大矢博子の推し活読書クラブ
2021/03/31

黒田光輝・ヴァサイェガ渉主演「文豪少年!」古典文学とジャニーズJr.の意外な相性に驚き!

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 太陽が照らしてる方にどんなことがあってもGoingな皆さんこんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、なんともうってつけの番組が始まりましたよ。名作文学を現代風にアレンジした作品に少年忍者の面々が登場する「文豪少年!~ジャニーズJr.で名作を読み解いた~」だ!

■黒田光輝(少年忍者/ジャニーズJr.)・主演、豊田陸人(同)・出演!「文豪少年!#1 クモの糸」(2021年、WOWOW)

 ドラマの舞台はとあるブックカフェ。その店に入った客には、もう読む本が決められているという。けれど原作通りではなく、その客の心が反映された物語になるのだと──。第1回は黒田くん主演の「クモの糸」。原作は1918年(大正7年)に芥川龍之介が書いた児童文学「蜘蛛の糸」だ。

 生前の悪事で地獄に落とされたカンダタ。しかし彼は一度だけ蜘蛛を助けたことがあり、お釈迦様が哀れみをかけて天上から1一本の蜘蛛の糸を垂らした。これをつたって登れば極楽に行ける。喜んで登り始めたカンダタだったが、ふと下を見ると他の罪人たちもわらわらと登ってきている。これでは重みで糸が切れてしまうと焦ったカンダタは、「この蜘蛛の糸は己のものだぞ」「下りろ。下りろ」と喚いた。その途端、カンダタのいる場所から糸が切れ、カンダタはそのまま再び地獄の底へ──というのが原作の物語である。

 これをドラマでは少年刑務所の物語にしていた。受刑者の神田が猫に導かれて歩くと、塀から一本のロープがたらされている場所に出る。看守が言うには週に1度だけならこれを使って外に出られる、ただし寄り道をしたり時間内に戻ってこなかったりすると恐ろしいことが起きる──。神田は祖母に会うために抜け出たが、2回目以降、少しずつ気が緩んで……。

 蜘蛛出てこないじゃん!と思ったら猫の名前がクモだった。そして原作のお釈迦様に相当する看守の正体と物語のオチはなんともまあ実にゾクリとするもので、「世にも奇妙な物語」めいたドラマになっている。原作のラストは余韻に満ちた、虚しさと明るさが入り混じった名文なので、その違いをぜひ読み比べていただきたい。

 ところで、ジャニーズで少年刑務所といえばもちろんミュージカル「少年たち」だ。もとはジャニーズの大先輩・フォーリーブスによる舞台で、2010年に当時のJr.により四半世紀ぶりに復活し、以降、Jr.の登竜門として上演が続けられている。今回のドラマも「少年たち」を思い出しながら見ていたのだが──神田がつかまった猫のロープに他の少年たちが群がってきた場面を見た時、「これって……」と思った。その「これって……」は第2話「走れメロス」を見たとき、さらに強まったのである。


イラスト・タテノカズヒロ

■ヴァサイェガ渉(少年忍者/ジャニーズJr.)・主演!「文豪少年!#2 メロスを待つ男」(2021年、WOWOW)


『走れメロス』太宰治[著]
(新潮文庫他)

 原作は太宰治「走れメロス」。王に逆らって処刑されることになったメロスが、妹の結婚式を見届けるため3日の猶予を願い、その間、自分の代わりに親友のセリヌンティウスを人質として差し出すという話だ。逃げるに違いないと思われていたメロスは、増水した川や盗賊といった障害を乗り越え、刻限ギリギリに戻ってくる。この友情に感動した王はふたりを許し、それまでの自分を反省した──という有名な物語である。

 友情の素晴らしさ、約束を守ることや信じることの大切さを謳っているわけだが……これを読んだ全員が思ったろう。セリヌンティウスの貰い事故っぷりハンパない! メロスは勝手に怒って勝手に城に乗り込み勝手に捕まった上、何の相談もなく親友を人質に差し出したわけで、差し出す方も差し出す方なら、無言で受け入れる方も受け入れる方だ。セリヌンティウス、うっかり借金の連帯保証人になってしまうタイプである。イヤなときはイヤって言わなきゃダメだよセリヌンティウス!

