大矢博子の推し活読書クラブ
2021/02/10

加藤シゲアキ出演「六畳間のピアノマン」と最新作『オルタネート』の共通点

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 昨日見た夢を話しかけてやめにした皆さん、こんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は『オルタネート』が数々の文学賞にノミネートされ、ファン以外からも熱い視線を集めているシゲのドラマだ!

■ 加藤シゲアキ(NEWS)・出演!「六畳間のピアノマン」(2021年、NHK)

 出演、と書いたけどこのドラマは登場人物が持ち回りで主演を務める形式をとっており、2月6日放送の第1回はシゲのターンだった。次回からは初回に脇役として登場した人が順に主役となるので、シゲもどこかでまた顔を出す可能性がある。一話完結ではあるものの、物語としてはつながっているわけだ。

 このように別々の物語がつながる形式を「連作」という。小説では古くからあるお馴染みの手法で、安藤祐介による原作小説『六畳間のピアノマン』(角川文庫)は、まさに連作だからこそ可能な仕掛けをほどこした、お手本のような作品だ。

 ということでまずは原作から見てみよう。第1章はブラック企業で働く大友が主人公。飄々として明るい性格だった同僚の夏野も上司のパワハラで疲労の色が濃いし、同じく同僚の村沢は完全に洗脳されておかしくなっている。このままではいけないと大友が立ち上がろうとした矢先、夏野が動画サイトにある動画を上げた。それを見た大友は慌てて夏野の家に向かうが──。

 あれ? シゲが演じた村沢の話じゃないの? そう、違うのだ。原作の第1章は、ドラマだと三浦貴大が演じている大友の視点で語られるのである。そして第2章は居酒屋で働く男性の話、第3章は定年退職を迎えた男性の話、第4章は交通課に勤める警察官の話、第5章は軽音楽部の顧問になった高校の非常勤講師の話、そして最後の第6章はブラック企業に派遣された派遣社員の話である。

 ドラマを見た人ならお気づきだろう、シゲが演じた村沢は第6章の派遣社員だ。そして同時に、第1章で大友や夏野とともにパワハラの被害にあっていた人物でもある。最初の会社を辞めた村沢は派遣社員としていろいろな職場を渡り歩いていた。ところが派遣先で上司のパワハラに自我をなくしかけている社員を見て、かつての自分や同僚たちを思い出す。そしてその苦い経験を繰り返したくないという思いから、被害社員を助けようとするが──というのがドラマと原作第6章に共通する設定だ。ドラマは第6章を下敷きに、回想という形で第1章のエピソードを挿入するという構成をとっていた。


イラスト・タテノカズヒロ

■まさかの最終章から始まったドラマ、原作を先に読んでほしい理由

 まだ第1回を見ただけだが、すでに原作からの改変がいくつか見られた。最大の違いは夏野の死因。そして村沢たちが最初に勤務していたブラック企業のパワハラ上司・上河内の今の様子(さらっと挿入されていたね)。原作の非常勤講師は、どうやらドラマでは高校生として描かれるらしい。まだわからないけど、たぶん。

 それぞれ原作でどう書かれていたかはここでは明かさないでおくが、いずれも原作を読んで「この場面を映像にするのはキツいなー」と思った箇所ばかりだ。そういう点ではドラマは原作と比べてややマイルドな話になっていると思われる。原作には辛い描写がたくさんあるので、創作物に過剰に感情移入してしまうタイプの読者や傷が癒えていないパワハラ被害者にはややキツいかもしれないが、大丈夫、それを乗り越えて一歩を踏み出す物語だから。どの物語もちゃんと希望とともに終わる。

 そういう内容の改変とは別に、私が注目したのは、初回冒頭で主要人物を全員見せたということだ。シゲ演じる村沢が公園にいると、女子高生たちのバンドがビリー・ジョエルの「ピアノマン」を演奏し始めた。生前の夏野がよく演奏していた曲である。すると村沢以外にそれに反応した人が何人かいた。ベンチにいたおじさん、買い物していた中年女性、キッチンワゴンの店員、警備の警察官、ストリートパフォーマー……そのいずれも名のある役者さんばかりで、単なるモブのはずがない。この時点で視聴者は「この人たち、何かあるんだな」と見当がつく。

