教養としてのイギリス貴族入門
2023/03/31

土地や財産を何度も没収される憂き目に……ヒューム一族の14代目は、なぜイギリス首相になれたのか? イギリス貴族の栄枯盛衰(8)

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伯爵位を放棄して首相、外相などを歴任したアレクサンダー・ヒュームは、一代男爵に叙せられた(CC BY-SA 3.0)

日本でも大人気のTVドラマ「ダウントン・アビー」では、広大な屋敷で執事や召使いに囲まれ優雅に暮らすイギリス貴族が登場する。本記事では、『貴族とは何か』の著者である君塚直隆さんが、実在するイギリス貴族の中から代表的な名家を取り上げ、その栄枯盛衰を解説します。第8回は、爵位を放棄してイギリスの首相に就任した「ヒューム・オブ・ハーセル(一代)男爵」――。

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 1974年12月、ひとりの老紳士が一代男爵(Life Baron)に叙せられた。新しい爵位は「ヒューム・オブ・ハーセル男爵(Baron Home of the Hirsel)」。1958年に一代に限って男爵位を与えられる制度が導入され、政財界の大物だけではなく、芸術や社会福祉などで功績のあった人々が、この資格で貴族院入りする機会が増えていった。しかしこのヒューム卿は、これより11年前の1963年まで12年間にわたり貴族院に議席を持ち、活発な政治活動を続けてきた由緒ある世襲貴族(Hereditary Peer)だったのだ。いったい何があったのか。

ヒューム一族の系譜

 ヒューム一族の開祖はスコットランド東南部に所領を有したヒューム男爵(Lord Home)にさかのぼる。5代男爵アレクサンダー(1525~1575)はスコットランド東南部の国境を警護する役割を王から任じられ、度重なるイングランドからの侵攻に対抗した。しかしフランス王家に嫁いでいた女王メアリ(ステュアート)が帰国し、国内はカトリック(女王)派とプロテスタント派の貴族のあいだで内乱に陥り、ついにメアリは廃位され、プロテスタント側の勝利のうちに、まだ1歳のジェームズ6世が国王に即いた。

 ヒューム男爵は当初、メアリ追い落としに加担していたが、実は熱心なカトリック教徒だった。その後突然、メアリ派に寝返り、所領は没収されてしまう。男爵が急死したため、わずか9歳であとを継いだ長男アレクサンダー(1566~1619)は、議会の許しを得て、爵位も土地財産もすべて回復した。さらに6代男爵はまだ15歳にすぎなかったのに議会に出席し、亡父と同じくスコットランド東部国境の警備にあたり、その実績によりやがてジェームズ6世に取り立てられていく。

 特に6代男爵が才能を発揮したのが外交だった。弱小国スコットランドが生き残るには、南のイングランドはもとより、大陸のフランスとも仲良くしておかなければならない。フランス国王アンリ4世、イングランド女王エリザベス1世の許にも派遣されたヒュームは、両者からも絶大な信頼を寄せられるようになる。こうした功績からイングランド国王も兼ねるようになっていたジェームズから、彼はヒューム伯爵(Earl of Home)に叙せられた。

スコットランドとイングランドの狭間で

 しかし新生のヒューム伯爵家もまた時代の流れに翻弄されていく。伯爵位は初代の従弟の家に引き継がれ、第3代伯爵ジェームズ(1615~1666)は、国王チャールズ1世がスコットランドにイングランド国教会の教義や制度を押しつけるのに反発し、ついに反乱の中心人物となっていく。しかしそれはそのまま清教徒(ピューリタン)革命とも関わる「三王国戦争」へと発展した。かつては憎い敵であったチャールズとはいえ王である。その彼がスコットランド側に何の相談もなくイングランドで処刑されるや、スコットランドとイングランド(共和政政府)のあいだで新たなる戦争が始まった。

 もっとも、相手は国王軍を打ち破ったオリバー・クロムウェル率いる最強の軍隊である。ヒューム城は占拠され、伯爵の所領もすべて没収されてしまった(1650~51年)。その後、王政が復古し(1660年)、伯爵家の土地財産もすべて返された。

 18世紀になりハノーヴァー王朝が始まると、スコットランドは再び闘争の舞台となる。名誉革命(1688~89年)で追い出されたジェームズ2世親子を慕う「ジャコバイト(ジェームズ派)」と呼ばれる一派が、たびたび反乱を起こすのである。第8代伯爵ウィリアム(1681頃~1761)は、1741年にスコットランド代表貴族としてウェストミンスタの貴族院に亡くなるまで議席を有したが、このジャコバイトの反乱鎮圧にもひと役買った。

