大矢博子の推し活読書クラブ
2019/06/26

岡田准一主演「白い巨塔」原作からカットされたあのシーンが「めちゃめちゃ面白い」

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 ある日願いが叶った皆さんこんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回はこれまで何度も映像化された名作に岡田くんが挑戦したこのドラマでおま!

■岡田准一(V6)主演、向井康二(Snow Man)出演!「白い巨塔」(2019年、テレビ朝日)

 原作は山崎豊子の同名小説『白い巨塔』(新潮文庫)。浪速大学医学部を舞台に、どんな手を使ってでも出世を目指す権力志向の財前五郎と、研究一途の里見脩二というふたりの医者を通して、医学界の問題を抉った社会派小説である。執筆されたのは1960年代。その後何度も映像化された、医学界小説の金字塔だ。

 現在は文庫で全5巻という構成になっているが、実はもともとは3巻までで終わっていた。財前が医療ミス裁判の第一審に勝ち、里見が大学を去る、というくだりまでである。今回のドラマでいえば第4話まで。つまり金と権力と謀略の前に正義が敗北する、という話だったわけだ。ところが多くの読者から「小説といえども、社会的反響を考えて、作者はもっと社会的責任をもった結末にすべきであった」という声が寄せられる(新潮文庫第5巻あとがきより)。ありていに言えば「救いがないにもホドがある!」ってことだ。うん、確かに。

 それであらためて『続 白い巨塔』を雑誌連載し、単行本として上梓。のちに正編を1~3巻、続編を4・5巻として現在の文庫の形になった。正編では医学界の腐敗を描き、続編では命に向き合うとはどういうことか、医者はいかにあるべきかというテーマになっている。

 これまで何度も映像化されてきたと書いたが、1966年の田宮二郎主演映画と、1967年の佐藤慶主演ドラマは、正編のみを原作としている。続編まで含めての初の映像化は、伝説となっている1978年の田宮二郎主演ドラマだ。その後、村上弘明版(1990年、テレビ朝日・全2回)、唐沢寿明版(2003年、フジテレビ・全21回)が放映された。

 映像作品はいずれも、舞台を放送時点の年代に置き換え、その時代の医療水準に併せて登場する病気やその治療法、財前の専門分野などを変えているのが特徴だ。だが医学的な変更はあっても、物語そのものはどれも実に原作に忠実。同じ昭和30年代に書かれた松本清張『砂の器』の映像化が時代ごとに大きく改変されたのに対し(中居正広版とヒガシ&ケンティ版を取り上げた回を参照のこと)、本書はほぼそのままのストーリーで現代に通用する。なぜそんなことが可能なのか。


イラスト・タテノカズヒロ

■半世紀前の原作が何度もドラマ化できる理由

 財前が悪役なのは、卑怯な手でライバルを蹴落とすからではない。「医者が患者を見ていない」からだ。半世紀前の作品が現代でも通用する理由はここにある。社会のための職に就いた人が、金や権力や保身のために本来守るべき信義を簡単に捨てる、むしろ弱者を踏みつける構図は、いつの世も存在する。患者を見ない医者、国民を見ない政治家、消費者を見ない企業、真実を見ないメディア。逆らう声は封じられ、泣き寝入りを強いられる。そんな話はごろごろある。

 ドラマを見て、原作を読んで、あなたは「医学界って怖いなあ」と思っただろうか? むしろ「舞台は医学界だけど、他の世界でも同じことはあるよなあ」と感じたのではないだろうか。『白い巨塔』が時代を超えて読み継がれるのは、そんな不変の人間の業と社会の姿を描いているからに他ならない。だから物語を改変する必要がないのである。

 とはいえもちろん、前述したように医療技術については時代ごとに変えられているし、生活描写も1960年代のままではない。原作小説を読むと身長や体重の描写には尺貫法が用いられ(財前は五尺六寸=約170センチ)、1ドルは360円だ。財前の舅がばらまく賄賂の金額は、今の感覚に合わせるなら脳内で10倍に変換するといい。また、ドラマでは病名を患者に告知していたが、それはインフォームド・コンセントが一般化した現代だからこそで、原作の時代には決して患者に伝えなかった。これが今回のドラマと原作の終盤の描き方の違いにつながっている。

