大矢博子の推し活読書クラブ
2022/12/21

二宮和也主演「ラーゲリより愛を込めて」映画化された感動の実話「僕から見方を提案することはない」ニノの姿勢に納得!

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 街に愛の歌流れはじめたら寄り添い合う皆さんと、一年中の愛を込めて告白する皆さん、こんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回はクリスマスムードも吹き飛ばすシビアな歴史を描いたこの映画だ!

■二宮和也(嵐)・主演、中島健人(Sexy Zone)・出演!「ラーゲリより愛を込めて」(東宝・2022)

 いや泣いたわー。これから観に行く皆さん、ハンカチはもちろん持ってるだろうけど、マスクの替えも忘れないように。不織布にいろんなものが染み込んで使用不能よ、もう。

 何が衝撃って、主人公の山本さんを巡るあれこれが実話ってことですよ。原作は1989年に刊行された辺見じゅんのノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)。第2次世界大戦終了後、9年の長きに亘ってシベリアの捕虜収容所に抑留され、そのまま日本に帰ることなく病で亡くなった山本幡男さんを、周囲の人の証言をもとに描いた作品だ。

 山本さんは明治41年、島根県に生まれた。東京外国語学校(現東京外語大)でロシア語を学び、南満州鉄道に就職し、そこで徴兵される。収容所ではソ連兵との通訳も務めるほどの語学力だった。極寒の中での強制労働など捕虜の生活は実に過酷だったが、そんな中、山本さんは「日本語を忘れないために」「帰国への希望を忘れないように」と万葉集を教えたり句会を開いたり、こっそり文芸誌を作って回し読みさせたりする。そうして山本さんは、なかなか帰国できない捕虜たちの精神的支柱になっていった。

 しかしそんな山本さんを病が襲う。いよいよダメだとなったとき、仲間たちは山本さんに家族への遺書を書くことを勧めた。だが収容所内では「日本語を書き残す」ことはスパイ容疑と見なされ厳しく禁じられている。書いてあるものが見つかれば即座に没収され、厳罰が待っている。仲間たちが分担して隠し持っていた山本さんの遺書やその写しも、結局見つかり、奪われてしまった。しかし仲間たちは帰国後、驚くべき方法で、日本の遺族に山本さんの遺書を届けたのだった──。

 このノンフィクションが刊行された当時には大きな話題となり、「遺書を届けた方法」もすでに有名ではあるが、映画では終盤まで伏せられているのでここにも書かないでおく。なお、映画では仲間たちが自発的にそれを行ったようになっていたが、原作によると山本さん自身がその方法を頼んだとのこと。こんなとんでもないこと、頼む方も頼む方なら、やり遂げる方もやり遂げる方だ。とにもかくにも圧巻である。


イラスト・タテノカズヒロ

■ノンフィクションを映画にするということ

 この実話を映画にするにあたり、〈物語〉として観やすいようにさまざまな改変や創作が加えられていた。最も大きな違いは山本さん以外の捕虜たち。映画の松田研三(松坂桃李)、相沢光男(桐谷健太)、原幸彦(安田顕)、新谷健雄(中島健人)は皆、映画オリジナルのキャラクターだ。したがって、それぞれが持つトラウマや事情も映画だけの話で、原作には出てこない。事実のまま登場するのは山本さんと犬のクロだけである。クロのエピソードはぜんぶ実話なのよすごくない?

 だが「じゃああの捕虜たちはフィクションか」とは思わないように。多くの捕虜たちのさまざまなエピソードの集合体としてこの4人は存在するのだ。民間人なのに収容された人もいるというエピソードがケンティー演じる新谷に仮託されたように、それぞれ戦争で傷を負った人の象徴として彼らは誕生した。そんな彼らに山本さんはどう接したか、絶望の中で彼らを支えたものは何だったのか──それこそがこの物語のテーマなのである。

 実はこのノンフィクションを映画にすると聞いて、ひとつ気になったことがあった。原作はすでに終戦から40年以上経ってから取材が始まり、山本さんを知る人々の証言で構成されている。つまり、この時点で亡くなっている山本さん自身の内面や思考や感情は原作には一切出てこないのである。そこにあるのは「周囲の人が見た山本幡男」と「その影響」だけなのだ。