 こうした功績も認められ、1757年にはイベリア半島最南端にあるジブラルタル(1713年からイギリス領)の総督として赴任し、4年後に同地で没している。

政界入りした第14代

 ヒューム伯爵家に政治的な「傑物」が登場するのは20世紀になってからのことだった。第14代ヒューム伯爵のアレクサンダー(1903~1995)である。

 父の13代伯(1873~1951)は政治には興味がなく、もっぱら所領経営と近隣の人々のための慈善活動に精を出していた。おかげで父は10万エーカー以上にも及ぶ所領を巧みに経営し、スコットランドでも25番目の大地主になりおおせていた。しかしアレクサンダーは父の希望に反して政界入りする。

 由緒ある貴族の出自とはいえ、簡単に議員になれたわけではない。彼が庶民院議員に立候補した1920年代後半のスコットランドは、労働党が強力な地盤を築いていた。保守党から出た彼は1929年の選挙で落選し、31年の総選挙でようやく当選を果たすこととなった。

 1936年からヒュームはネヴィル・チェンバレン首相の議会側私設秘書官に就く。38年には首相に随行して、チェコスロバキアのズデーテン地方領有問題を話し合うための英仏独伊4カ国首脳によるミュンヘン会談にも出席している。しかしチェンバレンの宥和政策は破綻し、その翌年に第二次世界大戦(1939~45年)が勃発する。大戦の前半期に体調を崩したヒュームは、1945年に外務政務次官に抜擢されたが、その直後の総選挙では保守党が惨敗し、彼自身も落選の憂き目を見る。戦後の1950年総選挙で復活したものの、その翌51年7月に父が亡くなり、伯爵位を継承して貴族院へと移籍した。

爵位を放棄して首相に就任

 こののち有能なヒュームは、コモンウェルス担当相(1955年)、そして外務大臣(60年)に取り立てられ、その冷戦沈着な外交姿勢が高く評価された。特にアメリカとソ連が対峙したキューバ危機(1962年)では、「ケネディを落ち着かせる役目を果たしていたマクミラン首相を落ち着かせる」のがヒュームの役割だったと言われるほどだった。こうした態度が、1963年10月にハロルド・マクミランが突然辞意を表明し、彼自身がエリザベス女王に後任として「ヒューム卿」を推挙させる大きな要因となっていたのかもしれない。

 ところがヒュームの首相就任には大きな障害があった。彼が貴族院議員だったことである。20世紀半ば以降、もはや貴族院から首相は輩出されない状況となっていた。しかし偶然にも同年制定された「貴族法」により、世襲貴族は一代に限って爵位を放棄できるようになっていた。ヒュームはすぐに第14代伯爵位を放棄し、「サー・アレック・ダグラス=ヒューム」の名前でスコットランド中部の選挙区から補欠選挙で立候補し、見事に当選を果たすのである。こうして庶民院に所属する首相として政権を率いることになった。

晩年には開高健と鮭釣りに

 しかし翌1964年の総選挙で保守党は惜敗し、労働党に政権を譲ることとなった。ヒュームは責任をとって辞意を表明し、65年から導入された保守党党首選挙で若きエドワード・ヒースが当選する。1970年からそのヒース政権で外相を務めたヒュームは、首相と二人三脚でEC(ヨーロッパ共同体)への加盟を実現していく。そして政権が労働党へと交代した直後に、冒頭にも記したとおり、ヒュームは一代男爵に叙せられて再び貴族院へと戻った。

 かつて首相になったとき、労働党党首ハロルド・ウィルソンから「世襲貴族の首相など時代遅れ」と揶揄され、「私のことを14代伯爵と批判されるが、ウィルソンさん、あなただって14代目のウィルソン氏ではないですか」と切り返し、この百戦錬磨の反対党党首をぎゃふんと言わせている。名家の出身らしく権力にも淡々としていたヒュームは釣りも好み、晩年には日本のテレビ番組で作家の開高健を誘って、スコットランドの川で鮭釣りを楽しんだ。92歳で大往生を遂げると、15代伯爵位は長子デイヴィッドが受け継いだ。

■本記事は連載「教養としてのイギリス貴族入門」としてブックバンで公開。君塚直隆さんが実在するイギリス貴族の中から代表的な名家の栄枯盛衰を綴ります。

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君塚直隆(関東学院大学国際文化学部教授)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在:日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書/サントリー学芸賞受賞)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『貴族とは何か:ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)他多数。

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提供:会員制国際情報サイト「Foresight(フォーサイト)」

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