大矢博子の推し活読書クラブ
2019/11/13

重岡大毅出演「殿、利息でござる!」歴史ノンフィクションが見事なエンタメに!

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 ゴールまでの長い距離に一歩踏み出す皆さん、こんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は「これは経費で落ちません!」で注目が集まったしげ出演の、この時代劇映画でござる!

■重岡大毅(ジャニーズWEST)・出演!「殿、利息でござる!」(2016年、松竹)

「殿、利息でござる!」は今から250年ほど前、江戸時代中期の仙台藩・吉岡宿が舞台。藩からの労役が重く貧しさに喘ぐこの宿場町は、起死回生の一策として「金を集め、藩に貸し付けて、その利子を毎年もらうことで住民を助ける」という計画を立てた。集める金額は、今の価値にしておよそ3億円。夢物語のようなこの計画を、知恵と工夫と決死の覚悟で実現させ、地域を立て直した「実在の人々」を映画にしたものである。

 原作は小説や漫画ではなく、磯田道史「穀田屋十三郎」(文春文庫『無私の日本人』所収)という評伝である。評伝とは人物評を交えた伝記のこと。つまりノンフィクションだ。史実の上にフィクションや脚色を重ねて「物語」として構成された小説とは異なり、あくまでも史実(史料)に著者の解釈や批評を加えたもの。「こんな人がいた」ということを伝え、その人物の功績と意義を今の世に問うジャンルである。

 だから決して「読者を楽しませる」のが目的の娯楽作品ではないのだが、いやあ、これがすごい。「こんな人たちが本当にいたのか」「こんな出来事が本当にあったのか」という驚きに満ちていて、まさに事実は小説より奇なり。「これが事実だ」という驚きこそが歴史読み物の醍醐味だ。ケチで評判だった人物が実は……というくだりなど、良質なミステリを読んでいるかのようなサプライズがあった。

 あまりにもよくできた話で、むしろこれが小説だとしたら「きれいごとすぎる」「うまくいきすぎる」「リアリティがない」と批判されるような内容なのである。だって、自分の暮らしを潰しても町のため次代のために財産をなげうつんだよ? 何の見返りもないんだよ? そんなことできる? ──でも事実だからぐうの音も出ない。

 だが、これを映画にするとなると……。「きれいごとすぎる」「うまくいきすぎる」「リアリティがない」と思われかねないほどの強烈な「事実」に、どうリアリティを持たせるか。そしてさらに「観客を楽しませる」ことも考えなくてはならないわけで、そこに「事実の物語化」が必要になる。実話であるというベースを変えずにエンタメ作品に仕上げる、その脚色の工夫が本編の見どころだ。


イラスト・タテノカズヒロ

■評伝「穀田屋十三郎」、しげ担の注目ポイントは

 映画を見て驚いたのは、この評伝をコメディ仕立てにしたことだ。まず、阿部サダヲ演じる穀田屋十三郎を中心に、金集めに奔走する宿場町の人々の悪戦苦闘が描かれる。そこに登場する人物に、映画オリジナルの性格をつけた。

 思いつきの計画に賛同者が集まったことで逆にうろたえる発案者。儲け話だと思って参加したら見返りなしと聞いて慌てて取りやめる強欲者。女性にいい格好したくて金を出すお調子者。多額の金を出した者に対し、引け目と僻みから「足並みが揃わぬ」と揶揄する者。もちろん原作でも、その行為から人物像は透けて見える。けれどそれを「キャラ」として前面に出したことで、登場人物が一気に「人間臭く」なった。

 評伝はあくまでも史実・史料に則って書くものなので、著者の考えや解釈が入ることはあっても、登場人物のキャラクターをエンタメ方向に「創作する」ことはしない。だが映画ではそこに大きく手を加えたのだ。その最たる例が、しげが演じた穀田屋音右衛門である。阿部サダヲ演じる主人公・穀田屋十三郎の息子だ。ちなみに娘を岩田華怜が演じている。父親がグループ魂、息子がジャニーズ、娘が元AKB。すごいなこの家族!

