教養としてのイギリス貴族入門
2023/04/14

爆殺されたマウントバッテン伯爵……「暗殺予告」通りの結果となってしまった理由とは? イギリス貴族の栄枯盛衰(10)

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初代マウントバッテン伯爵(左)はフィリップ殿下(右上)の叔父であり、その息チャールズ3世(右下)も深く慕う存在だったが

日本でも大人気のTVドラマ「ダウントン・アビー」では、広大な屋敷で執事や召使いに囲まれ優雅に暮らすイギリス貴族が登場する。本記事では、『貴族とは何か』の著者である君塚直隆さんが、実在するイギリス貴族の中から代表的な名家を取り上げ、その栄枯盛衰を解説します。最終回となる第10回は、野心家の父をIRAのテロによって失った「マウントバッテン女性伯爵」――。

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 1979年8月27日の朝。アイルランド北西の沿岸部にある小さな港マラグモアで、7人の家族連れが停泊していたボートに乗り込み、海へと出て行った。前の晩から罠を仕掛けておいたロブスターを獲りに行くためだった。午前11時45分頃、突然ボートが爆発した。乗員3人が即死し、1人は翌日亡くなった。同じく海に放り出された3人はけがを負ったものの、命に別状はなかった。助かったうちの1人、それが事件の直後にマウントバッテン女性伯爵(Countess Mountbatten)となったパトリシアである。なぜ悲劇は起こったのか。

ドイツ出身のマウントバッテン家

 彼女の祖父はドイツ人だった。祖父のルートヴィヒ・アレクサンダー・フォン・バッテンベルクは、ドイツの名門ヘッセン大公家の次男の家に生まれた。しかし父が身分違いの結婚(貴賤婚)によって継承権を剥奪され、哀れに思った大公妃アリスが従弟のルートヴィヒを自身の故国イギリスへ渡らせる。アリスはヴィクトリア女王の次女だったのだ。イギリスに帰化し「ルイス」となった彼は海軍将校の道を歩んだ。そして1884年にはヴィクトリアと結婚する。彼女は自分をイギリスに渡らせてくれたアリスの長女だった。アリスは1878年に急逝し、以後彼女の娘たちはヴィクトリア女王が母親代わりに面倒を見ていた。ルイスの妻となったヴィクトリアもそういう背景で彼とイギリスで出会ったのだ。

第一次大戦で受けた屈辱

 2人は2男2女に恵まれた。ルイス自身も海軍で順調に出世し、ついに1912年には制服組のトップである海軍第一卿(日本でいう海軍軍令部長)に就任する。ところが突然、家族を悲劇が襲うことになる。第一次世界大戦(1914~18年)でイギリスはドイツと戦うことになった。このような時世にドイツ出身の軍令部長はよくない。開戦からわずか2カ月後にルイスは解任される。また戦争の長期化で、イギリスでは「ドイツ憎し」の風潮がさらに強まった。王室自体もそれまでのドイツ系の家名を「ウィンザー家」に改めた。同様に、ドイツ系のバッテンベルクも「マウントバッテン」と英語名に替えられ、ルイスはイギリスの地名を冠した「ミルフォードヘヴン侯爵」に叙せられた。

 こうした一連の事態にルイスは衝撃を受け、失意のうちに1921年にこの世を去った。この父の屈辱を生涯忘れず、必ず父の汚名を晴らしてやるとの野心に燃えたのが、末っ子のルイス(1900~1979)だった。彼自身も、それまでヘッセン大公家に敬意を表して「ルイス公(Prince Louis)」と呼ばれていたのが、一夜にして「ルイス卿(Lord Louis)」に格下げにされた屈辱を経験していた。

 ちなみに、ルイスの年の離れた長姉アリスはギリシャ王家のアンドレアス王子と結婚した。2人のあいだの末っ子がのちにエリザベス女王と結婚するフィリップである。また次姉ルイーズも、スウェーデン国王グスタヴ・アードルフ6世と結婚し、王妃となった。

海軍司令官として日本に勝利

 野心に燃えるルイスもまた父と同じく海軍将校の道を歩んだ。又従兄(またいとこ)の皇太子(のちのエドワード8世)に随行し、インドと日本を訪れたこともある(1921~22年)。

 その帰国直後に、ルイスはひとりの美しい女性と結婚する。エドウィナ・アシュリ。父方の先祖は19世紀のイギリスを代表する外相で首相だったパーマストン子爵。母方の祖父はドイツから移住したユダヤ系の大富豪アーネスト・カッスル。エドウィナはこの祖父が残してくれた230万ポンドにも及ぶ巨額な遺産だけではなく、パーマストン子爵家から受け継いだアイルランドのクラッシーボーン城、イングランド南部ハンプシャの屋敷ブロードランズも引き継いだ。やがてエドウィナから見て義理の甥にあたるフィリップとエリザベス(のちの女王)が1947年11月に新婚旅行でこのブロードランズに泊まることとなる。

