山田ルイ53世(髭男爵)『一発屋芸人列伝』
2018/05/31

コウメ太夫 “出来ない”から面白い(前編)

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コウメ太夫
コウメ太夫

「彼女に10万円のバッグをプレゼントしたら~、次の日質屋に入ってました~」
「マラソン大会で『一緒に走ろう』と約束したら~、序盤で裏切られました~」
「サンタクロースだと思ったら~、豚ロースでした~」
「奮発して大トロを買ったと思ったら~、赤い落ち葉でした~」
「チャーハンだと思って食べてみたら~、ラー麺でした~」
 とあるツイッターアカウント上での、“つぶやき”の数々。
 全ての投稿文は「チクショー!!」という悔恨の言葉で締め括られており、逐一、「#まいにちチクショー」なる謎のハッシュタグが添えられている。
 2016年3月、この一連のつぶやきが開始された当初、2000人程度だったフォロワー数は、1年足らずで3万人を大きく超えた。「今話題の」と表現しても、何の遜色も無い人気振りである。
 つぶやきの主は、御存じコウメ太夫。
 一発屋界の奇人である。
 奇妙奇天烈な人柄は元より、どこか“業”や“えぐみ”を感じさせる不可解な逸話の数々。天然とか不思議といった、原宿界隈で見聞きするような、口当たりの軽いポップな言葉は彼には似合わない。
 やはり奇人、あるいは怪人という呼称こそがしっくりとくる。
 コウメ太夫は、僕が尊敬する……いや、尊敬はしていないが、大好きな先輩の一人である。
 しかし、改めて眺めてみても、独特の雰囲気のつぶやき。ひらがな感とでも名付ければ良いのか。まるで子供が考えたような内容と、その統一感の無さが気になる。
 自虐的な体験談を披露していくのかと思えば、「マラソン大会で~」などと、手垢の付いた小学校時代のあるあるネタや、「サンタクロース、豚ロース」といった駄洒落ベースのボケが来る。
「赤い葉っぱがマグロに見えた」は、ボケと言うより嘘の範疇。
 お次の「ラーメンがチャーハンに見えた」に至っては、ただの“症状”である。
 また、別の日のつぶやきでは、
「○かと思ったら△でした」
「氷かと思ったら水でした」
 ……もはや、哲学の領域。
「何か人生の真理を語っているのだ」と、此方(こちら)が歩み寄らねば、理解不能で不安になってしまう。
「まいにちチクショー」に限らず、コウメ太夫のネタには総じて、この種の違和感やノイズの類が付き物である。
 いわば、調律されていないピアノ。
 観客は集中できず、見方がよく分からない。結果、頭に「?」が浮かぶだけ。
 それは、彼自身についても同じである。

手に文字がびっしり

 コウメ太夫。本名、赤井貴。
 彼の奇人振りを語る人間は多い。
 後輩芸人、“ひもの”もその一人である。一発屋の後輩の名が、「干されている」のも因果な話だが、彼はコウメ太夫のお気に入りで、よく連れ立って飲みに行くらしい。
 ひもの曰く、
「コウメさんのメールは、平仮名と片仮名だけ……漢字が使われていない」
 例えば、後輩を食事に誘う際は、
「ごはんいける」
「よじ おぎくぼ おわる むかう おまえ しちじ」
 自分の怪力のせいで、愛する者を抱き締めることすら許されない大男の独白、あるいは、手旗信号やモールス信号の類、ではない。
 メールの文面である。
 面倒臭いのか、携帯の使い方がよく分からないのか。
 いずれにせよ、不親切この上ない。
 以前、筆者が主催するイベントに、コウメ太夫をゲストでお招きした際。
 本番前、どこか落ち着かぬ様子の彼に、
「いやいや、そんな大層なイベントじゃないですから」
 緊張を解(ほぐ)そうと近寄ると、彼の右の手の平が……黒い。一瞬、
「うわっ! 蠅がびっしり!?」
 とあり得ない妄想が頭を過り、ゾッとしたが、それがカンペ代わりに書かれた大量の文字だと分かって余計にゾッとした。
 ネタの台詞だろうか。手の平だけでは収まり切らなかったのか、それは手の甲にまで及び、挙句の果てには、爪の一枚一枚にまで何やら文字が書いてある。
 もはや、お経……子供の頃読んだ「耳なし芳一」の世界観。あの怪談話の通りに事態が進むなら、今宵、彼は右の手首から先だけを残して、化け物に喰らい尽くされる運命である。
 他にも、「マスクをしたまま痰を吐いた」「薄くなって来た頭髪を蘇らすため、頭皮に女性ホルモンを打っていたら、おっぱいが張ってきた」「著名な風水師から、36万円の数珠を購入」など、何かと“えぐみ”のある逸話に事欠かない。