 閑話休題。映画での音右衛門は、身銭を切って町を救おうとする父に反発する。登場するやいなや開口一番「父上、私はまだ納得がいきません」と言い放ち、「少しはうちの者の身にもなってください」「(この家ではなく)浅野屋(父の生家)に生まれれば良かった」と父親を否定する。つまりは、嫌な奴、なのである。「ストロベリーナイト・サーガ」や「これは経費で落ちません!」での、笑顔全開・子犬のような可愛さ炸裂のしげしか知らない人が見たら、イメージとの違いに驚くだろう。

 原作ではむしろ逆。実際の音右衛門と十三郎は養子のため血が繋がっておらず、もともとあまり親しい親子ではなかった。ところが十三郎の計画を聞いた音右衛門はその話に感じ入る。「はじめて、お心のうちをうかがいました。親父さまは、そんなにも気苦労を重ねておられたのですね。尊いおこころざしだと思います」と、最初から積極的に協力する。めちゃくちゃいい子なのである。原作の方がしげのイメージに近いかもしれない。

■しげの音右衛門に見る、ノンフィクションをエンタメにする方法

 映画でのしげの出番は、はっきり言って少ない。すべて合わせても3分程度ではないだろうか。原作では、途中である店に手伝いに行くくだりがあるのだが、そこが映画ではカットされており「あら、もともと少ない出番なのに、見せ場がさらになくなっちゃった?」と思った。

 ところがカットされたと思っていたくだりが、映画の終盤に登場するのだ。そしてそれが行き詰っていた計画の最後の突破口になる。父に反発した息子が最後に変化し、それが町を救うというのは映画オリジナルの脚色だ。だが、やや順序は異なるものの、隔てのあった親子の仲がこの計画を機に近くなるという大枠の流れは、変わっていないのである。

 原作ではいい子だった息子を反抗的に描くことで物語にメリハリとリアリティを出し、最後に逆転してみせることでエンタメとしての盛り上がりを演出する。だがベースはすべて原作にある。つまりこの映画は、原作のキャラを膨らませ、オリジナルのエピソードを加えたように見せて、実は原作のエピソードを再構築することでエンタメの構造に作り変えているのである。うーん、この手があったか。

 映画はコメディとしてとても楽しく、笑えて、そして途中からは感動の嵐でひたすら泣ける。それは我が身を犠牲にして町を救おうとした「無私」の人々への感動である。何より、こんな画期的な出来事が今まで世に発表されなかったのは、ひとえに「自慢しちゃいけないから黙ってる」という控えめこの上ない「無私」の心によるものだというのがすごいじゃないか。そしてその感動を描くため、映画は原作のある視点を意図的にカットした。それは著者の磯田道史氏がこの評伝に込めた、「施政者のあり方」の部分だ。

 なぜ無辜の民が施政者のために苦しまねばならないのか。施政者と民の間に位置する身分の者は、どちらを向いて仕事をするべきなのか。公(おおやけ)が庶民の暮らしを守れなくなったとき、人々はどう生きればいいのか。そういった現代に通じる政治のあり方を、本書は問いかけてくる。当時の大名という施政者がどのようなものか、藩という組織の経済はどのように成り立っていたのか、原作ではそこがわかりやすく説明されている。原作を読めば、本書は「社会の仕組み」を相手に戦った、逆転Winnerたちの物語であることがさらによくわかるはずだ。(「逆転Winner」の歌詞はこの物語にぴったりなのでBGMに推奨!)。

 同じ中村義洋監督による歴史ノンフィクションのエンタメ映像化が、今月下旬公開予定の「決算!忠臣蔵」(松竹)である。横山裕(関ジャニ∞)が出演するとあって、楽しみにしているファンも多いはず。原作は赤穂事件を金銭出納の面から調べた歴史ルポルタージュ『「忠臣蔵」の決算書』(山本博文著・新潮新書)だ。ということで次回はもちろん、「決算!忠臣蔵」でござる!

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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