小橋めぐみ 性とか愛とか
2026/01/23

夫人は「秘密」を守るために麻酔なしで乳房の下にメスを入れ絶命、執刀医の男性も命を絶った…凄まじい意志が胸を打つ泉鏡花の作品(Bookレビュー)

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小橋めぐみ・評 泉鏡花『外科室』

 以前、病気の治療のため鍼に通っていた。「鍼は痛そうに見えるけれど、ツボに刺すから全然痛くない」とよく言われるが、私には痛かった。効くようにと先生が太い鍼を使い、特に胸のあたりを刺すたびに鈍い痛みが走る。自然と涙が流れた。堪えながら、世界が少し澄んで見えるようにも感じた。今は元気で、先生にはとても感謝している。

 私が思い返す「痛み」といえば、この時のことだ。

 肉体が「確かに生きている」と訴えるような、現実の痛み。しかし、本作で描かれる痛みは、それとは全く違う次元にあった。

 比べようのない、別世界の、美しき痛みだ。

 物語は、緊急で手術を受けることになった伯爵夫人が麻酔を拒むことから展開される。「夢うつつのうちに心の秘密を漏らしてしまうのが怖い」と言って、意識を保ったままでの手術を望むのだ。その願いを受け入れるのは、若く、優秀な外科医、高峰である。

 一体、そうまでして守りたかった「秘密」とは何か。

 9年前、二人はただ一度、すれ違った。しかし、その、たった一度の邂逅で、互いに心を奪われていた。

 手術の場面。夫人は胸を切り開かれ、激痛に身を震わせながら高峰の腕を掴む。「痛みますか」と問う高峰に「いいえ、貴下だから、貴下だから」と答え、「でも、貴下は、私を知りますまい!」と言いざま、メスに手を添え、自らの乳房の下を掻き切る。高峰は「忘れません」と応じる。「その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿」。

 夫人は嬉しげに、あどけない微笑みを浮かべ、ばったりと枕に伏して絶命する。「その声、その呼吸、その姿」という反復句が、生命の最期の痕跡を鮮烈に刻む。

 高峰は同じ日、後を追うように命を絶った。

 その死、その痛み、その美しさ。初めて読んだ時は、極限の痛みの中でスパークするような殉愛に陶酔した。

 でも再読して脳裏に残るのは、激痛の中で、自らの乳を掻き切る夫人の姿だ。

 痛みを引き受け、彼女自身が痛みさえも支配する主体となったのだ。

 その強さ、その覚悟、その怒り。彼女の内部から立ち上がったそれらは、今も私の胸を打ち抜き続ける。

 美に回収されることを拒む、凄まじい意志として。

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