはそれまでのアイドルブームと構造的な違いがあった。それはテレビなどのマスメディアではなくライブを中心に活動する「ライブアイドル」が増えたこと。2010年に始まった「TOKYO IDOL FESTIVAL」などフェス形式のイベントが定着し、即売会や物販などでファンとコミュニケーションをとる機会も増えた。マスメディアへの露出に頼らず活動を行えることで、東京ではなく全国各地に拠点を置く「ご当地アイドル」や「ローカルアイドル」と呼ばれるグループも人気を拡大した。
 NHK連続テレビ小説『あまちゃん』が放送され大きな話題を巻き起こしたのも2013年のことだ。主人公のヒロインが東北・北三陸の小さな田舎町を舞台に地元アイドルとして町おこしに奮闘し、上京して様々な挫折に直面するストーリーを描いた『あまちゃん』は、東日本大震災とそこからの復興を物語の軸に据えたことも含めて、当時の時代背景を鮮烈に切り取ったドラマだった。
 この年の『紅白歌合戦』では、「あまちゃん特別編 157回 おら、紅白出るど」と題した一幕で、劇中に登場するアイドルユニット「潮騒のメモリーズ」に扮した能年玲奈(現:のん)と橋本愛などキャストたちが登場し、挿入歌「潮騒のメモリー」や「地元に帰ろう」を歌った。
 そして、同じ紅白の舞台でAKB48が披露した「恋するフォーチュンクッキー」では、メンバー総勢110人に加えて、くまモン、ふなっしーなどの「ゆるキャラ」もダンスに参加している。
 ちなみに、熊本県のPRマスコットキャラクターとして誕生したくまモンを一躍有名にした「ゆるキャラグランプリ」は、「TOKYO IDOL FESTIVAL」と同じ2010年に始まっている。
 こうして見ると、ローカルアイドルとゆるキャラのブームが地域振興という視点から相似形をなしていたことがわかる。『あまちゃん』とAKB48とくまモンが同じステージに立っていた2013年の紅白歌合戦は、アイドルとゆるキャラがもたらす「賑わいと祭り」が地域活性化に結びついていた当時の一つの象徴と言えるのではないだろうか。

平成というモラトリアム

 そして、「“恋チュン”踊れば、嫌なことも忘れられる」というこの曲のキャッチコピーにはもうひとつの大事なポイントがある。それは「嫌なことも忘れられる」というフレーズだ。
 嫌なこと、とは何だろうか。
 もちろん、「踊ることで日常の憂さを晴らそう」というメッセージとして文字通りに捉えるのが自然だろう。しかし、当時のグループを巡る状況からは違う含意も読みとける。
 アイドルという枠組みを超え存在自体が社会現象化していた当時のAKB48は、同時に多くの軋轢も生み出していた。中でもクローズアップされていたのは恋愛禁止というルールの存在だ。
 その当事者の一人が指原だった。彼女は2012年6月に「週刊文春」に研究生時代の恋愛が報じられ、その処分としてHKT48への移籍が命じられている。指原は当時をこう振り返っている。

「ルールを破ったというはっきりした証拠が見つかった場合、運営サイドからなんらかの判断が下されることになっていました。謹慎、研究生への降格、活動辞退。私としては、AKB48を辞めようと思っていました」

 さらに2013年1月には初期からの中核メンバーだった峯岸みなみが、スキャンダル報道を受け坊主頭になって謝罪したという事件もあった。スキャンダルそのものよりも、それによってメンバーが精神的にここまで追い込まれてしまう運営側のパワハラ体質、体育会系的な価値観が大きな批判を集めた。
 しかし、この年6月の選抜総選挙で指原が1位となり、「恋するフォーチュンクッキー」がリリースされ、8月から9月にかけて「踊ってみた」のムーブメントが広まっていくなかで、AKB48にまつわるこうしたネガティブなイメージはあっという間に後景化していった。
“嫌なこと”は、見事に忘れられたのである。
 ちなみに、2013年1月にやはり大きな批判を集めていたのが、柔道女子日本代表への暴力やパワハラの問題だ。当時の文科相は「日本のスポーツ史上最大の危機」とコメントし、各団体が暴力根絶に取り組む宣言を出した。当時はスポーツ文化そのものが岐路に立たされているという報道も多くなされていたが、この年の9月に2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定すると、そういった論調も聞かれなくなっていった。
 平成は、いわば“モラトリアム”の時代だった。
 特にその最後の10年は、いまだに根強く残っていた昭和の価値観の残滓を洗い流す機会を先送りにしていった、いわゆる“支払い猶予”の期間でもあった。
「恋チュン」を踊り東京五輪の招致に沸いた2013年は、そんな時代のムードを象徴する一年でもあった。(了)

[1]指原莉乃『逆転力 ~ピンチを待て~』

*今回で本連載は終了。2021年秋に書籍化の予定です。

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柴那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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