 そして実際、ベンチのおじさんや中年のおばさんや警官や店員が作中に登場し、なるほど、こう関係してくるのかと視聴者は納得あるいは先を想像するわけだが、実はここが原作との決定的な違いなのだ。原作の最大の魅力は「別々の話だと思っていたものが意外なところでつながっていた」というサプライズにある。だがドラマは最初から「つながってますよ」とほのめかす。どちらにも利点はあるが、いやあこれ、知ってから読むか読んでから知るか、片方しか味わえないと思うと迷うなあ!

 だが敢えて、ここは「ドラマが進む前に原作読んで!」と主張しよう。ドラマは同じ人物を同じ役者さんが演じるので(当たり前)、画面を見ただけで「あ、あの人だ」というのがわかる。だが小説にそれはない。意外なところに同じ人物が登場しても、名前を書かないかぎりそれが同一人物だとはわからない。その分、わかったときの驚きと感動と、そして何より「ああ、そうつながっていたのか」と腑に落ちる思いは格別だ。

 原作もドラマも目指すテーマは同じ。別々に生きているようでいて、人はどこかつながっている。知らないうちに自分の行動が誰かの背中を押すこともあるし、気づかないうちに人を救っていることもある。そういう見えないつながりの連鎖で、私たちは生きている──。その「知らないうちに」「気づかないうちに」をよりビビッドに味わえるのは原作の方だと思う。ぜひ原作に手を伸ばしていただきたい。

■『六畳間のピアノマン』と『オルタネート』の共通点

 視点人物を変えることにより、当人も気づかないうちに人と影響を与えあう様子を描くという「連作」の手法は、実はシゲの『オルタネート』(新潮社)にも取り入れられている。直木賞候補となり、受賞こそ逃したものの選考会で高い評価を受けたのちに、本屋大賞や吉川英治文学新人賞にもノミネートされた。現時点でのシゲの代表作と言っていいだろう。

『オルタネート』は連作ではなく長編だが、3人の視点人物がいる。調理コンテストを目指す高校の調理部部長、真実の愛を求めてマッチングアプリにのめりこむ高校1年生、そして高校を中退してミュージシャンをめざす青年だ。3人に接点はなく、それぞれ別の物語として彼女たちの様子が綴られる。だが、無関係だったはずの3つの物語が終盤で交差し、大きくスパークするのだ。これは、人は知らないうちに誰かとつながっている、という『六畳間のピアノマン』のテーマにも通じる。

 さらにいえば『六畳間のピアノマン』は8年前と現在が交差する物語なのだが、視点や複数の時制を行き来することで、物事を立体的に描き出すのは、シゲの小説の得意技でもある。時制が行き来する『ピンクとグレー』『Burn.-バーン-』、複数の視点が併用される『閃光スクランブル』『オルタネート』、10年の時を跨いで物語がつながる『チュベローズで待ってる』などなど、いずれもこの手法がとられている(このあたりは角川文庫『Burn.-バーン-』の巻末解説に書いたので、興味のある方はそちらをお読みください)。

 意識的か否かはわからないがシゲの作品に「別の物語を交差させる」という手法が多いのは、アイドルと作家という「別の(ように見える)物語」がシゲの中にあることと無関係ではないように思われる。ふたつの自分がそれぞれに影響し合い、表現につながる。別の人生を歩む人が交差し、つながり、化学変化が起きる「連作」を自身が体現しているようにも見えるのだ。何より、シゲの知り得ないところで多くのファンが彼の歌を聞き、演技を見、小説を読むことで背中を押されたり癒やされたり元気をもらったり、そしてまた別の交流が生まれたりしているこの世界は、まさに「知らないところで生まれる人のつながり」そのものなのではないか。

 2月6日の朝日新聞の読書面に、私は『オルタネート』の書評を寄稿した。そこに「知名度先行ではないことを証明した」という言わずもがなの一文を入れた。だがこういう「言わずもがな」を本当に言う必要がなくなる日は、決して遠くはないと思っている。

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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