小橋めぐみ 性とか愛とか
2025/06/16

「まるで私が手のひらを舐められたかのように…」小橋めぐみがずっとドキドキした“文学でしか味わえない官能性”を描く作品とは(書評)

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

小橋めぐみ・評『ダブル・ファンタジー(上下)』村山由佳[著]

 小説に官能的なシーンが出てくると、居心地が悪くなることが度々ある。「ああ、始まった……」と思ってしまう。気恥ずかしい。のめり込めない。どうしても文学性を味わうまでに至らないことが多かった。

 本作は、細かく仕事に口出しする夫の元を飛び出た35歳の脚本家・高遠奈津が巡り合う多様な官能を描く。 彼女と関係を持つのは、タイプの違う男たち。奈津にとって雲の上のような存在である異能の演出家で56歳の志澤。演劇サークルの先輩で年齢も近い編集者の岩井。年下ながら才能の片鱗を覗かせる役者の大林。 

 他にも、一夜だけの男が二人。夫との場面もある。

 相手が変わればセックスも変わるだろうが、それにしても描き分けが凄まじく、恐ろしいほどだ。

 志澤は支配的で圧倒的。奈津の中で快感は何度も小爆発を繰り返し、脳と心と躯がかわるがわる、無限に達し続ける。「世の中の女性たちはみんな、こんなすさまじい快楽をふつうに味わっているのだろうか」と思う奈津。魂までも捧げるような性愛の極みを味わうが、その関係は志澤のほうから断たれてしまう。

 己の性欲を持て余す奈津を救ってくれたのが、志澤とは何もかも正反対のように映る岩井だ。「植物みたいでぜんぜん性別を」感じさせず、「臆病さと背中合わせの無器用さや優しさ」がある彼は、肉欲や官能とは縁遠そうだ。しかし、奈津の全てを受け入れて「ほとんどの男がおざなりに済ませる種類のことに(略)信じられないほど長い時間」を費やす彼との間で、新たな性の扉が開かれる。中でも驚いた岩井の行為がある。

「濡れた舌がちろりと這い出ては、奈津のてのひらの皺を一本ずつなぞる。感情線を、横に。運命線を、斜めに。生命線を下までゆっくりとたどっていって、手首の内側をねぶる」

 まるで私が手のひらを舐められたかのように感情が揺さぶられた。生命が満たされるような、文学でしか味わえない官能性が本作にはある。さらに大林によっても奈津はまた、違った性の高みへと連れて行かれる。

 読んでいて、ずっとドキドキした。でも哀しくもある。性愛の物語を読む悦びを知った一方で思ったのだ。

 官能の果てには物語の中でしか辿り着けないのかと。

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

連載記事