大矢博子の推し活読書クラブ
2022/08/31

高橋海人出演「アキラとあきら」原作は必読! 映画では描かれなかった登場人物の背景と葛藤を味わう

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 知りたい君の全てにkissをする皆さんこんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は海人くんが池井戸作品に初挑戦したこの映画だ!

■高橋海人(King&Prince)・出演!「アキラとあきら」(2022年、東宝)

 原作は池井戸潤の同名小説『アキラとあきら』(徳間文庫/集英社文庫)。倒産してしまった町工場の息子、山崎瑛(アキラ)と、大企業である東海グループの御曹司・階堂彬(あきら)──生まれも育ちもまったく異なるふたりがともに産業中央銀行に入行し、同期の中でも図抜けた実力で頭角を現した。しかし東海グループでお家騒動が勃発し、破綻の危機に。バンカーとして、息子として、それぞれの立場からアキラとあきらはグループを救う方法を摸索する……。

 というのが原作・映画両方に共通する設定である。タイトルだけ見て、あるいは貧乏育ちのアキラと金持ちの息子のあきらの話だと聞いいて、これはもうマーク・トウェインの「王子と乞食」的な、あるいは「転校生」的な、「ぼくたち、入れ替わってる~~?」てな話を想像したのは私だけではないよね? 著者には『民王』という入れ替わりモノがあるしさ。

 でも今回は入れ替わりません。銀行だ倒産だ倍返しだ(いやここでは倍返しはしないけど)の池井戸作品ですよ。ある意味お馴染みの、ある意味安定の設定。環境の違うふたりの青年がそれぞれの決意と宿命を背負いながら企業再建のために努力するという骨子は原作も映画も同じで、その展開も、編み出した逆転の一策も、その結末も、おおまかには原作通り。原作には登場しないアキラの左遷や、土下座と感動的和解場面が加えられたが、ストーリーの流れ自体に改編はない。

 改編はないんだけど、じゃあまるっと原作通りかというと、そうじゃないんだな。私の手元にある徳間文庫版は700ページを超えるボリューム。文庫が自立するレベルだ。集英社文庫では上下巻に分かれている。つまりそれだけの長大な小説であり、すべてを2時間の映画にするなんて到底無理な話で、映画では原作を大幅にカットしているのだ。

 企業売買の戦略のディテールだったり、東海グループの叔父たちの抵抗や反応であったり、東海グループが直面した危機の数々であったりという部分もかなり簡略化されているが、それだけではない。この映画を見た人は、「半沢直樹」に代表されるこれまでの池井戸作品の流れを汲む、いかにも池井戸潤らしい作品だと思ったのではないだろうか。けれど原作の印象は逆だ。原作を読んだとき、池井戸潤には珍しい手法だなあと私は感じた。映画化にあたり大きくカットされた部分こそ、この原作小説が従来の池井戸企業ものと一線を画す、本書最大の特徴なのである。

 その特徴とは何か。これはふたりの主人公を30年の時の流れの中で描く、ロングスパンの成長小説であり青春小説であり社会史小説なのだ。


イラスト・タテノカズヒロ

 

■原作に描かれた彼らの子ども時代を堪能せよ

 映画ではふたりは2000年に産業中央銀行に入行し、リーマンショックの直撃で東海グループのホテル事業が暗礁に乗り上げたという構成になっていたが(映画にスマホは登場せず、みんなガラケーを使ってたよね)、原作の舞台はそれより20年以上前。ふたりが入行したのはバブル期で、バブル崩壊でリゾートマンションの経営が破綻する。遡れば、主人公ふたりは1960年代前半の生まれだ。ジャニーズならたのきん世代よ。

 原作はふたりが小学校5年生の頃から始まる。1970年代の前半である。そこから2000年代前半までの30年が小説では描かれる。70年代、家業を手伝う子どもの様子や親戚同士で助け合う様子。バスには車掌さんがいて、子ども料金は20円。カーラジオから流れる「よこまは・たそがれ」。商店街の子どもたちの連帯感、都会からの転校生、「ドカベン」の話題で盛り上がる野球部……著者はアキラの子ども時代~高校生時代を丹念に描く。バブルで圧倒的売り手市場の就活状況も、銀行がイケイケドンドンだった風景も、当時ならではだ。