 そういうところに注目して原作を読むと、まるで昭和の時代小説を読んでいるようでとても興味深い。だがもうひとつ、ぜひとも原作を読んでほしい理由がある。今回のドラマ化で大幅にカットされた法廷劇が、原作ではめちゃくちゃ面白いのだ。『白い巨塔』は社会派小説であるとともに、実によくてきたリーガルサスペンスなのである。意外なところに証拠となるものが隠されていたり(ドラマの「証拠」は原作と異なる)、思いもしなかった観点からの証言があったり。特に鑑定合戦はドラマでは全く出てこなかったので、ぜひ原作でご確認を。

 それにしても、続編は予定外だったはずなのに、正編の描写がちゃんと伏線になっているからビックリする。自分で書いた作品の結末をひっくり返すはめになり、その手がかりを自著の中から懸命に探す様子を想像すると、なんだか少し微笑ましいぞ。

■岡田くんは「悪い顔」を演らせたらジャニーズ随一だ!

 いやあ、しかし岡田くん、悪いヤツだったねえ(喜)! そもそも『白い巨塔』の、特に正編部分は悪いやつばっかり出てくるわけで、名だたる名優たちがこぞって「誰がいちばん悪い顔ができるか選手権」をやっているようなものである。もう右も左も悪い悪い。そんな中で、父を医療ミスで亡くした青年を演じたSnow Manの向井康二くん、よく頑張った……怖かったろうに……中でも岡田先輩の「悪い顔」がいちばん怖かったろうに……。

 特に印象的だったのは、財前が部下の医者・柳原にカルテの改竄を迫る場面だ。笑いながら迫るんだよ! でも目が笑ってないんだよ! こわいよーーー! あの怖い笑顔、どっかで見た……と思って気がついた。「軍師官兵衛」で織田信長が死んだと聞いて嘆く秀吉に、好機到来とばかりに笑いながら詰め寄る官兵衛の顔だ。財前から溢れ出る黒田官兵衛み……。あれがV6に戻るとばりばりの末っ子で、枚方に戻ると超ひらパー兄さんになるの、ほんとすごいと思うの。

 原作の財前は、ドラマよりもっと悪い。映像化された財前は最後に人間らしいところを見せて荘厳なヒューマンドラマに昇華されがちなのだが、原作ではそこまでの変化はない。親子の情や愛人への思慕がわかる場面もない。残す手紙の内容ももっと事務的だ。「本当はいい人なんだよね」でも「悪人が見せる寂しさにキュン」でもなく、最後まで「懲りねえやつだな!」という感じで、感動というよりも、ずしっとした重さが残るのだ。うん、それがドラマと原作のいちばん大きな違いかも。原作を読むと、ダーク岡田を10割増しで楽しめるよ。

 ただ原作でも、財前の中に改心の種らしきものが蒔かれる場面がある。ドラマではカットされていたが、ドイツでアウシュビッツを、日本で黒部第四ダムを見学する場面だ。命について財前が少しだけ考える。あくまでも少しだけ。そして死を前にしたとき、その記憶が財前の中に残っていたことがほのめかされる。山崎豊子の小説は決して親切ではない。わかりやすいカタルシスは与えない。だが読者が考える材料だけはたっぷりくれる。だから受け止める側も、しっかり考えなくてはならない。財前は最後に反省したのだろうか。それとも変わらないまま「勧善懲悪」としての結末だったのだろうか。原作を読んで、ぜひ考えてみていただきたい。

 最後に本編と直接関係のない感想をふたつ。医者の役では岡田くんご自慢の格闘技術は使いどころがないねえ、と思っていたらまさかのラブシーンで格闘術が大活躍したのには笑った。そしてもうひとつ、冒頭にテロップで入る脚本家チームの名前の「本村拓哉」に毎回ビクッとしてたの、私だけじゃなかったよね? ね?

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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