ゲーテが天才と賞賛した詩人、世界初のプログラマー 落ちぶれながらも後世に名を遺したバイロン男爵家の人々 イギリス貴族の栄枯盛衰(7)
詩人として名を遺した6代男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(左)と、その一人娘エイダ(右)
日本でも大人気のTVドラマ「ダウントン・アビー」では、広大な屋敷で執事や召使いに囲まれ優雅に暮らすイギリス貴族が登場する。本記事では、『貴族とは何か』の著者である君塚直隆さんが、実在するイギリス貴族の中から代表的な名家を取り上げ、その栄枯盛衰を解説します。第7回は、19世紀のイギリスを代表する詩人を輩出した「バイロン男爵家」――。
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「ある朝目覚めてみると有名人になっていた」。これは19世紀の英国を代表する詩人、ジョージ・ゴードン・バイロン(1788~1824)が彼の代表作『チャイルド・ハロルドの巡礼』を発表した直後に記した、有名な一節である。読者のなかにもバイロンの愛読者はいるかもしれないが、その彼が「バイロン男爵(Baron Byron)」という歴(れっき)とした貴族の家に生まれ、貴族院議員の議席も有していたことは意外と知られていないかもしれない。
パリで客死した初代男爵
バイロンの一族は、元々はイングランド北西部のランカシャーに所領を有していたが、16世紀半ばのサー・ジョン・バイロンの時代に中北部のノッティンガムシャーに建つニューステッド・アビー(修道院)が国王ヘンリ8世から下賜され、以後はここが拠点となった。
まず一族のなかで頭角を現したのがジョン(1598/99~1652)。彼はノッティンガムシャー選出の庶民院議員となり、ときの国王チャールズ1世の側近に取り立てられる。王の失策でスコットランドで反乱が勃発するや、ジョンはすぐさま兵を集めて鎮定に乗り出す。しかし事態はやがて清教徒(ピューリタン)革命(1642~49年)へと発展した。国王派について、当初は連戦連勝の勢いを示したジョンは、1643年についに国王から初代バイロン男爵に叙せられた。しかし、オリバー・クロムウェルの登場で1645年頃からは逆に連戦連敗へと追いやられる。チャールズ1世の首は切り落とされ、議会派の勝利で革命は幕を閉じた。ジョンは生き残った王族たちと一緒にフランスに逃れ、パリで突然この世を去った。
海軍提督の祖父、女たらしの父
爵位はジョンの弟リチャードの家系に引き継がれ、第4代男爵ウィリアムの次男ジョン(1723~1786)が次の傑物となった。彼は海軍の将校になり、船で世界中を廻った。アフリカ、大西洋、南米、太平洋、そしてカリブ海。彼は最後は提督にまでのぼりつめ、文字通り「七つの海の覇者」となっていた。ところが同じ名前の長男ジョン(1756~1791)は、陸軍将校となったものの、父とはまったく比較にならない、箸にも棒にも引っかからない男になってしまった。バイロン大尉はハンサムで女たらしであった。
最初の妻は、4000ポンドの年収が保証された裕福な家の出であったが、彼女が亡くなるとバイロン大尉は「金のなる木をもった」別の女性を求めて、イングランド西部の保養地バースへと旅に出る。ここでまた資産家の娘キャサリン・ゴードンに出会う。彼女と結婚するや、キャサリンの持参金2万3000ポンドをすべて取り上げ、莫大な金はこれまでの借財の返済で瞬く間に消えてしまった。やがて2人は男子に恵まれたが、その後も大尉は借金取りから逃れるため、母子を置き去りにしてあちこち転々とする始末であった。
そのような矢先、大尉は35歳の若さで肺病で急死した。残された母子は母の実家からの援助でなんとか生活していく。バイロン大尉は、あまりの放蕩ぶりに呆れた4代男爵から廃嫡されていたのである。わずか3歳で父を亡くしたこの男の子こそが、のちの偉大なる詩人ジョージ・ゴードン・バイロンそのひとであった。
10歳で男爵に、24歳で一流詩人に
そのままなら日陰者としての人生が待っていたであろうジョージに、運命の女神が微笑んでくれるときがきた。1794年に第5代男爵の世継ぎ(孫)がフランス革命戦争のさなかに戦死し、6歳のジョージが突然男爵家の後継者となったのである。その4年後に老男爵が逝去し、ここにジョージは10歳にして第6代男爵となる。とはいえ、この頃までに男爵家は落ちぶれており、ニューステッド・アビーは荒れ放題。なんとか母子の生活費や男爵自身の学費は賄うことができたが、貴族としてはギリギリの生活となった。