 映画にも子ども時代の回想はあったが、それはあくまでも「今のアキラ」の背景としての回想だった。けれど原作はその部分だけ取り出しても一編の小説として成立するくらい、ひとりの少年が何を失い、何を得て、どう変わっていったかが描かれるのだ。飼い犬のチビを巡るエピソードなんて泣けることこの上ない。これはあきらの方も同じで、御曹司に生まれた彼が幼い頃から何に向き合ってきたか、階堂家という特異な一族のパワーバランスがどうだったかがつぶさに描かれている。

 ふたりが銀行に入り、研修として企業融資プログラムで対決する場面は映画序盤の大きな見せ場だが、原作であの場面が登場するのは、徳間文庫版では300ページあたり。全700ページの中の300ページだから、どれほど「それ以前」が描き込まれていたかわかるだろう。

 子ども時代がカットされたため、アキラのパートで映画には登場しなかった人物がふたりいる。ひとりは、高校時代に転校生としてやってきた女の子。彼女の父親はアキラに商売の競争原理を教えてくれた人で、アキラの後の人生にも名前が出てくる。もうひとりは商店街の布団屋の息子、通称ガシャポン。アキラの子ども時代を彩る友人であるとともに、意外な形で後半に再登場するのだが、その部分も映画ではカットされていた(いい場面なのに!)。

 この女の子とガシャポンの存在は、アキラというひとりの青年の「積み重ね」の象徴だ。あきらもまた然り。何を考えて階堂家を出る決意をしたのか、そこにいたる道筋が丁寧に綴られる。本書はエキサイティングな企業小説であることは間違いないが、ぜひ原作で、カットされたこれらの「来し方」を味わってほしい。

■海人くん演じる龍馬の苦悩も、原作にはたっぷり!

 さて、海人くんである。海人くん演じる龍馬はあきらの弟、つまり東海グループの「御曹司の弟」という立場で、家を出て銀行に就職した兄と違い、グループに入って将来の経営者修業を始める。しかし現社長である父の急逝と叔父ふたりの暗躍で20代で社長となり、裏付けのない自信とプライドに振り回されて経営を傾けてしまう役どころだ。

 龍馬の子ども時代も原作には登場する。「幼い頃から兄と比べられて育ったせいか、彬に対する龍馬の対抗意識には根深いものがある」というのは映画でも再現されていたが、原作ではさらに龍馬の性格について「得意なことは、彬がとてもかなわないほどの能力を発揮するが、ときに誰もやらないようなへまをやらかす」「何かに熱中すると、肝心なことまで頭から抜けてしまうところが、龍馬にはあった」とある。そんな子が長じて社長になるのだから、そりゃあぶなっかしいわなあ、となるわけだ。

 原作ではその龍馬の社長っぷりが、映画の何倍ものボリュームで描かれる。調子に乗っちゃうところもあるが、会社の実態を知って焦ったり、けれど負けを認めたくなくて足掻いて、誤魔化そうとして、相談したくとも信頼できる側近もいなくて、誰かのせいにしたくて、でも責任を転嫁できる相手もおらず、次第に追い詰められていく龍馬。海人くん担の皆さん、ぜひこのくだりは原作で読んで! 龍馬の視点で描かれているので、彼の焦りと悩みがダイレクトに伝わるぞ。

 だからこそ、糸が切れてしまったあとの龍馬が切ないのよ。誰のせいかといえば叔父たちのせいなんだけど、自分が利用されていることに気づけなかったというのはまごうかたなき本人のせい。倒れて、入院して、初めて兄に対して素直になり、泣きながら「悔しいよ」「オレには、無理なんだ」と告げる。この場面は映画にもあったけど、原作でそれまでの苦悩を読むと、さらに胸に迫ること請け合いだ。

 龍馬にとって東海グループの経営にかかわるのは既定路線。だが敷かれたレールの上を走るのは楽そうに見えて、その恵まれた環境に見合った成果を要求されるということでもある。ここまでお膳立てされてるんだから失敗は許されないというプレッシャー。キンプリをはじめ、鳴り物入りでデビューした面々は皆、売れて当たり前というプレッシャーにさらされているんだろうな、なんてことを思いながら、スクリーンの海人くんを見ていたのだった。

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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