「あんなのテレビじゃない」と批判された中山秀征を救った「ナオちゃん」の思わぬ行動とは? 熱愛報道の裏話も明かす
中山秀征さん
“ヒデちゃん”はもう56歳だそうだが、年齢を感じさせない活躍を続けている。
つい最近でも、50歳を超えてから精力的に取り組んだ書道の個展を地元群馬で開催し、その来場者が3万人以上になったことが話題になったばかりだ。
そんな中山秀征さんが、芸能生活を振り返りながら人生観を語る著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)を刊行した。
テレビ全盛期にMCとして活躍し、『ウチくる!?』『THE夜もヒッパレ』『TVおじゃマンボウ』などの人気番組をつくり上げた中山さんだが、その原点となったのは松本明子さん、飯島直子さんと出演した『DAISUKI!』だという。
当初、「あんなのテレビじゃない」「遊んでいるだけ」と批判されながら、どう逆風を乗り越えたのか。愛され続ける“ヒデちゃん”の原点を、本書から探ってみた。
(※以下、同書より引用・再構成しました)
25歳で初めてMCを任された深夜番組の『DAISUKI!』
40年にわたり、数え切れないほどたくさんのテレビ番組に出させてもらいましたが、その中でも「テレビタレント中山秀征の原点は?」と聞かれれば、間違いなく、日本テレビ系『DAISUKI!』(1991~2000年)を挙げます。25歳で初めて本格的にMC(進行役)を任せてもらったこの番組で、僕は自分が目指すべきスタイルを自覚することができました。
番組を知らない若い読者の皆さんに説明すると、『DAISUKI!』は、僕と、松本(明子)さん、ナオちゃん(飯島直子さん)の、当時20代半ばだった3人の男女が、テレビを通じて“日常の遊び”を見せていた番組です。
3人で商店街をブラブラ歩いたり、不動産屋さんと物件を探したり、パチンコや麻雀、時には、居酒屋で日本酒を飲み本気で酔っ払うなど、とにかくテレビの中で本気で遊んでいました。
今なら「それって、普通のテレビ番組じゃない?」と感じる方も少なくないかもしれません。
でも、放送が始まった1991年は、まだまだテレビを観る人も、テレビの中の人たちも、「バラエティはスタジオを中心に作り込むモノ」という常識が強く残っていた時代でした。
それにもかかわらず、毎週オールロケで“遊び”を見せるバラエティは新鮮だったのか、「土曜の夜に肩の力を抜いて観られる」と支持され、深夜番組としては異例ともいえる高視聴率(最高14・7%)を獲得したこともありました。
ただ、「バラエティはかくあるべし」という方々からは「あんなのテレビじゃない」と辛辣なご意見も……。特にMCの僕は「テレビで遊んでいるだけ」「芸がない」などとバッシングも受け、コラムニストのナンシー関さんからは「生ぬるいバラエティ番組」の「象徴的存在」なんて書かれたりもしました。
そんな、「中山秀征はテレビの中で何やら楽しそうに遊んでいるタレント」というのは、好き嫌いにかかわらず、僕を知ってくれている方々の多くが僕に対して抱いているイメージではないでしょうか。
そんなイメージ、言い換えれば、僕のスタイルが生まれた番組が『DAISUKI!』。それも、意図しない「ハプニング」から生まれたものでした。
ナオちゃんの思わぬ行動に仰天!
初回ロケを迎えるにあたり、僕は「番組のキーパーソンは飯島さんだ」と考えていました。
というのも、実は僕は、番組スタートから約1年半後に、2代目MCとして途中参加した追加メンバーでした。レギュラーの2人と早く打ち解けた雰囲気を出さなければと、始まる前から少し焦っていました。
もっとも、松本さんは同じ事務所の先輩で10年来の信頼関係があるし、普段通りで大丈夫だろう、という安心感がありました。
問題は、ほぼ初対面の飯島直子さん。彼女と番組内で上手く絡むためには……。それまで見てきた先輩MCの方々のテクニックを振り返りながら、あれこれ策を練っていたのです。
しかし、長く考えていた“あれこれ”は、初回のロケで、あっさり覆されました。それも、想像をはるかに超える良い方向に。
初回のロケ地は若者の街・渋谷。当時流行していたバスケの「3 on 3」にチャレンジしました。
試合が始まり、僕がシュートを決めた直後、なんと、ナオちゃんから突然ハグされたのです。当時は同世代の女優さんからハグされるなんてなかった時代ですから、ただただ驚いてしまって……(笑)。
「これはテレビ。何かコメントしなきゃ」と焦った次の瞬間、経験したことのない雰囲気を感じました。目の前のナオちゃんは満面の笑み、松本さんも周りにいるスタッフも、とにかく楽しそうに笑っている。ロケ現場全体が、何かこう、キラキラした楽しい空気に包まれていたのです。
「もしかして、この“楽しい空気”を伝えるのが、僕の役割なのでは……?」
まだぼんやりしていた、MCという仕事の輪郭が少しだけクッキリした気がしました。
それは、カメラに向かって「僕のこの発言、この行動を撮ってください」と主張して“見せる”のではなく、「楽しんでいる僕たちを、どうぞどこからでも撮ってください!」と“見てもらう”イメージ。ゴールが決まれば、3人で喜びを分かち合い、決められれば3人で地団太を踏んで悔しがる。感情を爆発させ全力で楽しむことを意識したロケは想像以上に大盛り上がりしたのです。
そしてロケが終わった時は、僕だけではなく、松本さんもナオちゃんも、スタッフのみんなの表情にも、「この番組は行ける!」という確信が生まれているように見えました。
「今、テレビの中で起きていることは、こんなに楽しい!」
明るく楽しい空気を伝えることが、僕に向いているMCスタイルなのかもしれない。初回ロケをキッカケに、テレビタレントとして大きな一歩を踏み出せました。
そして、楽しい空気を作り、その空気を伝えるための具体的な手段も、このあと僕は、『DAISUKI!』を通じて、多く学んでいくのです。
連載記事
- “芸人”を貫いた「今田耕司」と“テレビタレント”を選んだ「中山秀征」 芸人を諦めたヒデちゃんの複雑な胸の内 2024/10/26
- 「今さら何だ?」最悪の出会いから15年後に今田耕司が中山秀征を呼び出し…明かされた当時の心境とは 2024/10/26
- 中山秀征「生放送でオレを潰しにきている」…和解まで15年かかった今田耕司との“最悪な出会い”を語る 2024/10/26
- 釣りのロケでも「私、釣りって嫌~い」と平気で話す飯島直子…「男1・女2」のジンクスを破って番組がヒットした理由 2024/06/12
- 「全員が苦しむと思った」中山秀征が明かす“ポスト飯島愛” 久保純子・しょこたんなど『ウチくる!?』の決断と変遷 2024/06/05
- 折りたたみ携帯の時代に「YouTubeやった方がいい」と言った天才・飯島愛がロケバスでヒデちゃんにだけ見せた姿とは 2024/05/29
- 「苦しいときは登っているとき。慢心したときは…」上岡龍太郎が遺した珠玉の名言と意外な一面とは 2024/05/22