 ドイツからまともな財産も持たずに来たマウントバッテン家にとって、エドウィナとの結婚は一生困らないだけの財産も与えてくれる幸運だった。やがてルイスも海軍で出世し、第二次世界大戦(1939~45年)では東南アジア方面の最高司令官として日本に戦勝した。その功績で子爵に叙せられた後、1947年からは最後のインド総督となり、インドとパキスタンの分離独立を進めた。これにより同年には「ビルマのマウントバッテン伯爵(Earl Mountbatten of Burma)」へと陞爵(しょうしゃく)する。その年、甥のフィリップがエリザベス王女と結婚し、ルイスの野望はさらに拡がった。その後も海軍第一卿、統合幕僚本部長などを務め、1965年に海軍を引退した後も179の各種団体のパトロンを務め、王室にも影響をもった。

女性伯爵の誕生

 妻のエドウィナも負けん気が強く、大戦中は赤十字活動や傷病兵への支援などで活躍し、インド総督夫人としても実力を発揮した。特にインド初代首相ジャワハルラール・ネルーとは「プラトニックな恋愛」で結ばれたともいわれている。しかし北ボルネオ滞在中に突然死去し(1960年)、遺体は故人の遺志によりポーツマス沖で水葬にされた。

 そして1979年8月27日という日を迎える。パーマストン子爵家からエドウィナが相続したアイルランド北西部のクラッシーボーン城は、マウントバッテン家が毎年訪れる避暑地だった。その数年前からアイルランド全島独立を掲げるテロ組織IRA(アイルランド共和軍)から暗殺予告を受けていた老伯爵は、この年も避暑に出かけた。そして予告通りの結果となってしまったのである。ボートに同乗した長女パトリシアと夫ブラボーン男爵、パトリシアの四男ティムは助かったが、老伯爵とブラボーンの母、ティムの双子の兄弟ニック、そして案内役の村の少年が亡くなった。パトリシアは海中で意識を失い、駆けつけた人に海から引き上げられて九死に一生を得たのである。

 伯爵家にはパトリシアとパメラの2人の娘しかいなかったが、この当時にはすでに女性も爵位を継承できる制度がイギリスには整っていた。パトリシアがここに伯爵位を継承する。亡父が残した遺産はなんと220万ポンドに近かった。祖父のルイスなど6533ポンドしか残せなかったのに。エドウィナとの結婚は一族に大きな意味を持っていたのだ。

「父の仇」との和解を喜んだ2代伯

 ともに強烈な野心を備えていた両親から生まれた第2代伯爵(1924~2017)は、両親とは異なり、穏やかな性格に育っていた。父から溺愛され、それに母が嫉妬するようなこともあったぐらい、満ち足りた生活を送っていたようだ。19歳のときに父のいる海軍の女性部隊に入隊し、信号係の下士官として従軍。終戦時には三等航海士の資格も得ていた。戦後すぐの1946年に父の副官だったブラボーン卿と結婚した。花嫁の付添人にはエリザベスとマーガレットの両王女も就いてくれた。2人は5男2女の子宝に恵まれた。特に次女のアマンダはチャールズ皇太子(チャールズ3世)とは幼なじみであり、野心家の祖父マウントバッテン伯爵が両者に結婚を勧めようとしていたこともある。しかし暗殺事件で立ち消えとなり、むしろ伯爵の暗殺を機会に皇太子が急速に恋仲を深めたのが、スペンサ伯爵家の令嬢ダイアナだった。

 父の死後に伯爵家を継いだパトリシアは1999年まで貴族院議員も務め、父が残した各種団体の長も引き継いだ。2012年6月に、その父や自分を爆弾で狙った元IRA司令官で、その当時北アイルランド政府副首相を務めていたマーティン・マクギネスがエリザベス女王やエディンバラ公と握手をしたとき、報道で見ていたパトリシアは「平和をもたらしてくれることなら、いかなる行動にも賛成する」と女王を絶賛した。その5年後にパトリシアは93歳で大往生し、長男のノートン(1947~)が第3代伯爵を継承している。「マウントバッテン」の名前は様々な意味でイギリスの歴史のなかに深く刻み込まれているのである。

■本記事は連載「教養としてのイギリス貴族入門」としてブックバンで公開。君塚直隆さんが実在するイギリス貴族の中から代表的な名家の栄枯盛衰を綴ります。

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君塚直隆(関東学院大学国際文化学部教授)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在:日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書/サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『貴族とは何か:ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)他多数。

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提供:会員制国際情報サイト「Foresight(フォーサイト)」

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