ジェーン・スー「生きるとか死ぬとか父親とか」
2016/10/05

第8回 七月の焼茄子

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題字・絵 きくちまる子

 七月の終わり、父と私はいつものファミレスでいつものように向かい合い座っていた。目がチカチカするほどの暑さのなか、墓参りへ行った帰りだった。父は珍しくトマト味のパスタをオーダーしたが、それ以外はすべてがいつもと寸分違わぬルーティーンだった。大きく違ったのは、四十三年この男の娘として生きてきて初めて、父の戦争体験談を聞いていることだった。
 東京の本郷三丁目あたりに住んでいた父と家族は、疎開先で空襲にあった。昭和二十年七月十七日、未明の沼津大空襲だ。沼津には軍需工場が多く、それ故に標的となったらしい。なんともやるせない話だ。当時、父はまだ小学一年生だった。
 親子だからこその馴れ合いと気恥ずかしさで、私は普段から父にぞんざいな口を利く。今日はそれに好奇心が加わって、せっつくように問いを重ねた。
「『贅沢は敵だ!』って本当にみんな言ってた?」
「そうだよ。そうやって言葉で人を統制するんだね。でもさ、ほとんどの人が貧乏で、そもそも贅沢のしようがないんだよ。まぁ当時でも権力を持つ人はいたし、そういう人はなんでも手に入ったし、いまで言う格差はその頃からあったね。戦争は嫌なもんだよ。悲惨」
 戦争の話を始めてほどなく、父は文脈に関係なく言葉の終わりを「戦争はダメ」とか「戦争は悲惨」で締めるようになった。戦争体験者は異口同音にそう言うが、なぜ父もそう思うのか。私は父の言葉でそれが聞きたかった。
「うーん、嫌な話だけどさ、焼夷弾がバラバラ落っこちて来るでしょう? たまたま一緒に逃げてる人のなかでね、中学生かな、腕が取れちゃったの。当たっちゃって」
 こともなげに、と言えば語弊があるかもしれないが、まるで気に入っていたコップを割ってしまった、程度の温度で父が言う。敢えて軽く話しているのかもしれない。私は自分の体温を無理やり父のそれに合わせ聞いた。
「そっか。で、お父さんのおばあちゃんを捨てた話って、なに」
「沼津についてすぐだったかな、貨物が走る線路の脇がひどい機銃掃射を受けたの。次の日には焼夷弾も降ってきて、夜中に逃げることになった。そしたら、一緒に逃げてた中学生に焼夷弾が当たって腕が……」
「そこはわかった。その中学生は知り合い?」
「ぜんぜん知らない子」

「え? お父さんは誰と逃げてたの?」
「家族と、あとは知らない人たち。でね、うちは歩けないおばあちゃんをリアカーに乗せて、親父がそれを引きながら逃げてたの。夏だったから、おばあちゃんに白い布団を被せてね。そしたらそれが目立って飛行機の上から見えるって言うんだよ」
「誰が?」
「一緒に逃げてた連中のなかに、イチャモン付けるのがいたの」
「知り合い?」
「ぜんぜん」
 またか。
「そんなの見えるわきゃないんだよ、ばっきゃろう」
 父は一瞬荒ぶったが、その熱はサッと引いた。
 私はドリンクバーへアイスティーを取りにいきながら、話を整理する。空襲から逃げる途中、中学生が被弾したのを機に、足手まといになるからリアカーを捨てろと迫ってきた見知らぬ男がいた。そこまでは理解した。
 席に戻り、尋問を続ける。
「その人は、逃げる集団のリーダーだったの?」
「違う。そういう時はちょっとばかり図体がでかくて、声の大きい奴が偉そうなことを言い出すんだよ、必ず。非常事態には、そういう奴が一瞬で発言力を持つ。言うことを聞かなきゃならない圧を感じるようになるもんだ」
 そんな連中とは離れればいいではないか。あるいはリアカーではなく、被せられた白い布団を捨てればいいではないか。非常事態では、それすら思いつかないのだろうか。
 座っていることに疲れたのか、父はファミレスの椅子からズルッと腰を落とし、不良高校生のような体勢で話を続けた。
「いいか? 逃げるときは決して自分が最初ではないんだよ。誰かが逃げて、そのあとをみんなが着いていく。どんどん人が増えていく。なんでそっちに逃げるかなんて誰もまったくわからない。とにかく逃げるんだ。馬も逃げてきたよ。どっかの厩舎が被弾したんだな。群衆がウワーッと逃げてるところに、狂ったように馬が走ってきて俺たちを追い越していった。馬だってそっちが正しい方向かわからないのにさ」
 馬の話で父がヘラリと笑う。まったくもって笑えない話だったが、私もつられて笑ってしまった。
 にわかには信じがたいが、混乱のなか初対面の男に凄まれ、父たちはリアカーごと祖母を海沿いの松林に捨てた。そこはまだ火の手が迫っていない場所だったというが、一緒に逃げる理由などまるでない初対面の連中に指図され、大切な親を道に捨てる心境が私にはどうしても理解できなかった。それが今生の別れになるかもしれないのに? と何度も尋ねたが、明確な答えは返ってこなかった。
「プレッシャーに負けたんだな、親父は」
 食い下がる私から目線を外し、父が言葉をこぼした。