芸能界のサラブレッド

 僕は、一発屋芸人の中でも一際異彩を放つ怪奇芸人、コウメ太夫のルーツを探るべく、本人の元へ向かった。
 場所は目黒。ソニー・ミュージックアーティスツ、通称SMA。コウメ太夫は元より、売れっ子芸人、バイきんぐを擁する芸能事務所、その一室である。
「今日はよろしくお願いします!」
「……えっ、あ……はい!」
 長年の付き合い、しかも後輩である僕に対しても、いつも通り挙動不審である。
 担当編集氏が用意してくれた、簡易的なコウメ太夫年表を眺めながら、
「早速ですけど、お父様が亡くなられたのは、コウメさんが7歳の時なんですよね?」
 と尋ねれば、
「へー……よく覚えてますね!」
 何とも噛みあわない会話のラリー。勿論筆者は彼の父上の葬儀に駆け付けてなどいない。「よく知ってますね!」ならまだ分かるが。
 実際に駆け付けたのは、千昌夫と新沼謙治だったという。昭和の大スターの突然の登場に僕が驚くと、
「親父の葬式で二人に、『遊ぼうよー!』と言われて、『嫌だ!』って逃げたのをよく覚えてます」
(もっと何かないんかい!)
 折角、大御所二人のお名前が出たにも拘らず、何ともしょうもないエピソード。以前ビンゴ大会で、「ベンツのスマホケース」が当たった時と同じ感覚を覚えた。
 大スターの参列には理由がある。
 実はコウメ太夫の父、故・本間昭三郎氏は、大物芸能プロデューサーであった。第一プロという芸能事務所に関わり、あの小林幸子を担当していたこともある、一廉(ひとかど)の人物である。
 父親だけではない。
 母親は、東映のニューフェイス1期生。芸名を深見恵子という。若くして引退したが、幾つかの映画にも出演し、将来を嘱望された女優であった。早くに夫を亡くした彼女は、日舞を教えたり、テレフォンアポインターのアルバイトをしたりしながら、文字通り、女手一つで息子を育て上げた。
 大物芸能プロデューサーと女優との間に生まれた子供。言うなれば、芸能界のサラブレッドである。
 今を時めく若手人気俳優、二世タレントの経歴にも聞こえるが、正真正銘、コウメ太夫のプロフィールで間違いない。
 そんな少年が、芸能の道に興味を抱くのは自然な話なのだが、残念なことに、そのきっかけは御両親ではなかった。
 友人宅で偶然目にした、『スリラー』のミュージックビデオである。
 幼き日から今に至るまで、彼のヒーローであり続ける、“マイケル・ジャクソン”との出会い。
 キング・オブ・ポップのパフォーマンスに感動したコウメ少年は、
「彼のように、歌って踊る人生を送りたい!」
 との情熱に取り憑(つ)かれ、以来、ムーンウォークの練習に明け暮れるようになる。
 14歳の頃の話である。
 夢の実現のため、人生で初めて応募したのはジャニーズ事務所。
 しかし、
「最初、オーディション雑誌を散々読んで探したんだけど、ジャニーズ事務所の募集が出てなくて、住所が分かんなかったから諦めていた」
 気が付けば、3年の月日が流れていたという。彼の熱意、本気度を疑ってしまうが、神はコウメ少年を見放さなかった。
「ある時、歩いてたら『ジャニーズ事務所』と書いてあるのを発見して、ここにあったんだーって」
 ただ歩いていて見つかるものを3年も諦めていたのか。
 犬も歩けば棒に当たる的な、ジャニーズ事務所との出会い。人生の転機となるエピソードとしては、迫力不足なのは否めない。釈然としないが、これがコウメ太夫である。
 そこからの行動は、素早かった。
 なんと、いきなり事務所の門を叩いて直談判を……と書きたいところだが、現実は違う。
「住所が分かったんで、履歴書を送りました」
 3年越しのジャニーズ事務所にも拘らず、彼が選んだのは、ダンクシュートではなく、スリーポイントシュートである。
 電信柱か何かで住所を確認したのだろう、一目散に家に戻り、履歴書を書いて近所のポストに投函した。
 しかし、待てど暮らせど何の音沙汰もない。
 痺れを切らした彼は、
「すいません、履歴書を送った者なんですけど……」
 直接事務所を訪ねる。
(ここで行くんかい!!)
 何ともチグハグな行動。父上の葬儀の件に始まり、エピソードの燃費が悪いのは、コウメ太夫の特徴の一つである。
 不審者丸出しの彼に、出てきたスタッフが一言、
「勝手に来ちゃダメだよ!」
 夢は潰えた。

●後編へ続く→コウメ太夫 “出来ない”から面白い(後編)

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