山田ルイ53世(髭男爵)『一発屋芸人列伝』
2018/05/31

ムーディ勝山と天津・木村 バスジャック事件(前編)

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ムーディ勝山
ムーディ勝山

「消えた」「死んだ」「最近見ない」
 世間の人々、その記憶の表層から消え去り、“もう終わった人達”と見做されがちな一発屋。まるで、深海を人知れず泳ぐシーラカンス……そんな「生きた化石」が、共食いや縄張り争いといった苛酷な生存競争を、しかも同じ境遇の仲間同士で繰り広げているなどと、誰が想像できるだろうか。
 実はここ数年来、我々一発屋芸人の界隈では、或る問題が持ち上がっていた。
 通称、“バスジャック事件”。
「通称」と言っても、筆者が勝手にそう名付けただけだが。
 これは、二人の一発屋による骨肉の争い、その物語である。
 話は、今から3、4年ほど前に遡る。
「ムーディ勝山が、ロケバスの運転手になった!」
 当時のお笑い界に激震が走った……と言っては少々大袈裟だが、実際、“面白トピックス”として随分と話題になった。
 ムーディ勝山。本名、勝山慎司。
 言わずと知れた、「右から来たものを左へ受け流すの歌」で一世を風靡した一発屋芸人である。
 もともとこの歌は、彼が無名時代の2006年に、事務所の先輩ダイアン・津田篤宏の結婚披露宴で行った余興の芸。これが大ウケし、翌年には、今田耕司の一押し芸人として「さんまのまんま」(フジテレビ)、更には「ガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ)と立て続けに人気番組に出演、大注目の芸人となった。年末には前川清のコーラス隊の一員として紅白に出場し、着うたを出せば240万ダウンロードを記録、CM出演も十本近くにのぼった。
 まさに、時代の寵児。
 しかし、その勢いも長くは続かず、翌2008年には早くも「一発屋」などと囁かれはじめ、長きに亘る二度目の下積み生活に突入。自身のコンビの解散も経験し、現在に至る。
 そんなムーディが、一発屋という薄暗き懲罰房から、久し振りに外の世界に這い出て浴びることが叶った陽の光、スポットライト。
 それが、「ムーディ勝山、ロケバスの運転手になる」だったのである。

「俺、行きます!」

 芸能界には、「誰々が資格を取った」とか、「飲食店をプロデュース」、「小説家デビュー」、「何かのスポーツ大会に出場し好成績」といった“副業”の話題は掃いて捨てるほど転がっている。
 しかし、その殆どが、わらじと呼ぶにはあまりにも華やかな二足目。「現役の芸能人がロケバスの運転手に!」という、地に足がつき過ぎた副業は未だかつて聞いたことがなかった。
 キッカケは仲間内の飲み会。
 新宿・歌舞伎町の雑居ビルにある貸し会議室で、ムーディが当時を振り返る。
「フットボールアワーの後藤さんを中心にした仲良しグループがあるんです。ある日その飲み会で、『皆で旅行行く時に一台で済むから、誰かマイクロバスの免許取ったらええやん』と後藤さんが言った。運転できたらオモロイやろって」
 確かに、あれだけ大きな車を自在に操ることが出来れば、大袈裟で面白い。
 例えば日曜日の昼下がり、
「お昼はラーメンで済ましちゃおうか」
 と台所に立った妻が、冷蔵庫から血の付いた鶏ガラや豚の骨を取り出し、大きな寸胴でスープ作りを始めれば、
「そっからやるんかい!」
「もう台所違うやん! 厨房やん!」
 色々とツッコめる。
“大袈裟”は面白いのだ。
 ただ、後藤の提案も、酒の席での軽いノリ。「右から左へ受け流す」ことも出来た。第一その場には、ムーディより無名で暇な芸人もいたはずである。だが、
「俺、(免許取りに)行きます!」
 ハンドルを握るのが、かつて一世を風靡した一発屋芸人……自分なら更に面白い。この話に潜む笑いのニオイを敏感に嗅ぎとった彼は、躊躇なく手を挙げた。
 そして実際に間を置かず免許を取得する。
「僕、ロケバスの免許取ったんですよ!」
 ツイッター上や仕事先で報告すると、周りの反応も上々。やがて先輩芸人達が、
「ムーディのやつ、最近仕事が減って、ロケに全然呼ばれない。『ロケに行きたい……どうしてもロケに行きたい……ワー!!』っておかしくなって、とうとう、ロケバスの免許取ったんですよ! 『これでロケに行けるでしょ!?』って」
 様々な番組で話題にするようになった。中でも、免許取得に必要な費用まで負担してくれたというフット・後藤は、
「そういえば、こんな不思議ありましたよ!」
 と、かの「世界ふしぎ発見!」(TBS)出演時にもムーディの話を披露。司会の草野仁氏もスーパーヒトシ君状態……つまりは大爆笑だったそうな。持つべきものは、頼れる兄貴、優しい先輩である。
 結果、ムーディ本人にもお声がかかり、幾つかのテレビ番組に出演を果たす。
 勿論、先輩達の援護射撃のお蔭というのも多分にあっただろうが、この“ロケバスネタ”の面白さの核心は、間違いなくムーディの実力によるもの。と言うのも、後述するが、そこには一つの“発明”があった。
 実は、あまり知られていないが、ムーディ勝山は“発明家”である。
 このロケバスネタ以前にも、昨今の一発屋の振る舞い方、ひいてはテレビ番組の企画にまで影響を及ぼした「一発屋芸人の自虐トーク」という大発明に成功している。今では見慣れた光景だが、ムーディ以前の一発屋は、
「最近、暇でしょ?」
「お前ら、一発屋じゃねーかよ!」
 という“イジり”に対して、
「ちょっとちょっと!」
「違いますよ!」
 と返すのが精一杯。それ以外の術を持たなかった。しかしムーディは、
「いや、実際ヒマで……妻の手前、毎日仕事に行くふりをして、公園で一日中ハトに餌やってる」
「スケジュール表を送って来ないマネージャーに、『予定が立てられない。今すぐ今月の仕事をFAXで送れ!』と電話で怒ったら、数秒後にFAXが起動し、真っ白な用紙がFAXを通って真っ白なまま出てきた……」
「自分の単独ライブのチケットが1週間で三枚しか売れてなかった。手売りするしかないと、コンビニで自ら二枚購入したら、出てきた番号が4と5。その3日後、再び二枚購入したら6と7。更に2日後には、誰かキャンセルしたのか、2が出てきた」
 等々、悲しくも面白いエピソードを語り始めた最初の一発屋なのである。以後、皆が彼のやり方に倣い、一発屋による「残念エピソード」は定番となった。
 さて、順調に走り出したかに見えた、ムーディのロケバスネタ。
 実際、筆者も、売れっ子達を乗せたロケバスを運転する一発屋ムーディ勝山のシュールな雄姿を、何度かテレビで拝見したことがある。「タレントが乗るロケバスを、タレントが運転する」という、コントの設定が現実になったかのような、“もしもシリーズ感”溢れる斬新な構図に腹を抱えて笑ったものだ。
 しかし、突如、暗雲が垂れ込める。

●後編へ続く→ムーディ勝山と天津・木村 バスジャック事件(後編)

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