 けれど映画の主人公として山本幡男を出演させる以上、そこには彼の肉声を、思いを、描くことになるだろう。それはともすれば、山本幡男さんという実在の人物に後世の人間の解釈で勝手に色をつけてしまうことになるのではないか──。しかしその心配は杞憂だった。驚いた。確かにニノが演じる山本さんは肉体を持ってそこにいたが、その立ち位置は原作同様、他の人に影響を与える「触媒」だったから。

 パンフレットのインタビューによると、ニノは「山本を見られないのは僕だけだから。映画でも松田、相沢、原、新谷などの第三者が山本を客観的に見て『こういう人だった』と言うわけじゃないですか」と語っている。そして山本という人物について「僕からその見方を提案することはない」とも。うわあ、そうなんだよ、完璧だ!と何度も頷いてしまった。この一点において、たとえ他にどれほどエピソードが創作・改変されようと、この映画は原作にとても真摯なものであると言っていい。


ノベライズ:辺見じゅん・林民夫『ラーゲリより愛を込めて』(文春文庫)

■生きる糧になった「文化を楽しむ力」

 映画の物語を再度味わいたい人には、脚本家の林民夫氏による映画ノベライズの『ラーゲリより愛を込めて』(文春文庫)がオススメだ。ノベライズだけあって映画のストーリーやセリフを忠実になぞっており、これを読めばその場面が浮かび上がること請け合い。編集でカットされたと思しき場面もある。

 映画は原作のエピソードを取捨選択した上で再構成しているので、ノベライズと読み比べると、「この場面は原作のここからとったのか」「映画のあの場面の続きにはこんなことがあったのか」というのが見えて実に興味深い。落とされたエピソードも膨大なので、原作でラーゲリのリアルや当時の社会情勢を補完してほしい。いや、辛いんだけどね。

 そんな中、数少ない楽しい場面として「ああっ、ここはニノで観たかった!」というエピソードが原作にある。捕虜の映画鑑賞会だ。ロシア語に堪能な山本さんが登場人物のセリフを同時通訳するんだが、そのとき、東北弁と関西弁で会話させたり、フィルムが切れたら軽妙なトークでつないだりして捕虜たちを笑わせていたという。すごくない? これニノで見たかったなー。

 そしてこれこそが、山本さんが捕虜たちに与えた生きる力なのだと思う。映画では彼の人間的な大きさ・清廉さが前面に出ていたが、原作では俳句や小説、映画、スポーツといった「文化を楽しむ力」が確実に捕虜たちの支えになっていった様子が詳しく描かれている。山本さんが立ち上げた句会は、彼の死後、最後の引揚者たちによって帰国の船の中でも開催されたくらいなんだから。彼らの想像を絶する過酷な歳月と私たちの娯楽を並べるのは適切ではないだろうけど、〈推し〉が支えになっている私たちには、その気持ちは想像できるんじゃないかな。

 ケンティーについても書いておかねば。私がこの映画を見て最初に泣いたのは悲劇的なシーンではなく、ケンティー演じる新谷が魚を獲る場面だった。にこやかに「俺は戦争に行っておりません」「漁をしてたら捕まってしまって」と語る場面だった。そこであなたは笑うのか、と。そこまでどんなに辛い場面でも涙は出なかったのに、新谷の屈託のなさに涙腺が決壊したのだ。

 新谷は原作には出てこないオリジナルキャラだが、間違いで収容所に入れられた読み書きのできない青年が、文字を覚え、俳句を覚え、犬とたわむれ、笑顔で周囲を明るくする。そして最終的にあそこまでになるというのは、この原作ノンフィクションが伝えたかった「文化の力」の象徴であり、山本さんが残した未来への希望の光なのだ。きっと山本さんの周りには多くの新谷がいたことだろうと思わせる。そんな、先輩から引き継いで成長する後輩をニノとケンティーが演じてくれたことがとても嬉しい。

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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