それでもパブリック・スクールの名門ハロウ校からケンブリッジ大学に進み、バイロンはやがて詩作に没頭するようになる。そして1809年にはヨーロッパ大陸の旅へと出かける。当時はナポレオン戦争(1800~15年)のさなかにあり、バイロンの旅は主に地中海とギリシャ、トルコなどに限られた。そのさなかに母が突然病死した。翌12年に旅からのインスピレーションをもとに刊行したのが、『チャイルド・ハロルドの巡礼』。冒頭に記したとおり、これで一躍彼は一流詩人の仲間入りを果たすのである。
この頃のバイロン男爵を描写した記録が残っている。「彼はハンサムで快活で、会話も楽しい。あらゆる話題についていける。男たちは彼に嫉妬し、女たちはお互いに嫉妬する」。この言葉を残したのは、第5代デヴォンシャ公爵の夫人ジョージアナ。当時のロンドン社交界の華のひとりである。ジョージアナと親密になったバイロンは、彼女を通してホイッグ系の政治家たちと親交をもった。バイロンは貴族院議員として議会で3度演説にも立っている。政治改革とカトリック教徒(当時まだ政治的に差別されていた)の差別撤廃を訴える、改革派としての立場からの発言だったようである。
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ギリシャに死す
社交界の寵児となったバイロンは、やがて愛人(のちの首相メルバーン子爵の夫人)ももつようになったが、1815年には文通相手だったアナベラと結婚し、一人娘にも恵まれる。しかし亡父の悪い癖を引き継いだのか、母子の許にはほとんど帰らずにあちこち放浪する始末。ついに夫妻は離婚し、母子は彼とは二度と会わないことになってしまう。
バイロン自身はニューステッド・アビーも9万5000ポンド近くで売却し、所領からの収入と彼自身の原稿料とで6000ポンドほどの年収を得られるようになっていた。この潤沢な資金をもとに彼はイタリアに邸宅を借りてさらなる詩作に励む。
しかし今度は祖父(バイロン提督)伝来の冒険心がうずくようになったのか。1820年代にはいり、ギリシャがオスマン帝国からの独立を求めて戦争に乗り出す。ヨーロッパの文明の源であり、若き日に訪れた追憶からも、バイロン男爵はついにギリシャ独立戦争に参戦を決意する。しかし現地で熱病に罹った彼は、1824年4月にあっけなく急死した。まだ36歳という若さであった。訃報は5月半ばにはロンドンにも伝わり、イギリス中に大きな衝撃を与えた。爵位は従弟(父の弟の子)のジョージが引き継ぐこととなった。
コンピューターの発展に寄与した一人娘
残されたアナベラと一人娘エイダは、母の実家の支援を頼りに何不自由のない生活を送れた。母は、娘には父のようになってほしくなかった。想像力のたくましい娘ではあったが、詩作ではなく、数学や科学の道に進ませてついに成功を収める。やがてエイダは当代一流の数学者チャールズ・バベッジと出会い、彼が研究を進めていた階差機関や解析機関(巨大な計算機)に興味を示し始めていく。そして1843年には彼の研究にエイダ自身の理論と分析を付した論稿を発表した。これがのちに「初歩的なコンピューター」研究の草分けとして、世界に認められていくことになるのである。
しかしやがてエイダは子宮癌を患い、36歳でこの世を去る。生後1ヵ月ほどで生き別れになった父バイロンと同じ年齢で亡くなるとは、なんと皮肉なことであろうか。
1979年にアメリカ国防総省は、新しいプログラミング言語の名称を発表した。「エイダ(Ada)」。コンピューターの発展に寄与したバイロンの一人娘に敬意を表して付けられた名前である。ともに36歳でこの世を去った父と娘は、それぞれ別の世界で不朽の名声を手に入れたのだった。それはまた、バイロン家の家訓「バイロンを信じよ(Crede Byron)」を異なる道から実践して見せた、父と娘だったのかもしれない。
■本記事は連載「教養としてのイギリス貴族入門」としてブックバンで公開。君塚直隆さんが実在するイギリス貴族の中から代表的な名家の栄枯盛衰を綴ります。
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君塚直隆(関東学院大学国際文化学部教授)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在:日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書/サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『貴族とは何か:ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)他多数。
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