小橋めぐみ 性とか愛とか
2025/12/22

男は離婚後アルコールに溺れ、女は年下の男に入れ込み財産を失った…50代男女の“大人の恋”を描く『平場の月』を小橋めぐみが語る(Bookレビュー)

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小橋めぐみ・評 朝倉かすみ『平場の月』

 40代に差し掛かった頃、無数に灯っていた明かりが、ひとつ、またひとつと静かに消えていくような感覚を覚えたことがある。夢だったのかもしれない。かつては無限にあるように思えた「いつか叶うかもしれない夢」が、年齢という現実の前で、ひとつずつ諦めへと変わっていく――。

 初めて『平場の月』を読んだのは、ちょうどその頃だった。50代の青砥健将はある日、病院の売店で中学時代の同級生、須藤葉子と偶然再会する。人生の折り返し地点を過ぎ、互いに離婚や死別を経て、今はどちらもひとり者。二人は「互助会」と称して旧交を温め、時間を重ねていく。

 初めて彼女の部屋で酒を酌み交わした夜、それぞれの“沈みかけた過去”を告白する。青砥は離婚後のアルコールに溺れた日々を。須藤は年下の男に入れ込み、全財産のほとんどを失った経験を。誰かに話してみたかったんだ、と二人は言う。

 足跡を残すように、誰かの記憶に自分のことを留めておきたい。

 それは年齢を重ねた者が抱く、晩年の境地に似た感情なのかもしれない。

 忘れがたい場面がある。青砥が同僚と飲んだ帰り道、深夜に須藤のアパートの前を通りかかると、ベランダの窓が開き、須藤が顔を覗かせる。彼女の表情は、その夜の月のように清い光を放っていた。後日、青砥が「おまえ、あのとき、なに考えてたの?」と尋ねると、

「夢みたいなことをね。ちょっと」

 須藤はそう答える。夢みたいなこと。その言葉に、青砥の胸の奥で世界が開ける。もう少し早く再会し、結ばれ、子をもうけた二人の幸せな日々が。現実の延長にありながら、決して手の届かない、夢のような、もうひとつの人生が。

 以前、友人に「『平場の月』は大人の恋愛を描いているの」と話したら、

「ところで、大人の恋愛って何? 年齢的なもの?」

 と訊かれた。夢の明かりが少しずつ消えていく年齢になっても、心のどこかで微かな光がふたたび灯る。そう感じられることが、大人の恋愛なのかもしれない。

 いよいよ映画が公開される。青砥を堺雅人さんが、須藤を井川遥さんが演じる。劇場の静かな暗がりの中で、この“大人の恋”をひとり、心ゆくまで味わいたい。

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