山田ルイ53世(髭男爵)『一発屋芸人列伝』
2018/05/31

ムーディ勝山と天津・木村 バスジャック事件(後編)

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天津・木村
天津・木村

“犯人”からの電話

 始まりは、一本の電話だった。
 ムーディが、“ロケバス”ネタを世に送り出して1年ほどが経ったある日。
 買い物にでも出かけたのか、妻子は外出中、自宅には彼一人である。
「多分、お昼か……夕方ぐらいだったと思います」
 まだ夜の帳(とばり)が下りぬ明るい内にかかって来た電話の主は、天津・木村……“バスジャック事件”の犯人、その人である。
 天津・木村。本名、木村卓寛。向清太朗とのコンビ、「天津」のツッコミ担当。
 親兄弟の殆ど全員が詩吟の師範、あるいは師範代という一風変わった家に生を享けた彼。自身も師範代の資格を持つ。
 詩吟という古式ゆかしい日本の伝統……しかし、現代、特にお笑い界では見向きもされなかったその芸が日の目を見たのは、事務所の先輩である漫才コンビ・麒麟のラジオ番組に出演した際。そこで即興で披露した“エロ詩吟”が爆発的にウケ、2008年には数々のテレビ番組に出演、その一発を成し遂げた。同年発売した著書『エロ詩吟、吟じます。』が十万部を超えるなど、彼にもまた、数々の栄光は“あると思います”が、今はそれを振り返っている場合ではない。
 突然の着信に、
「何だろう……?」
 少々訝しく思ったムーディだが、木村は彼より2年ほど先輩。待たせる訳にもいかぬ。
「もしもし?」
 慌てて電話に出ると、開口一番、
「あのさー、俺もロケバスの免許、取っていいかな?」
 木村が言い放った。犯行予告……事件の幕開けである。
「衝撃的でした」
 とムーディが当時を思い出し、身を竦(すく)めたのも無理はない。
 その時点において、ムーディのロケバスネタは、少なくとも芸人の間ではお馴染みの話題。
 そもそも、“ネタ被り”は避けたいのが芸人である。漫才中の一ボケ、コントの設定の一部であろうが、人と被れば、そのネタは却下。みっともないし、恥ずかしい。そう感じるのが、お笑い芸人の矜持と言えよう。
 木村の意図をはかりかね、言葉を失うムーディ。その沈黙を難色と受け取ったのか、
「いや、(ネプチューンの)名倉さんに話したら、『それ面白いなー!』って言ってくれてな……」
 まるで“後ろ盾”だと言わんばかりに、大先輩の名前を持ち出した小先輩。
 実に姑息である。

「呆気にとられているうちに押し切られて、気付いたら『はい』と言っていた」
 と話すムーディの口調は、オレオレ詐欺の被害者そのもの。電話を切った後、
「今のは『はい』って言ったら駄目だったんじゃ……」
 と後悔するも、後の祭りである。
 唯一の救いは、そんな不意打ちの混乱状態でも、辛うじて防御策を講じていたこと。
「『ロケバスの免許を取った』とだけは、絶対に言わないで下さい!」
 と木村に釘を刺したのだ。
 実はこれこそが、先ほどの「ムーディの発明」に関わる話。
「僕は『ロケバスの免許』という言い方をしてましたが、実際に取ったのは中型の免許。正式に仕事としてタレントを乗せ、ロケバスを運転するには、別に“二種”の免許を取らないと駄目なんです」
 整理しよう。まず我々の業界で“ロケバス”と呼称されるのは、マイクロバスのこと。中型免許を取得すればマイクロバスの運転は出来るが、業務での運転となると二種免許が必要になる。しかし、レンタカーのマイクロバスを借りて、“ロケバスの運転手役”を演じるなら中型免許だけで問題ない。あくまで出演者、タレントとしての露出になるからだ。
「僕はただの中型免許を『ロケバスの免許』という面白い言い方をしてネタにした。これは、僕の発明なんです」
 確かにこの言い方なら嘘ではない。ムーディの“面白咀嚼力”の勝利である。
「中型の免許取りました!」と、
「ロケバスの免許取りました!」
 では、その面白みは雲泥の差。
 前者の言い方では、ただの特技、いや「芸人廃業するのかな」などと捉えられかねない。言い方一つだが、立派な発明なのだ。その“特許感”は、同じ芸人として木村も無視出来ず、「ロケバス発言禁止」については、了承してくれたという。言ってみれば、フランスのシャンパーニュ地方で作られたものしか、シャンパンと呼称出来ない……あれと同じ。“ロケバス銘柄”、その原産地はムーディ只一人というわけだ。
 事実、その後木村は暫くの間、
「僕もムーディの真似して『中型の免許』取ったんですけど、何も仕事が来なかったんです……」
 いささか面白みに欠ける弱いエピソードしか、披露できずにいた。
 かくして、不発に終わったかに思えた“バスジャック事件”。
 しかし、水面下で着々と事態は進行していたのである。

