小橋めぐみ 性とか愛とか
2025/06/27

「いちばん勇敢で絶望的な痴漢になってやろう」ノーベル賞作家・大江健三郎の作品に「小橋めぐみ」ドン引き…それでも惹きつけられた終盤を語る(書評)

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 二部構成の中編小説である本作「性的人間」(大江健三郎・著)は、後半で「永いあいだかかってひとつの凄い詩を書こうとしている」詩人の少年が登場する。少年曰くそれは「嵐のような詩」で、書く前から「厳粛な綱渡り」というタイトルまで決める熱の入れよう。問題は「痴漢」をテーマにしていること。少年は「その詩をもっと凄くするために」「いちばん勇敢で絶望的な痴漢になってやろう」と、罪となる行為を実行に移す。

 思い出したのはいつかの夜、ドラマのロケ先の部屋で一人、手にした包丁を見つめた時のことだ。私は犯人役で、次の日に包丁で人を刺し殺すシーンの撮影があった。人を殺す気持ちがどうしても分からなかった。体感として殺意を抱くにはほど遠い。どう演じたかより、結局記憶に残るのは、あの夜に去来した思いだ。

 想像して表現することが当たり前の世界にいるからか、詩人の少年を最初は浅はかに感じた。こんなことを豪語する人間が、凄い詩を書けるのだろうかと。

 少年には仲間がいる。青年「J」と「老人」だ。Jと老人も同じく痴漢で、それぞれが捕まりそうになるなど窮地に陥った時に助け合うという、いわば相互扶助の関係を結んでいる。

 乗客の少ない電車の中で大胆に痴漢行為に及んだ少年に対し、彼らが、痴漢をするなら満員電車の中で控えめにやったほうがいいと注意を促すと、少年は「発見され処罰されることを」恐れてはいても、同時に、その危険な感覚がないと快楽は薄まると言い切る。

 安全の中での試みでは、革命的な意味が帳消しになってしまうというわけだ。

 高校生の頃、満員電車の中で何度か痴漢に遭い、やめてくださいと言う勇気を持つにも時間を要した私にとって、被害者の心情など無視して突き進む痴漢たちの会話がとても遠くで聞こえるようで、この文学をどう捉えていいのかしばらく心が彷徨い続けた。

 また、体験しないといいものが書けないなどとのたまう少年に対しても、同じように距離を感じ続けた。

 だが物語終盤、少年の決死の覚悟からくる一連の、まさに厳粛で嵐のごとく綱を渡った行動に、囚われた私の心が物語の世界へと強烈に惹きつけられた。今の生き方でいいのか。少年に問われたようで身震いした。

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