 それから父たちは夢中で逃げた。逃げて逃げて、朝がきた。祖母を探しにリアカーを捨てた松林へと急いで戻る。しかし、いない。いくら探してもリアカーが見つからない。
「誰か持ってっちゃったのかしら? なんて親父とおふくろは言ってたねぇ」
 なんとも呑気だが、諦めかけたところでリアカーは見つかった。思っていたよりずっと家から近いところにあったらしい。おばあちゃんは、リアカーのなかで捨てられた時と同じようにじっと寝ていたという。
「捨てろって言われてから結構粘ったと思ってたけど、俺たち随分と早くおばあちゃんを捨てちゃってたんだよな」
 笑えない話で、また父が笑う。
 奇跡の再会を果たし、家族はリアカーを引きながら家路を急いだ。家はまるごと焼けていた。ぜんぶがぜんぶ焼けていた。庭に植えていた茄子までこんがり焼けていた。
「でね、せっかくだからね、家族で食べたの。焼き茄子を」
 笑いを堪え切れないのか、喋りながら父の声がところどころうわずる。笑ってはいけない戦争ギャグに、私も笑う。笑えないことは、いつだって堪えきれないほど可笑しい。

 家が焼かれてなくなった。それは悲惨以外のなにものでもない。しかし、今日も明日も生きていかねばならない。だから焼夷弾に焼かれた茄子を家族で食べる。私なら二度と茄子を見たくなくなると思うのだが、なんなら焼き茄子は父の好物だ。私たちは親子だが、生きる強さがまるで違う。
 我が家も父が下手を打ち、実家が無くなってしまった過去がある。その頃は知る由もなかったが父はとうの昔にスッカラカンだったので、最後の数か月は私の貯金をつぎ込み家と商売を維持した。しかし、ついにどうにも踏ん張りが効かなくなった。私に商才があれば違う着地もあったかもしれないが、残念ながらそうはいかなかった。
 手放した実家は一階二階が父の興した商売のオフィス、三階四階が家族用の住居という、その頃の私たちの身の丈にはまるで合わないビルだった。いっそ焼けて無くなればよかったのに、いまではそっくりそのまま、ほぼ居抜きで信用金庫が入っている。いまもその前を通ることがあるが、なんとも可笑しな気分になる。三階のリビングは近隣住民に集会所として開放しているそうで、恥ずかしいことこの上ない。ご近所さんは入れるが、私は二度と入れない私の家。笑えないことは、やはりいつだって堪えきれないほど可笑しいのだ。
 そう言えば東日本大震災の時、私はみっともないほどうろたえた。東京にも風に乗って放射能がやってくる。いますぐここから逃げなければ大変なことになる。恐ろしい話ばかりがワイヤーのように私の体に食い込んだ。この苦しさから逃げられるなら、東京を捨てることもやむを得ないと思った。
 父に相談すると、「なんとかなるよ。まだ住むところもあるし」と言われたのを覚えている。なにをのんびりしているんだと腹が立ったが、いま思えば沼津の一件に比べればたいしたことはないと思ったのだろう。沼津から東京へ戻ったら、本郷の家も焼けてなくなっていたらしい。震災後の私はそんなことも知らず、正しい方向もわからずに、見知らぬ誰かのあとを着いて逃げようとしていたわけだが。

「終戦」と私が言うと、「敗戦」と父が言い直す。
「敗戦の翌日からいきなり『これが自由です。そして自由には義務がついてきます』なんて言われて面喰ったねぇ。もうちょっと大人だったら、もっと混乱したと思う。教科書の『鬼畜米英』の文字をおふくろが墨で消してさ。ほら、情報開示なんて言いながらマジックで真っ黒になった書類をニュースで見たことあるだろう? あんな感じ。日本人は大人しいんだよな、どっから見たって変なことでも議論にならない」
 戦後は食べるものも十分になく、お腹を空かせた伯父たちは米軍の手伝いをしていた祖父に食べ物をもらってくるよう詰め寄った。祖父は米軍からうどん粉を横流ししてもらったが、枕ほどの大きさの袋を開けるとそれは砂糖だったという。
「砂糖はうどん粉の何倍もの価値がある。でも親父はそれを売らないんだよ! 欲がない。だから俺たち兄弟は、毎日茶封筒に砂糖を入れて学校へ持っていって舐めてたね。俺だったらすぐ売りに行って、何倍もの金にしたのに。見つかったら捕まっちゃうけどさ」
 なるほど。目の前に座る爺は、茶封筒から砂糖を舐めて生き伸びたというわけか。子ども姿の父がぺろぺろ砂糖を舐める姿を想像する。笑えない話なのに笑える。なにもかも不謹慎で、どうしたらいいかわからない。
「ねえ、戦争のあとはひどい不景気だったと思うけど、回復したなって体感できたのはいつ頃だった?」
「そうね、朝鮮戦争が始まってからだね」
 なんとも後味の悪い話だ。戦争の痛手から立ち直る起爆剤は、次の戦争だったのか。
「しばらくは貧乏だったねぇ。親父は戦後でも二億ぐらい持ってたはずなんだよ。戦争が始まるまえにおじいちゃんの商売の権利を売った金が五億ぐらいあって……」
「は?」
「あ、ごめん。五万だ」
「でしょうね」
「それで池袋の闇市がさぁ」
 話がだいぶ横道に逸れてきた。
「その話は、また次にね」
 私は父に礼を言い、伝票を手に席を立った。
 (つづく)

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