木村の自白

 件の電話から2年程経ったある日。
「僕、“ガチで”ロケバスの運転手になったんです!」
 と木村が世間に発信し始めた。
 悪夢は、終わっていなかったのだ。とうとうムーディとの約束を反故(ほご)にしたか……と思いきや、そうではなかった。
 もう一度文言を見て欲しい。
 肝は“ガチで”の部分。
 一体何が起こったのか。
 時間を、ロケバスネタの発端となった、フット・後藤主催の例の飲み会まで巻き戻そう。
「誰かマイクロバスの免許取ったらええやん」
 提案する後藤。すぐに手を挙げるムーディ。そして、それを冷ややかに見つめる一人の男……木村である。
 そう、彼もまた、あの飲み会に同席していた。ムーディ曰く、
「その時、木村さんは全然手も挙げなかった。それがネタになると気付いてなかったんです!」
 ムーディが“あると思った”ロケバスネタを、木村が“右から左に受け流した”格好。何とも皮肉な話に思えるが、立場が変われば、見え方も変わる。木村本人に聞くと、
「『気付いてなかった』というのは違う。気付いてないフリをしてたんです!」
(何のためやねん!)
 心の中でツッコむが、一応、彼の言い分も聞かねばなるまい。
 あくまで「そのとき自分もロケバスネタに興味を持った」と言い張る木村。
「僕、車の運転がすごい好きで。“エロ詩吟”の時に収入も増えたので車を買った。でも仕事が減って、結局売ることになった。車好きやったから悲しくて……余談ですが、僕はジムニーに乗ってたんですよ。僕、そのジムニーを愛していて。知ってます? ジムニーってね……」
 本人が余談と言うので、お言葉に甘えて割愛するが、
「ジムニーも手放しちゃったし、車が欲しいけど財力的に買えない。『どうしたらええねん……』っていうのが、まず根本にあったんです」
 言い訳の助走が長過ぎる割に、フワッとした着地。長々と説明する様子は、疑わしいアリバイを必死で言い繕う犯人そのもの。大体、ジムニーとマイクロバスではサイズが違い過ぎる。勿論、彼の言い分に真実味など感じられない。
 そんな筆者の心中を察したのか、
「ムーディが中型免許を取った後“ロケバスネタ”でテレビに四、五回出てるのを見て……」
 雲行きが怪しくなってきた。
「『あ、いけるんだ』って」
(……ん?)
「で、取ったれと思って」
 あっさり自白してくれた。
 後は堰を切ったように、
「芸人として、おいしいネタが目の前にある。なら、やりますよね? この世界、皆ほぼルール無用で戦ってるでしょ! そこに急に善悪を持ち込んだりとか……子供が家で泣いてるんですよ、腹すかせて……もう行くしかなかったんですよ!」
 と一気に捲(まく)し立て、急激に“悪キャラ”に舵を切る木村。
 確かに生き馬の目を抜く芸能界。ほぼルール無用かもしれぬが、僅かに残された仁義まで欠くのはいただけない。しかも、免許取得にかかった費用はこれまた後藤が出したと言うから驚きだ。
「領収書渡したんです。『お前の出すなんて言ってないよね?』って後藤さんはビックリしてましたけど……」
 当然である。勝手に取りに行っただけなのだ。
「“子供の出産祝い”ということにして、なんとか貰えました!」
 と何故か得意げに語る木村に辟易とする。
 かくして件のムーディへの電話の後、中型の免許を取った木村。これでマイクロバスの運転は出来ることになったが、ムーディとの「ロケバス発言禁止」の約束がある。さすがにこれは破れない。
 しかし、彼には計画があった。
 そもそもムーディは何も実際に職業、生業としてロケバス運転手になった訳ではない。言ってみれば、
「いや、もうほとんど、ロケバスの運転手やないかい!」
 とツッコまれるためのボケ、即ち“ファンタジー”である。
 そんなファンタジーに対抗するため、木村が選んだ道……それは、“ドキュメント”だった。
 知り合いの伝手を辿り、ロケバス業務を請け負っている会社の面接に赴いたのである。そう……この男、“ガチで”ロケバスの運転手になるべく、就職しようと考えたのだ。悪魔的発想である。水戸黄門が、生地の発注や資金のやり繰り等、「越後のちりめん問屋」の業務を“ガチで”行うようなもの。本当に仕事にしてしまえば「ロケバスの運転手です!」と胸を張って印籠を出すことが出来る。
 なんという執念。
 木村はこの面接の折に、「中型持ってるけど、二種取ってませんね? これでは仕事出来ないですよ」と告げられ、初めてムーディの発明、そのカラクリを知ることになるが、元よりガチである。怯むことなど一切ない。普段から趣味で年に何度も富士山に登り、同じく趣味のパワースポット巡りのためなら、人里離れた山奥の滝だろうが、訪れるのを厭わぬ性分。
「すぐ教習所を探して。そしたら、秋田県に一つだけ空きがあると言うので、大型二種の合宿に2週間行ってきました。冬の秋田県に……」
 基本、真面目で努力家なのだが、「冬の」は蛇足である。「寒い中、一生懸命行った!」とでも言いたいのだろうが、別に、吹雪の中、雪山を踏破し、命からがら教習所に辿り着いた訳でもあるまい。本筋に関係の無い抒情的な言葉を盛り込むあたり、重ね重ね姑息である。
 木村の一連の動きはムーディの耳にも入っていたようで、
「確か去年、木村さんは僕が持ってない二種の免許を取ったんです。僕には黙って……いや、後輩に一々言う義理はないかもしれないですけど……」
 言葉とは裏腹に、“義理はある”と思っている彼の無念さがひしひしと伝わってくる。対して木村は、
「後輩のムーディが先にやってるネタというのは分かってた。申し訳ない気持ちもある……でも、大型二種ですよ? 正直、『勝ったな』と思いましたよ!」
 もはや後戻りは出来ぬとばかりに悪人ぶるのをやめようとしないが、むしろそれが彼の後ろめたさの表れにも思え、僕は少し安心した。