 舞台を現代に置き換え大幅に脚色した第1話と違い、この回は原作通りのドラマ化だった。しかし主人公を変えた。牢の中でひたすらメロスを待ち続けるセリヌンティウスを主人公にしたのだ。これが見事だった! セリヌンティウスが「親友・メロス」をどう思っていたか、彼がなぜこんな無体な状況を受け入れたのかが描かれ、その解釈が本当に、震えがくるほど素晴らしかったのである。

 常に人々の注目を浴びるのはメロスで、誰もセリヌンティウスのことは見ない。けれどこの一件で、初めて自分の存在に人々が目を向けてくれた。そのことが自分でも意外なほど嬉しかったセリヌンティウスは、いつしかメロスが帰って来なければいいと思うようになる。自分が処刑されるとき、それは自分が主役になれる瞬間だからだ。しかしメロスは帰ってきてしまった。民衆はメロスを褒め称える。主役はメロスだ。メロス帰還の報を聞いたセリヌンティウスは、その場でがっくりと膝をつく……。

 なんという切ないドラマだろう。常に親友の陰になっていた男がようやく主役になれるのが死の瞬間で、それを待ち望むという設定だけでも悲しいのに、その望みすら断ち切られるのである。自分の中の暗い欲求に少しずつ自覚的になる渉くんの芝居も見事だった。この「走れメロス」は多くのパスティーシュやスピンオフ作品が作られているが、その中でも本編は群を抜いて優れていると感じた。孤独と自己承認欲求。まさしく現代の物語だ。特に緋色のマントを持つ少女の使い方の巧さときたら。

 このドラマのセリヌンティウスの感情の揺らぎを踏まえた上で、原作をもう一度読んでいただきたい。間に合ったメロスにセリヌンティウスが「私を殴れ」という場面も、それから彼が発した最後のひとことも、彼がどんな思いを押し殺してそれを口にしたのかを思うと、まったく違った光景がそこに浮かび上がるはずだ。第2話にして最高傑作来ちゃった!


イラスト・タテノカズヒロ

■カンダタとセリヌンティウスから見るジャニーズJr.

 さて、「クモの糸」で「これって……」と思い、「メロスを待つ男」でさらに強まった思いとは何か。それはこの2作がどちらもジャニーズJr.というグループの業(ごう)を表しているようだ、という思いである。

 Jr.に大きな注目が集まったのは90年代後半、いわゆる黄金期だ。それまでも光GENJIの後ろで踊るJr.(木村くんや中居くんがいた)に注目するような青田買いファンはもちろんいたが、あの黄金期のJr.人気はそれまでとは確実に違っていた。デビュー前のJr.が冠番組を持ち、ドームツアーをする。80年代までにはなかったことだ。今や「Jr.担」は珍しくない。デビューしたグループのファンになるのではなく、推しているグループがデビューするのを待つのが当たり前になってきた。

 だが、大勢のJr.の中からユニットに選ばれ、さらにそこからデビューに漕ぎ着けるまでの過程には、多くの「選ばれない」人々がいるという厳しい現実がある。また、デビュー前のJr.内ユニットはメンバーの入れ替わりも少なくない。後から入ってきたメンバーが先にデビューするなど日常茶飯事だ。

 そこに競争がないはずがない。もちろん彼らはともに手を携えて進む仲間ではあるけれど、大所帯の中からひとりがドラマに出演したり、誰かがバラエティでレギュラーになったり、誰かがセンターに抜擢されたりするたびに、それを祝福し応援する気持ちとともに「自分でありたかった」「次は自分が」という思いも当然あるだろう。カンダタの「この糸は己のものだ、下りろ」というエゴも、セリヌンティウスの「いつもメロスばかり」という嫉妬も、きっと彼らの中にある。だって、そういう世界なのだから。

 この「文豪少年!」の告知を見たとき、なぜ少年忍者なんだろう、と思った。けれどこの第1話、2話を見た時、Jr.だからこそ伝わるテーマなのだと腑に落ちた。これらは、彼らがこの世界にいる以上ずっと戦い続けなければならない〈自分の中の敵〉を描いた物語なのだ。そしてステージで彼らが見せてくれる笑顔は、エゴや嫉妬を乗り越える強さとプロ魂の証明なのだ、とあらためて感じさせてくれたのである。そりゃもう、応援したくなるってもんでしょ!

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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