和解

 これが一発屋界を震撼させた、恐怖の“バスジャック事件”、その全貌(ぜんぼう)である。『下町ロケット』さながらの特許を巡る攻防。張り巡らされた乗っ取りのスキーム。池井戸先生に小説化して頂きたい。
 二種免許取得後は、計画通り会社に登録し、実益も兼ねて実際に働き出した木村。勿論、“ロケバス芸人”として、幾つかのメディアの仕事に繋げることにも成功したが、番組の撮影に関係の無い部分での運転業務も精力的にこなしている。
 取材時には、
「今週はもう三回乗ってます。特番のロケの下見と、PVの撮影で」
 もはや、彼のロケバスにはタレントすら乗っていない。乗客はスタッフ……「ガチ」である。
 訊けば、そろそろ、お笑いの収入を運転手のそれが超えそうとのこと。そもそも、お笑いで生計を立てるために頑張って来たのに、この本末転倒ぶり。ミイラ取りがミイラに……家計簿だけ眺めれば、「時々漫才で舞台に立つ、ロケバスの運転手」と言った方が相応しい。
 木村のやり方は決して褒められたものではない。しかし、彼もまた一発屋。
 背に腹は代えられない事情、あるいはなんとか現状を打破しなければという焦燥感……様々な葛藤があった末の“バスジャック”だったのだろう。ボケ口調を交えつつ、“悪党”を装う木村を眺めながら、同じ一発屋の僕はそう感じた。そうでなければただの“サイコ野郎”である。
 一方、ムーディは最近ロケバスネタについて口にしなくなり、周囲の先輩達も次第に、木村の「ガチで運転手」ネタを面白いと言って憚らなくなった。人々の興味もまた、“右から左”である。気の毒な気もするが、そこは自虐トークのパイオニア。
「芸人仲間のLINEグループで、僕もいるのに『今日ロケバスの運転行ってきました』とか、旅行の話題になると『行き僕で帰りムーディとかもできますよ!』とか木村さんが“ロケバスボケ”をしてくる……僕はもうそのボケで笑えない!」
 既に漫談は仕上がっている。
 彼もまた逞しい。
 そんな二人に、今年ついに仲直りの機会が訪れた。
「僕と木村さんが出た、一発屋芸人が集まるイベントで、『写真でトーク』のコーナーがあった。そしたら、木村さんがロケバスの写真を出してきて……多分向こうも解消したかったんでしょうね」
 いい機会だと、ここぞとばかりに不満をぶつけたというムーディ。
「もう言いたいことを言いました。『先輩やけど、お前最低や!』と……。一応舞台の上では、軽く和解したような感じにはなりましたね」
 そう簡単に、わだかまりの全てが消え去るわけでもないだろうが、木村もまた、このイベントで一応の決着がついたと語ってくれた。
 ムーディ勝山と天津・木村。
 二人の芸人は似ている。
 それぞれ、ムード歌謡と詩吟という、芸人も客も誰一人見向きもしなかった間口の狭いジャンルをお笑いのネタ、芸に昇華させ、見事一世を風靡した稀なる才能の持ち主だという点。相方を持つコンビ芸人でありながら、ピン芸で世に出た点。そして言うまでも無く、二人揃って一発屋である。
 かように似た二人が、かつてのベルとエジソンのように、同じロケバスネタという発明、その特許を巡って争ったのは、避けられない運命だったのかもしれぬ。
 何より、二人は証明してくれた。
 我々一発屋が、ただ余生をやり過ごしているだけの、“生きた化石”ではないことを。常に面白いネタを探し求め、虎視眈々と“次”を狙っているその生き様を。
 いつの日か、そんな一発屋を集めて、ロケに繰り出そう。運転手は勿論──本職のドライバーさんにお願いしたい。
 ムーディも木村も、まだまだやる気十分。もう一発“当て”ようとしている人間に、ハンドルを握らせるわけにはいかない。

©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD./©松竹芸能株式会社
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